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ARCHIVES『THE NIKKEI MAGAZINE Ai』プレミアムクラブ会員向けメールマガジンその2「人気演目 義太夫狂言編」(2015年11月~2023年3月配信/文:Katsuma Kineya、編集:講談社、配信元:日本経済新聞社)

”四の切り”の見どころと見せどころ

2016年9月23日(金)配信

 今回からしばらくは、人気の高い演目をいくつかご紹介しようと思います。

 この六月、市川猿之助丈が、歌舞伎座新開場後初の宙乗りを演じて話題になりました。テレビでも報道されていましたので、ご存じの方も多いと思います。宙乗りの演目は『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』の「川連法眼館(かわつらほうげんやかた)」。四段目の切(最後の部分)なので俗称“四の切”です。亀治郎時代から演じている役どころで、堂に入ったお芝居でした。

『義経千本桜』原作は全五段。竹田出雲、三好松洛、並木川柳が手がけました。延享四(一七四七)年十一月、人形浄瑠璃の大坂竹本座で初演され、同五年五月、江戸中村座で歌舞伎初演。以降上演を重ねて今日に至っています。四段目の主要人物は、佐藤忠信(さとうただのぶ)実は源九郎狐(げんくろうぎつね)。“初音の鼓”になった親を慕い佐藤忠信に化けた子狐、すなわち源九郎狐は、本物の佐藤忠信がいる川連法眼館で問い詰められ、“初音の鼓”となった親狐への親孝行のため、鼓を携える静御前に同道したと打ち明けます。その話を聞いた義経は心を動かされ、狐忠信に“初音の鼓”を与えることに。喜びにうちふるえる狐忠信は、館に夜討ちを企てる悪僧をこらしめ、去っていきます。

 この狐忠信の物語の着想は、大和の国に伝わった源九郎狐の伝説と、謡曲から浄瑠璃に至る『天鼓』から得ているようです。源九郎狐(源五郎狐とも)は人を化かすいたずらな狐で義経とは関係ありません。謡曲『天鼓』も、中国後漢の伝説に基づいた鼓の名器をめぐる親子の情愛と奇跡を描いたもので、狐とは関係ありません。ところが、近松門左衛門が、浄瑠璃『天鼓』で、女狐の皮で作った名器天鼓を親子狐が守護する筋を作ります。『義経千本桜』の作者は、義経が源九郎といい、“義経”の字が“ギツネ”とも読めるところから、源九郎狐の名を用い、近松の『天鼓』にヒントを得て、さらに吉野山に縁の深い佐藤忠信と結びつけ、狐忠信の物語を作ったといいます(平成十年七月大歌舞伎筋書き参照)。

  “四の切”の見どころのひとつは、狐忠信の狐詞(きつねことば)による独白です。狐詞は「台詞の最初を引っ張るように強く甲高く言い、語尾を早口に消えるように言ったり、“キツネ”を“キンネ”と発音したり、語句の区切り方を変え、人間とは違うキツネの雰囲気をかもし出す」(前出筋書きより)台詞術で、この狐詞でもって、狐忠信は切々と心情を語ります。さらに、そうした親狐を慕う子狐のいじらしい様子から一転、鼓をもらい受けてはしゃぐ姿など、心打たれる場面が続きます。

  “四の切”には音羽屋型と澤瀉屋型の二種類の型があり、音羽屋型は親を恋しがる子狐の心情を細やかに描き、澤瀉屋型はケレン(宙乗りや早替わりなどの仕掛けで妖異をあらわしたり、目先の変化をねらう演出のこと/『歌舞伎ハンドブック第3版』三省堂刊)が多く娯楽性に富んでいます。それぞれに良さがあり、見比べるのも一興です。前述の猿之助丈は澤瀉屋型。四代目小團次から中村宗十郎を経て先々代の段四郎に受け継がれた型です。昭和四十三年、演出家戸部銀作氏発案で、先代猿之助(現猿翁)丈が史上初の近代的な大劇場での宙乗り引込みを演じ、今日まで続いています。

※澤瀉屋の「瀉」のつくりは正しくは"わかんむり"です。

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伽羅先代萩の見どころと見せどころ

2017年3月17日(金)

 女形の大役中の大役とも言われる乳母政岡(めのとまさおか)が登場する時代物、『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』。この政岡は忠義の人で、若君鶴千代(つるちよ)の身替わりに、我が子が目の前で自ら命を捧げ、さらに敵方になぶられても、毅然として顔色一つ変えません。しかし、他の登場人物が去り、一人になってからのくどきの場面では、一転して、我が子を誉め称えながらも、失った悲しみと悔しさを隠しきれず、母の深い情愛を見せます。引き込まれて、思わず目頭が熱くなる場面です。政岡は、ここ十年ほどでも、藤十郎、菊五郎、玉三郎、扇雀、十八世勘三郎など、名だたる重鎮の俳優が演じています。

 物語のもととなっているのは、四代将軍徳川家綱の治世に奥州仙台伊達五十四万石の家中で起こった伊達騒動。この騒動を題材に作られた狂言の中で、奈河亀輔作の『伽羅先代萩』と初世桜田治助作『伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)』をもとに作られた人形浄瑠璃を、さらに歌舞伎に移入したものが、現在上演されている『伽羅先代萩』です。「伽羅」は綱宗が香木の伽羅の下駄を履き廓(くるわ)に通っていたという巷説を、「先代」は伊達藩城下町の仙台、「萩」は奥州の代表的な花を表しているといいます。

 前半は、「竹の間」「御殿/飯炊き(ごてん/ままたき)」で繰り広げられる、女形の芝居が眼目。政岡やその敵役である執権仁木弾正(にっきだんじょう)の妹八汐(やしお)が登場します。「床下」「対決」「刃傷」と続く後半は、仁木弾正や忠臣荒獅子男之助(あらじしおとこのすけ)など立役中心の芝居で、妖術も出てくるエンターテインメント性の高い展開となります。弾正は討たれ、勧善懲悪ですっきりした気持ちになったところで幕引き。「御殿/飯炊き」「床下」だけの上演も人気で、この二幕は『伊達の十役(だてのじゅうやく)』にも取り入れられています。

 本作では、政岡の子千松が身を捧げて若君を守りますが、人気演目にはこうした幼子の忠義物語がほかにもあります。例えば『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』「寺子屋」では、身替わりとなった息子の首を、その父親が首実検(首が本物かどうかを検分すること)します。自分の息子の首を見て、主君の子であると偽証するのです。また、『近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)』「盛綱陣屋(もりつなじんや)」では、高綱の子で捕虜となった小四郎が、高綱の首とされている首実検の贋首が父高綱の首であると見せかけるために、贋首を見るやいなや、父を追うかのように切腹します。いずれも歌舞伎らしいドラマティックな話で、衝撃的ではありますが、眼目は親子の情愛であり、子を失った悲しみがさまざまな形で表現されています。

 思いがけない展開があり、登場人物それぞれの個性が際立つ『伽羅先代萩』は、歌舞伎の面白さが凝縮された狂言。そうした華やかさに、政岡がくどきで見せる哀れで痛々しい母親の姿が深みを加え、心に残る作品となっています。

(参考資料:公演筋書き、『増補版歌舞伎手帳』角川学芸出版、『歌舞伎ハンドブック第3版』三省堂、『徹底図解歌舞伎の事典演目ガイド181選』新星出版社、『魅力満載! 一番わかりやすい歌舞伎イラスト読本』実業之日本社、『役者がわかる! 演目がわかる! 歌舞伎入門』世界文化社)

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恋飛脚大和往来の見どころと見せどころ

2017年6月16日(金)

 上方(かみがた)世話物の代表的な狂言といえば、『恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい)』。現在は“封印切(ふういんきり)”と“新口村(にのくちむら)”の二幕が上演されており、通称『梅川忠兵衛(うめがわちゅうべえ)』。傾城の梅川とその恋人亀屋忠兵衛の物語です。

“封印切”には、観るたびに「あぁ、やっちゃったねぇ」と胸がキュッと痛む場面があります。忠兵衛が梅川の身請けを競う相手、丹波屋八右衛門(たんばやはちえもん)に挑発され揉み合ううちに、公金の封印が切れてしまうシーンです。チャリチャリチャリ~ン。「五十両~」。チャリチャリチャリ~ン。「百両~」と言いながら、やけになって預かっている三百両の残りの封印もすべて切り小判を畳に落としていく忠兵衛。公金の封印を切ってしまえば死刑です。それがわかっていながら、忠兵衛は、恋しい梅川と夫婦になるため虚しい意地を見せるのです。

 忠兵衛は、今でいう草食男子風の、なよなよとした情けない色男の役どころ(和事師といいます)で、金の輸送をする大坂の飛脚屋の養子。梅川を身請けするために借金をして手付金五十両を払ったものの、後金の工面ができずにいます。梅川の顔を見たくて、武家屋敷へ届けるはずの三百両を懐に、つい梅川がいる新町(大坂の花街)槌屋(つちや)に来てしまいます。途上で「梶原源太はわしかしらん」と気取るのですが、その様子がいかにも能天気なぼんぼん風で、物語の展開をそこはかとなく予感させます。ちなみに梶原源太(景季/かげすえ)は鎌倉一の風流男と謳われた人物です。槌屋では裏の座敷で梅川と密会しますが、やがて表座敷に八右衛門がやってきて、忠兵衛の悪口三昧。身を隠していた忠兵衛ですが、我慢しきれず姿を現し、封印切り場面へと続きます。八右衛門と忠兵衛の応酬は当意即妙でアドリブ風。そこが上方世話物らしい見せどころで、封印切りのクライマックスへと盛り上がっていきます。この芝居に限らず、アドリブやその時々に話題になっている事柄をうまくせりふにはさみ込むのは歌舞伎の常道ですから、そうしたせりふの面白さを気に留めて観るのも楽しいものです。

 さて色男の忠兵衛。見得を切って梅川を身請けしたはいいけれど、あとは逃避行しかありません。二人はその逃避行で忠兵衛の実父である孫右衛門(まごえもん)の在所、大和国新口村へたどり着きます。この場面が“新口村”です。追っ手のかかる身のため、忠兵衛も梅川も孫右衛門に名乗りを上げることはできません。梅川は雪に足を滑らせた孫右衛門を介抱しますが、忠兵衛は身を隠しています。孫右衛門も気づいてはいるものの、養家を慮って知らぬ振りをするのです。その胸中を察して梅川は孫右衛門に目隠しをし、忠兵衛に会わせます。やがて梅川と忠兵衛は去り、孫右衛門は万感の思いを込めてそれを見送ります。“新口村”の見どころの一つは梅川と忠兵衛が、黒地に揃いの裾模様の衣裳で、雪の新口村に立つ美しさ。そして孫右衛門の登場まで二人が隠れている家の前を通るひとびとの滑稽な様子。さらに、孫右衛門と梅川の情感溢れる芝居も見逃せません。

『恋飛脚大和往来』は、近松門左衛門の世話浄瑠璃『冥途(めいど)の飛脚』を、菅専助が歌舞伎として改作した『けいせい恋飛脚』が原作。近松の浄瑠璃は、宝永七年、忠兵衛なる人物が女のために公金を横領して牢死した実話をもとに書かれたといいます。勧善懲悪で気分がすっきりする舞台も楽しいですが、この演目のように、時代は違えども、今でもあるような男女の話を題材にした世話物も、歌舞伎の奥深さを知るうえでおすすめです。

(参考資料:公演筋書き、『増補版歌舞伎手帳』角川学芸出版、『新版 歌舞伎事典』平凡社、『歌舞伎ハンドブック第3版』三省堂、『徹底図解歌舞伎の事典演目ガイド181選』新星出版社、『魅力満載! 一番わかりやすい歌舞伎イラスト読本』実業之日本社)

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熊谷陣屋の見どころと見せどころ

2021年3月19日配信

 今月も歌舞伎公演はすばらしい俳優陣とバラエティに富んだ演目で目移りしてしまいますが、なかでも見るたびに涙を誘われる名作が、歌舞伎座「三月大歌舞伎」でかかっている『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』三段目の「熊谷陣屋」。主役の熊谷次郎直実は、齢を重ねて得た人としての厚みが演技ににじみ出るような役。今月は仁左衛門が勤めています。

「熊谷陣屋」の人気の秘密

「熊谷陣屋」は毎年のように上演される人気の高い演し物です。直実は主君に忠実であるために我が子を手にかけざるをえないのですが、その事実を隠している前半では、殺されたことになっている平敦盛の母藤の方に戦場の様子を身振り手振りを交えて語るところが見どころ。後半は義経が訪れ首実検をし、実は直実と妻相模の子小次郎であることがわかるのですが、そのときの相模のくどきが胸を打ちます。さらにどんでん返しがあり、敦盛は、頼朝と義経の恩人である老人に預けられます。
 そしてクライマックスが、我が子を犠牲にし世の無常を悟り出家するに至った直実が、まさに万感の思いを込めて幕外で語る名ぜりふ。「今ははや、何思うことなかりけり、弥陀の御国へ行く身なりせば、アア、16年は一昔、アア、夢だ夢だ」。16年前は息子が生まれた年でもあり、直実自身の転機の年でもありました。花道を引っ込んでいく直実を送り出す三味線の音も、観客の心に深く響きます。

浄瑠璃『一谷嫩軍記』

「熊谷陣屋」は全五段の浄瑠璃『一谷嫩軍記』の原作のうち三段目の切です。一〜三段まで書いたところで作者の並木宗輔は亡くなりました。後を継いで完成したのは、浅田一鳥、浪岡鯨児、並木正三。初演は宝暦1(1751)年です。
 引っ込みの名せりふは原作にない歌舞伎の“入れ事”で、昔は言わない人もいました*。
 現在は「熊谷陣屋」単独で上演されることが多いのですが、ほかに二段目の「陣門・組打」もかかることがあります。平成20(2008)年3月に上演された際は、十二世團十郎と喜寿記念も兼ね東京に出た四世藤十郎の、東京初、つまり江戸時代から今までの歌舞伎史上初の共演となった公演での演し物でした。

桜の木の横にある立札の謎

 舞台には、三月の公演にふさわしい満開の桜の木があり、その傍らに、立札(制札)があります。ここに書いてあることが、実は物語の鍵。内容は「一枝を伐らば一指を剪るべし」で、表向きは「一枝を切ったものは、その罰として指を一本切る」という恐ろしい禁令ですが、一指には一子の意味が隠されています。つまり「敦盛を討つつもりで、お前の息子を身代わりに切りなさい」ということなのです*。これを渡されるのは大序の「堀川御所」。平成24(2012)年3月、十二世團十郎により98年ぶりに「流しの枝」「熊谷陣屋」とともに国立劇場で上演されています。
「熊谷陣屋」ではこの立札を持って「制札の見得」をする場面があり見どころですが、背景を知るとより楽しめます。

配信版『須磨浦』

 2020年8月29日、『一谷嫩軍記』を土台に吉右衛門が松貫四の名で書き下ろし、構成演出を手掛けた『須磨浦』が配信されました(同年9月1日までアーカイブ配信)。観世能楽堂で無観客での一人芝居でしたが、圧倒的な世界観と演技で画面に釘付けになりました。その第一場が「堀川の御所」。続く第二場が「須磨浦」。ここには「組打」の場面が盛り込まれ、見終わった後の余韻に歌舞伎舞台での吉右衛門の姿が重なり、さらに胸に迫るものがありました。
 なお「組打」は「壇特山(だんどくせん)」とも呼ばれます。壇特山は釈迦が出家したとき従者と別れた場所とされ、段切りの浄瑠璃に「壇特山の憂き別れ〜」という詞章が出てくるためです。並木宗輔は臨済宗成就寺の出身のため、仏教の深い知識がありました。
 直実は初世吉右衛門が大切にしていた役。七世、九世團十郎が練り上げた型を完成させたといわれています。『須磨浦』は、その直伝にさらに磨きをかけ、精神世界までを含めた奥深さを披露した演目でした。

『須磨浦』は配信が終了していますが、この配信を行った「Streaming+」だけでなく、「歌舞伎オンデマンド」「Amazon Prime Video」などさまざまなサービスで歌舞伎関係の動画を見られるので、ときどきチェックしてみるのもおすすめです。

五代目市川海老蔵 「熊谷次郎直実」歌川国升画、 1849年/メトロポリタン美術館(Public Domain)
※メールマガジン配信時の画像に差し替え(2023年5月17日)

(参考資料:『知らざあ言って聞かせやしょう 心に響く歌舞伎の名せりふ』新潮新書*、『もう少し浄瑠璃を読もう』新潮社、『演劇界2020年11月号』演劇出版社、『新版 歌舞伎事典』平凡社、『歌舞伎ハンドブック』三省堂、『増補版 歌舞伎手帖』角川ソフィア文庫、『市川團十郎・代々』講談社、歌舞伎公演筋書)

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