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ARCHIVES『THE NIKKEI MAGAZINE Ai』プレミアムクラブ会員向けメールマガジンその3「人気演目 舞踊劇編」(2015年11月~2023年3月配信/文:Katsuma Kineya、編集:講談社、配信元:日本経済新聞社)

春興鏡獅子の見どころと見せどころ

2016年11月18日(金)

 小姓弥生(こしょうやよい)が優美で華麗な舞を披露する前半(前ジテ)。その同じ人物が雄壮な獅子の精に変身し、激しく舞う後半(後ジテ)。『春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)』は、小姓と獅子の精というまったく異なる二役を舞踊で表現する、人気の所作事(舞踊あるいは舞踊劇の総称)です。特に、立役として知られる俳優が演じると、前半で普段あまり目にしない演じようを観ることができるので、それだけでも楽しめます。

 本演目は、明治二十六(一八九三)年三月、東京の歌舞伎座で初演されました。九世市川團十郎が、娘の長唄『枕獅子(まくらじし)』の稽古を見て、作詞を福地桜痴に依頼。作曲は三世杵屋正治郎です。團十郎がこの作品の着想を得た『枕獅子』は、能の『石橋(しゃっきょう)』を典拠にして作られたもの。それまで、『石橋』を基にして生まれた「石橋物」と呼ばれる歌舞伎舞踊の多くは女方の舞踊でした(平成二十三年七月大歌舞伎筋書きより)。しかし『春興鏡獅子』は、前述のように小姓と獅子の精という対照的な構成で、歌舞伎舞踊の代表的な人気曲となっています。新歌舞伎十八番(「歌舞伎十八番」以外に、七世および九世團十郎の当たり芸を主として、九代目が選んだ演目)の一つで、十一代目市川海老蔵も何度か演じています。獅子の精はお手のものだと思いますが、回を重ねるうちに、小姓弥生のお役もたおやかで優雅な様子になり、ため息が出るほどです。ほかにももちろんさまざまな人気俳優が演じており、六代目中村勘九郎も、襲名披露公演(平成二十四年二月大歌舞伎)で務めています。また、十八世中村勘三郎も大切にしていた演目。最後に演じたのは平成二十一年一月「歌舞伎座さよなら公演」でのことで、その意気込みが伝わるすばらしい舞台でした。

 舞台は江戸城本丸御殿。初春吉例の催し、お鏡曳きの余興として舞を披露することとなった小姓弥生。老女と局に手を引かれて現れるものの、恥じらうあまりに逃げ去ってしまいます。二度目の登場で踊りが披露されます。踊り終わり獅子頭を手にすると、不思議なことにその手が勝手に動き始めます。その手に引っ張られるように花道から引き込み、胡蝶が舞う間を経て、今度は獅子の精として登場。豪快に舞ってみせます。獅子頭の場面について、面白いエピソードがあります。九世團十郎没後は、六世菊五郎が受け継いだのですが、その舞台をフランスの詩人ジャン・コクトーが歌舞伎座で観たそうです。コクトーは弥生に獅子の精が乗り移り、手獅子がカタカタと動き出す場面に夢中になり、思わず席を立ち上がりました。映画『美女と野獣』には、東京で観たこの『春興鏡獅子』が影響を与えたと言われています(前述「歌舞伎座さよなら公演」筋書き)。

「石橋物」で人気のある演目にはほかに『連獅子(れんじし)』も挙げられるでしょう。こちらは明治五(一八七二)年五月初演。能『石橋』の替えの型に親子の獅子で狂いを見せる演出があり、それを歌舞伎化したものです。父子で演じることもあり、盛んに上演されています。「獅子の毛の振り方は、左から振るのが左巴、右から振る右巴、女が髪の毛を洗うようにするのが髪洗い、数字の8の字に振るのが襷(たすき)、毛を右に左へ振るのをタタキ、菖蒲叩きといいます。毛は左から振るのが法です」六代目尾上梅幸(『増補版歌舞伎手帳』渡辺保著、角川ソフィア文庫より)。毛の振り方ひとつとってもこれだけあるのですから、歌舞伎は本当に奥が深いですね。

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勧進帳の見どころと見せどころ

2016年12月16日(金)

 10月、秋の特別講演『古典への誘い』で、能楽舞囃子『安宅(あたか)』と歌舞伎『勧進帳(かんじんちょう)』が上演されました。海老蔵が弁慶を演じる『勧進帳』は、観客を惹きつける見応えのある舞台でした。でもなぜ能楽の『安宅』が一緒に上演されたのでしょうか。それは、そもそも『勧進帳』は、観世小次郎作の能『安宅』を題材としているから。『古典への誘い』は伝統芸能をよりわかりやすく、多角的に味わってもらおうと企画された公演なので、もととなった能と一緒に上演したわけです。

『勧進帳』は舞踊劇で、七世市川團十郎が企画し、天保十一(一八四〇)年に江戸河原崎座で初演されました。七世團十郎が天保年間に制定した歌舞伎十八番の一つです。作者は三世並木五瓶。構成は能『安宅』とほぼ同じですが、「山伏問答(後述)」は、初演当時に活躍していた伊東燕凌(いとうえんりょう)の講釈(明治以降は講談)から取り入れられました。能舞台を模した松羽目と呼ばれる舞台は、当時画期的で、能・狂言の作品を素材とした「松羽目物」と呼ばれる作品の先駆けとなりました。朗々と響く、能がかりの「旅の衣は篠懸(すずかけ)のぉ~」から始まる、名曲とされる長唄の作曲は四世杵屋六三郎(後の六翁)。この曲は大薩摩(おおざつま。大薩摩節の曲やその影響を受けた長唄曲中の旋律。この大薩摩節についてはまたの機会にお話ししたいと思います)も含まれ、三味線奏者にとっても演じがいのある曲です。振付は四世西川扇蔵。『勧進帳』はその後も團十郎代々によって練り上げられ荘重高尚さを加えました。直近の團十郎、十二世の弁慶で記憶に深く残っているのは、平成十二年十二月歌舞伎座で、富樫は昭和四十三年以来という猿翁(当時猿之助)、義経は先代芝翫。まさに筆舌に尽くしがたい名舞台でした。

 主人公の弁慶は「智勇を兼ね備えた人物で、登場から幕外の飛び六法での引っ込みまで、台詞、芝居、舞踊に加え、荒事の力感など、技芸、体力、気力を要求される屈指の大役」です(平成十八年十一月花形歌舞伎筋書きより)。荒事の代表的な役で、不動の見得(不動明王のポーズをとる見得)、元禄見得(右手を水平に伸ばし、左手はひじを曲げて上にかざす見得。同時に左足を大きく踏み出す)、石投げの見得(石を投げたような格好となる見得)と、荒事の見得がほとんどすべて入っています。

 物語は兄頼朝と不和になった源義経が、奥州平泉の藤原秀衡(ひでひら)を頼って北陸路を落ちのびようとする途上。富樫左衛門が守る、義経詮議のための安宅の関に、武蔵坊弁慶を先達とする義経一行がさしかかります。一人も山伏を通さないと聞いて、弁慶が死を覚悟する最後の勤めをし、富樫の要請で、偽の勧進帳を取りだしとっさの機転で朗々と勧進帳を読み上げます。そして前述の「山伏問答」。富樫が山伏のいわれを始めさまざまな質問を投げかけます。これに堂々と答える弁慶。しかし富樫は義経と見破り、その前で、弁慶は涙をのんで主人をさんざんに打ちすえます。そこまでする弁慶の忠誠心に心打たれた富樫は、義経と知りつつ関を通します。ほかにも、富樫に酒をすすめられて豪快に飲む場面、その後の延年の舞と、弁慶の見せ場は数々あり、最後の飛び六法まで観客を飽きさせません。

 10月海老蔵の弁慶を拝見したこともあり、やはり『勧進帳』は成田屋、と思ってしまうのですが、その海老蔵にしても、初役から繰り返し演じているうちに、若々しく溌剌とした勢いのある弁慶から、重厚感と深みのある弁慶へと変わってきているように思えます。ましてやほかの俳優が演じればまた別の醍醐味があり、富樫や義経の配役によっても舞台は違う色を帯びます。そんなわけで『勧進帳』は、何度も観てしまうお気に入りの演目なのです。

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京鹿子娘道成寺の見どころと見せどころ

2017年2月17日(金)

 時は平成二十二年四月三十日。ところは歌舞伎座。新装前の閉場式で、玉三郎、時蔵、福助、雀右衛門(当時芝雀)、魁春が一堂に会して演じたのが『京鹿子娘五人道成寺(きょうかのこむすめごにんどうじょうじ)』でした。重鎮の女形が勢揃いし芸を競い合うまさに圧巻の演し物でしたが、特別な機会でしたから、もう二度と観ることはないだろうと思っていました。ところが、昨年の歌舞伎座十二月大歌舞伎で、より練り上げられた形で披露されたのです。顔ぶれは玉三郎、勘九郎、七之助、梅枝、児太郎。華やいだ雰囲気で、なかでも玉三郎は圧倒的な存在感。重鎮として、いまをときめく花形を立てる姿勢が感じられましたが、にじみ出るオーラと長年培ってきた芸の厚みは隠しようもなく、やはり一番花子らしい花子でした。

 『京鹿子娘五人道成寺』は『京鹿子娘道成寺』のバリエーションです。前述の花子は、白拍子花子(しらびょうしはなこ)のことで、『京鹿子娘道成寺』の主役。そもそも花子は一人です。『京鹿子娘道成寺』初演は宝暦三(一七五三)年二月江戸中村座。初世中村富十郎が花子を演じました。振付は市川団五郎。藤本斗文作詞、杵屋作十郎・弥三郎作曲です。八世紀初頭の創建以来、紀伊国の古刹として知られる道成寺に伝わる、安珍と清姫にまつわる仏教説話がもととなっています。安珍への恋ゆえに蛇体となった清姫のこの物語は、能楽などさまざまな芸能で扱われており、歌舞伎でも「道成寺物」と呼ばれる作品がいろいろあります。『京鹿子娘道成寺』はその一つで、歌舞伎舞踊の代表作。舞台は桜が満開の道成寺。焼失した鐘の再興の日に現れた白拍子花子が、鐘を拝ませてくれと頼みます。所化(修行中の僧、寺に勤める役僧)がその代わりに舞を所望。花子はさまざまな舞を披露しますが、隙を見て鐘の中に飛び込みます。鐘を引き上げてみると恐ろしい蛇体が登場。白拍子花子は、実は、鐘の中へ隠れた男を恨んで蛇体となり鐘ごと焼き殺したという、伝説の女の亡霊だったのです。

 歌舞伎舞踊の大曲で全十四段。最初の道行だけが義太夫で、鐘への恨みを見せます。本舞台へ来て所化との問答があり、烏帽子をつけて能の乱拍子を模した乱拍子。その後、初めて長唄の三味線が入ります。にぎやかで華麗な踊りからしっとりと情を見せる踊りまで、舞踊の醍醐味がぎっしりと詰まった演目です。引き抜きなどで衣裳も次々と変わり、そうしたサプライズも歌舞伎ならでは。鐘が上がると蛇体で現れ、最後に花道から荒事の押し戻しが入ります。この押し戻しはそれほど演じられません。平成二十年藤十郎の白拍子花子で團十郎が、平成二十二年福助の白拍子花子で海老蔵が演じたのを観ましたが、ここまで入るとまた別の魅力が加わり、より歌舞伎らしい幕切れ感があるようにも思います。

 ほかのバリエーションもいまだにいろいろと上演されています。たとえば玉三郎と菊之助など美しい女形二人の息の合った踊りが楽しめる『京鹿子娘二人道成寺』。能の『二人静(ふたりしずか)』から着想を得て、二人の花子が時に姉妹のように、時に陰と陽となって踊るという演出です。『男女道成寺(めおとどうじょうじ)』は、長唄と常磐津の掛け合いによって、立役と女形が踊る趣向。花子と左近(立役)が男女の恋仲の様子を見せるくどきも見どころ。『京鹿子娘道成寺』の魅力は、演者による表現の違いだけでなく、演目そのもののバリエーションも楽しめるところにあるのです。

(参考資料:上記公演筋書き、『増補版歌舞伎手帳』角川ソフィア文庫、『歌舞伎ハンドブック第3版』三省堂、『徹底図解歌舞伎の事典演目ガイド181選』新星出版社)

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