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ARCHIVES『THE NIKKEI MAGAZINE Ai』プレミアムクラブ会員向けメールマガジンその1「人気演目 純歌舞伎編」(2015年11月~2023年3月配信/文:Katsuma Kineya、編集:講談社、配信元:日本経済新聞社)

白浪五人男の見どころと見せどころ

2016年10月21日配信

「知らざぁ言って聞かせやしょう」から始まる名台詞でも有名な狂言、通称『白浪五人男(しらなみごにんおとこ)』。歌舞伎好きなら、つい一緒に台詞を言いたくなる場面が続く、人気の演目です。

 本作は、河竹黙阿弥作の世話物(庶民を題材にした作品)。河竹黙阿弥は、「坪内逍遙をして『江戸演劇の大問屋』『明治の近松』『我が国(日本)の沙翁(シェークスピア)』と言わしめた」(平成二十五年歌舞伎座公演筋書きより)という、佳作を量産した作家です。本作は、文久二年(一八六二年)三月、市村座で初演されています。原作は『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』という長編ですが、現在では「浜松屋見世先の場(はままつやみせさきのば)」「稲瀬川勢揃いの場(いなせがわせいぞろいのば)」(ともに後述)などだけを上演する場合は、『弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)』という外題を使って上演されます。

 見どころはまず、「浜松屋見世先の場」。若党に伴われて現れるのは、文金高島田に振り袖姿の美しい娘、早瀬主水娘お浪(はやせもんどむすめおなみ)。実は男で盗賊(白浪)集団「五人男」の一人、弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)です。やがて正体がばれて、それまでしとやかでたおやかだったのに、いきなりべらんめぇ調の勇ましい姿に変身。前述した台詞はここで出てきます。勇ましいとはいえ、髪型も化粧も衣裳も女性のままですから、一種倒錯的な美しさが漂い、不思議な色気を感じさせます。初演の弁天小僧は、数え年十九歳だった十三世市村羽左衛門(後の五世尾上菊五郎)で、作者黙阿弥は、その魅力が最大限に生きるよう工夫を凝らし、当人も役作りをはじめ細部までこだわったといいます。先の台詞の最後に「菊之助たぁおれがことだ」と言うところで、自然に片肌が脱げて腕の桜の刺青が見える場面も見逃せません。ところで、正体を見破ったのは、店にたまたまいた玉島逸当(たましまいっとう)という侍。実は「五人男」の首領、日本駄右衛門(にっぽんだえもん)です。娘の供として同行してきた若党も、実はその一味、南郷力丸(なんごうりきまる)。この三人を含む「五人男」が勢揃いする場面「稲瀬川勢揃いの場」がもう一つの見どころ。

 花道に一人ずつ登場し、それぞれに役の個性を表す見得で決まり、五人がそろってからの渡り台詞(一連の台詞を数人で分担して順々に言い、最後の一句を全員で言う演出。また、その台詞)となります。揃いの傘を差し、華やかな衣裳で居並ぶ様子はドラマチックで、心が浮き立ちます。本舞台では、春雨がそぼ降る桜満開の稲瀬川の土手に五人がずらりと並び、ツラネ(それぞれに素性を言い立てる七五調の台詞)を披露します。このツラネも何度か観るうちに覚えてしまい、つい一緒に台詞を言いたくなるところです。

 そもそものきっかけは江戸末期の浮世絵師、三世歌川豊国が描いた錦絵の「五人男」(1688~1704年の元禄の頃、大坂の町を荒らした、ならずものの一団「雁金五人男/かりがねごにんおとこ」がモデル)。偶然見た羽左衛門の「この絵を素材にした作品を演じたい」という思いと、黙阿弥の「是非その作品を書きたい」という思い……。本作が誕生したのは、そうした二人の思いが実を結んだからだといいます(前述筋書き等参照)。その思いはいまなお受け継がれ、いっそうの磨きがかけられて、現代の歌舞伎でも観る人の心に残る作品となっています。

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助六由縁江戸桜の見どころと見せどころ

2017年1月20日配信

『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』は、新吉原の大店(おおだな)三浦屋の格子先で繰り広げられる絢爛豪華な狂言。一幕一場の群像劇で、二時間がまたたく間に過ぎる見応えのある演し物です。

 素材は上方で実際に起きた万屋助六と遊女揚巻の心中事件で、正徳三(一七一三)年、二世團十郎が『花館愛護桜(はなのやかたあいごのさくら)』として助六役を初演。やがて曽我狂言と結びつき、七世の頃に現在の形に近づいたといいます。中心人物は、傾城(けいせい/格式の高い遊女)「揚巻(あげまき)」とその恋人で喧嘩っ早い色男「花川戸助六(はなかわどすけろく)実は曽我五郎(そがのごろう)」。揚巻は、髪型は派手な伊達兵庫、五節句を表現した、裲襠(うちかけ)と俎板帯(まないたおび/花魁道中用の豪華な帯で体の前につける)の衣裳で登場します。三本歯の高下駄を履き、ほろ酔い加減で花道を八文字に歩くのですが、品格のあるあでやかさで、観客の目を惹きつけます。一方の助六は、蛇の目傘を片手に、背中には尺八、黒羽二重の小袖に紫縮緬の鉢巻き、たまご色の足袋で花道に登場。色男ぶりを見せつけます。代表的な江戸浄瑠璃の一つ、河東節によるこの“出端(では)”(主役などの登場、その所作や下座音楽)が、助六の最初の見せ場です。本演目の河東節では、江戸時代から旦那衆の河東節連中が、その喉を披露しています。

 二人の登場場面だけでなく、助六と恋仲の揚巻に横恋慕する「髭の意休(ひげのいきゅう)実は伊賀平内左衛門(いがのへいないざえもん)」へ揚巻が啖呵を切る悪態、助六の名乗りのツラネや意休に対する悪態尽くしと見どころは数知れず。助六の喧嘩三昧は源氏の重宝友切丸を探すためなのですが、それを知らず助六を諭しにきた助六の兄「白酒売新兵衛(しろざけうりしんべえ)実は曽我十郎(そがのじゅうろう)」、母の「曽我満江(そがのまんこう)」の登場により、江戸和事の風情も織り込まれます。また助六が新兵衛に喧嘩指南したり、刀詮議のため通人や国侍に喧嘩を売って股の下をくぐらせたりなど笑いを誘う場面もあり、観客を飽きさせません。

 圧巻だったのは、平成二十二年四月歌舞伎座さよなら公演『御名残四月大歌舞伎』。助六を十二世團十郎、揚巻を玉三郎、意休を左團次とこれだけでも見応え十分なのに、十八世勘三郎、十世三津五郎、仁左衛門、菊五郎など重鎮が次々と登場し、忘れられない演目となりました。同年五月新橋演舞場『花形歌舞伎』では、前月口上を務めた海老蔵が助六を、白玉を務めた福助が揚巻を演じ、二十二年ぶりという“水入り”の場面が上演されています。平成二十五年六月歌舞伎座新開場『柿茸落六月大歌舞伎』でも、海老蔵と福助のコンビで上演されました。

 昔は『助六由縁江戸桜』が上演されると、劇場周辺はもちろん、舞台、場内にも桜を何百本も植え、魚河岸、新吉原が後援して、街全体がお祭り騒ぎになったといいます。また、助六の鉢巻きと下駄は魚河岸から贈られるのが慣例だったそうで、いまは目録になっているとか。蛇の目傘と煙管は吉原から贈られたといいます。そうした江戸の心意気を味わえるという意味でも、一度は観ておきたい演目です。

(参考資料:上記公演筋書き、『増補版歌舞伎手帳』角川学芸出版、『歌舞伎ハンドブック第3版』三省堂、『徹底図解歌舞伎の事典演目ガイド181選』新星出版社)

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与話情浮名横櫛の見どころと見せどころ

2017年4月17日配信

「いい景色だねえ」──『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』の二人の主人公、お富と与三郎はすれ違いざま互いに一目惚れ。このせりふは、その去り際、お富が景色にこと寄せて与三郎をほめるものです。一昨年、十年ぶりにお富を演じたという玉三郎が艶っぽくこのひとことを口にしたときには、海老蔵演じる与三郎に見惚れる多くの女性客が、そう、その通りと思ったのではないでしょうか。この後、お富に見とれた与三郎が羽織を落とす“羽織落とし”が続きます。

『与話情浮名横櫛』は通称『切られ与三』『お富与三郎』という世話物です。大店の養子与三郎は、後から生まれた実子に店を譲るためわざと身を持ち崩して木更津に預けられ、浜辺で土地の親分赤間源左衛門の妾お富に出会い恋に落ちます。逢い引き現場を押さえた源左衛門によって、与三郎は総身に傷を付けられ、お富も海に身を投げますが、二人とも助かります。お富は助けてくれた多左衛門(実は実兄)の世話を受け、与三郎はならず者に身を落とします。初演は嘉永六(一八五三)年三月、江戸中村座。九幕三十場の長編ですが、今日では、冒頭のせりふが登場する二幕目「木更津海岸見染(きさらずかいがんみそめ)の場」と四幕目「源氏店(げんじだな)の場」が繰り返し上演されています。源氏店は玄冶店(げんやだな)のことで現在の日本橋三丁目あたりを指します。「見染」の後「赤間別荘(あかまべっそう)の場」が入ることもあります。最近では平成二十五年に明治座で染五郎の与三郎、七之助のお富で上演しており、これが入るとどうやって“切られ与三郎”になるのかがすっとわかります。春日八郎ヒット曲『お富さん』の題材としても有名。

 色悪の立役と立女形の美しさ艶めかしさもさることながら、この狂言では、いくつもの名ぜりふ、名場面が観る者を魅了します。せりふでは、冒頭の他に「源氏店」での与三郎の長せりふ「しがねえ恋の情が仇、命の綱の切れたのを〜」も有名で、掛詞(かけことば)を多用しながら調子をつけ、歌うように語られます。仲間の蝙蝠安(こうもりやす)に連れられてゆすりに入った妾宅で、与三郎は偶然にもお富に再会し、さまざまな思いを込めながらお富をゆするのです。このときお富は、『お富さん』の歌詞にもあるように「仇な姿の洗い髪」で藍色の縞の着物をまとい、湯上がりの艶めかしい姿。対して与三郎は豆絞りの手拭いを頬被りし、顔の傷を隠していますが、それでもなお男の色気を感じさせます。このせりふの前には、お富が、軒先で雨宿りをする番頭藤八を招き入れ、化粧をさせてからかう場面があり、笑いを誘います。舞台のしつらえ、衣裳、せりふなど、隅々まで江戸の粋な感覚が溢れる『与話情浮名横櫛』は、ドラマティックなストーリーとあいまって、観客を異次元にいざなってくれます。

(参考資料:公演筋書き、『増補版歌舞伎手帳』角川学芸出版、『歌舞伎ハンドブック第3版』三省堂、『徹底図解歌舞伎の事典演目ガイド181選』新星出版社、『魅力満載! 一番わかりやすい歌舞伎イラスト読本』実業之日本社、『役者がわかる! 演目がわかる! 歌舞伎入門』世界文化社、『知らざあ言って聞かせやしょう 心に響く歌舞伎の名せりふ』新潮社)

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暫の見どころと見せどころ

2017年5月19日配信

 色彩豊かでユニークな衣裳、お決まりのせりふや堂々たる見得、ヒーロー大活躍の勧善懲悪物語……。そんな江戸歌舞伎の楽しさを満喫できるのが、七世團十郎が制定した歌舞伎十八番の内の『暫(しばらく)』です。主人公は鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)。顔に紅い筋隈を描き、頭には左右の鬢(びん)が棒状に分かれて横に張り出した車鬢(くるまびん)の鬘(かつら)。その髻(もとどり)には勇気の象徴で魔除けの呪力を持つという白の力紙(ちからがみ)が付いています。一番上に着た素襖(すおう)は、三升紋をあしらった大きな袖に、籐の棒を通してぴんと張った独特のスタイル。大小刀に加えて二メートル余りの大太刀も差し、荒事の主人公らしい勇壮な出で立ちで登場します。

『暫』は一幕ものの狂言です。幕が開くと、鎌倉鶴ヶ丘八幡宮の社頭に登場人物がずらり。顔に藍隈を描いた敵役の中納言清原武衡(きよはらたけひら)、赤っ面の家来たち、鹿島入道震斎(かしまにゅうどうしんさい)、那須九郎妹照葉(なすくろうのいもうとてるは)、そして善良な加茂次郎義綱(かもじろうよしつな)、桂の前……。華麗なこの幕開けが最初の見どころです。やがて武衡が、自分に従わない善良な男女の首を斬らせようとするのですが、そのとき、揚幕(あげまく)から「しばら~く」「しばら~く~」と声をかけ、景政が花道に登場、“つらね”を披露します。“つらね”は主に荒事で演じられる、長ぜりふのことで、役者の見せどころです。さらに本舞台に上がると元禄見得をし、大太刀をひと振りして仕丁(じちょう、雑役夫のこと)の首を一度に切り落とすなど大奮闘。善人は助かり、景政は花道へ出て「ヤットコドッチャウントコナ」のかけ声とともに右手右足、左手左足を一緒に出し大きく動かす演技“六法”で引込みます。「しばらく」のかけ声からこの引込み六法まで、景政の一連の演技がなんといってもいちばんの見どころ。勇ましい若衆の小気味よいヒーローぶりが堪能できます。また、照葉が実は善人の味方というどんでん返しや、震斎のコミカルな演技などの趣向もあり、約五十分の上演時間があっという間に過ぎます。

 三升屋兵庫(みますやひょうご)というペンネームで元禄の江戸を代表する狂言作者だった初世團十郎*1。『暫』は、その初世が自作自演した初演が原型とされています。元禄十(一六九七)年一月江戸中村座でのことで、『参会名護屋(さんかいなごや)』のなかで「しばらく」と言って登場したといいます。現行演出のもととなっているのは明治二十八(一八九五)年十一月、九世團十郎が勤めた台本です。代々團十郎が受け継いできた“暫”ですが、現代では成田屋だけでなく、幸四郎や十七世羽左衛門など他家の俳優も演じています。『女暫』という、女形が“暫”を演じる狂言もあります。一昨年には玉三郎が、つややかでいて荒事味もたっぷりの、見応えある舞台を披露しています。

 江戸時代中期から幕末まで、『暫』は毎年十一月顔見世の恒例でした。とはいえ、観客が飽きないように、世界(作品の背景となる時代や事件)も役名も年によって異なる形で上演されたため、それぞれの役には通称が生まれました(このメルマガで使っている役名は現在の通例)。景政は登場するときのかけ声から“暫”、武衡は“暫”を受けて立つので“ウケ”、家来たちは赤い肉襦袢を着て腹を出しているから“腹出し”(“中ウケ”と呼ばれることもあります)、震斎は丸坊主で長いひげをのばしているので“男なまず”、照葉は長い耳ジケ(耳の後ろに下がっている毛)から“女なまず”(“男なまず”についているからとも)、善人たちは太刀の下で首が飛びそうになるから“太刀下”です。こうした通称のおかげで、江戸の昔も今も、芝居好きは“いつもの痛快な『暫』”を観て、同じように溜飲を下げることができるのです。

(参考資料:*1平成二十一年五月歌舞伎座大歌舞伎筋書きより(文:古井戸秀夫) 参考資料:公演筋書き、『増補版歌舞伎手帳』角川学芸出版、『新版 歌舞伎事典』平凡社、『歌舞伎ハンドブック第3版』三省堂、『徹底図解歌舞伎の事典演目ガイド181選』新星出版社、『役者がわかる! 演目がわかる! 歌舞伎入門』世界文化社)

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お染の七役の見どころと見せどころ

2021年2月12日配信

 歌舞伎座「二月大歌舞伎」では、『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』で、玉三郎と仁左衛門の黄金コンビが登場。円熟した演技で観客の胸を熱くさせています。この演目を通称で『お染の七役(ななやく)』と呼びます。

なぜ『お染の七役』?

『お染の七役』と呼ぶ理由は、一人の女形が質店油屋のお染、丁稚久松、お染の母貞昌、奥女中竹川、土手のお六、久松の許嫁お光、芸者小糸の七役を演じるためです。各場に早替わりが盛り込まれており、有名なシーンは、大詰めの舞踊劇で舞台から花道に入ったお染が、花道の七三で、反対側からやってくるござをかぶった男(吹き替えの久松)とすれ違いざまに久松になるところ。わかっていても感動の場面で、場内は拍手喝采で沸き立ちます。2018年12月、この全役を若手俳優壱太郎が演じて話題となりました。NHK WORLD*でその映像のダイジェスト版(2分弱)を使って七役を紹介しているので、英語のみですがどんな役柄なのかを視覚的に知ることができます。このときは玉三郎が監修。若手育成に力を入れている玉三郎の意気込みを感じさせます。玉三郎が『お染の七役』を初演したのは21歳のときで、前進座の五世河原崎國太郎に指導を受けています。一役のみや日替わり配役も含めると、この演目への出演は今回で9回目**。
 なお、七役は別の役名になることもあります。

土手のお六と鬼門の喜兵衛

 今月歌舞伎座にかかっている『お染の七役』では、玉三郎が土手のお六、仁左衛門が鬼門の喜兵衛を演じています。早替わりはなく、両役が登場する、序幕「小梅莨屋の場」と第二幕「瓦町油屋の場」を上演。2018年3月にも同配役で同場面を上演しており、このとき仁左衛門は実に41年ぶりの役で、玉孝時代に観て懐かしく思う世代から初めて観る世代までをあまねく魅了しました。お六は悪婆(あくば)の役柄で、気っ風がよく男まさりの反面、複雑な人生の背景を彷彿させる奥深い色気が漂う女性。まさに年輪を重ねた俳優の真骨頂を味わえる役です。そして鬼門の喜兵衛。こちらも悪役ですが、仁左衛門が演じると危険な色気にあふれていて、ドキドキします。どちらの役も憎めないところがあって、そこも魅力。

四世鶴屋南北と五世半四郎、五世幸四郎

『お染の七役』は江戸時代の文化文政期(1804〜30年)を代表する作者、四世鶴屋南北が、五世岩井半四郎にあてて作った狂言です。有名なお染久松の心中事件を題材としています。文化10(1813)年3月江戸守田座初演。「三まくの内に早がはり卅余度」(『役者繁栄話』)と目まぐるしく早替わりする演出で、“目千両”つまり目だけで千両と言われた美貌の役者、半四郎の演技力が際立ちました。五世半四郎はこの演目のお六で、悪婆の役柄を完成させました。喜兵衛は実悪で大いに名をなした五世幸四郎。つまり文化文政期江戸歌舞伎に大活躍した二人が登場した狂言なのです。四世南北は生世話という写実性の高い世話物の作風を確立しており、この演目にも活かされています。その後上演が途絶えますが、渥美清太郎が、前述の五世國太郎のために書いた改訂版で昭和9(1934)年に復活上演し、今にいたります。

澤瀉屋版

 渥美清太郎改訂版を土台にして奈河彰輔・市川猿翁(上演当時猿之助)が改補演出した作品が、平成3(1991)年に市川猿翁の七役で上演されました。改訂版で割愛されていた、南北原作のお家騒動を土台にし、さらに、序幕第一場で七役すべてを登場させる趣向。平成23(2011)年、「二月花形歌舞伎」で四代猿之助(当時亀治郎)が再演して好評を博しました。ちなみにこのときの喜兵衛は十代幸四郎(当時染五郎)。筋書きのインタビューで猿之助(亀治郎)が、観客に早替わりしたことがわからないと面白さが半減するので工夫がいるといった主旨のことを語っています。観ている側は単純に喜んで拍手をしているわけですが、なるほど役ごとに表情や所作やせりふ回しを変えるだけでなくそこまで工夫するのかと思うと、早替わりの奥深さに感じ入るばかりです。

上:七役、下左:中央が四世鶴屋南北で右が岩井半四郎、下右:お六に扮する半四郎と喜兵衛に扮する幸四郎。ちなみに棺桶は南北得意の小道具***/四世鶴屋南北作、歌川国貞(三世歌川豊国)画、河内屋太助出版『於染久松色読販 4巻首1巻 [1]、[3]〜[5]』1(国立国会図書館所蔵)「国立国会図書館デジタルコレクション」収録 https://jpsearch.go.jp/item/dignl-2554671

※画像はすべて書籍の形に合わせてトリミングしています(2023年5月16日加筆)

(参考資料:『新版 歌舞伎事典』平凡社、『歌舞伎ハンドブック』三省堂、『増補版 歌舞伎手帖』角川ソフィア文庫、『岩波講座 歌舞伎・文楽 第3巻 歌舞伎の歴史㈼』岩波書店***、歌舞伎公演筋書**、
NHK WORLD*:www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/tv/kabukikool/broadcast_2019.html

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