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ARCHIVES『THE NIKKEI MAGAZINE Ai』プレミアムクラブ会員向けメールマガジンその4「便利な基礎知識編」(2015年11月~2023年3月配信/文:Katsuma Kineya、編集:講談社、配信元:日本経済新聞社)

初心者のための見どころと見せどころ

2018年6月29日配信

 前回まで歌舞伎の家についてご紹介しましたが、いつの時代も魅力的な役者がいて、ファンを惹きつける創意工夫がありましたよね。まとめていて思ったのは、やっぱりミーハーでいいのね、ということ(笑)。贔屓の役者を追いかけ、おもしろいと思った演目があれば何度も見る。そういうファンがいてこそ、4世紀以上も続いているんです(笑)。というわけで、ミーハー気分で歌舞伎を楽しむ仲間が増えることを願って、今回からはしばらく、初心者向けの情報をご紹介します。

どの公演を観ればいいの?

「どの公演を観ればいいのかわからない」。初心者にとって、実はこれがまずいちばんの悩み。でも、選び方は、映画や演劇、コンサートなどと同じです。好きな俳優が出ている、話題になっている、駅貼りポスターで見ておもしろそうだと思ったなど、自分のアンテナに触れたものを選べばいいんです。あるいはドラマに出ていた俳優を“ナマ”で見たいな、とか。これから上演される公演でおすすめなのは『歌舞伎座百三十年 七月大歌舞伎』昼の部『三國無雙瓢箪久(さんごくむそうひさごのめでたや)』夜の部『源氏物語』。ともに海老蔵の宙乗りがあり、スペクタクル性も高そうです。とくに夜の部は海老蔵の美しい源氏を見ているだけで、十分元が取れます。すでにチケットは販売中なので、お早めに。

チケットはどうやって買うの?

 おすすめは、インターネットで『歌舞伎美人』の公演情報を確認し、ページ内の案内に従って『チケットWeb松竹』や電話でチケットを購入する方法。公演情報には出演者や演目のみどころも掲載されています。チケットは上演劇場窓口やプレイガイドでも入手可能。歌舞伎ファンのなかには、好きな役者やその役者の家の後援会に入っている人も多いので、周囲にそういう方がいれば、チケットを頼んでも。

どの席がいいの?

 お金に余裕があれば1等席。歌舞伎座なら1階7〜9列目あたりがおすすめです。オペラグラスなしでも役者の表情が見え、舞台全体もある程度見えます。花道に近ければ、目が合う(合った気がする)ことも。舞台全体をよく見渡せる席がよければ、2階の正面前方。3階の正面前方も、安くてよく見えるし声もよく聞こえます。3階A席は足繁く通うコアなファンも多い席。2階、3階の東側も、花道まで見えてよいと思います。個人的には、贔屓役者の公演は、違う席で2回見るのが理想。1回目は顔の筋肉の動きまでよく見える1階1〜2列目中央付近か7〜9列目花道横(花横)7〜9番、2回目は全体を俯瞰して見られる2階正面最前列。なかなか実現できませんが。

観劇に必要なものは?

 友人などで初めてという方には、筋書(プログラム)の購入、イヤホンガイドの借用、席によってオペラグラスを持参または借用することをおすすめしています。筋書は思い出にもなるし、あらすじだけでなく、演目に関連するエッセイやコラム、役者へのインタビューなどが掲載されていて、幕間の読み物にぴったり。イヤホンガイドはセリフを邪魔することなく適宜説明を入れてくれます。ちなみに私は、空調が効きすぎている場合に備えて、ストールやスカーフを必ず携帯します。

予習は必要?

 結論からいうと、必要ありません。少し早めに行って、筋書を読んでおくだけで十分楽しめます。歌舞伎というと、予習をしなければと思う方もいるようですが、そう思わせてしまうのが、歌舞伎の残念なところかもしれません。普通の芝居と同じで、面白いと思ったら、次回は、気になる俳優についてググっておく、観る予定の演目について『歌舞伎美人』で読んでおくなど、興味のおもむくままに知識を入れてみてください。

座席で飲食はできるの?

 歌舞伎座や新橋演舞場、大阪松竹座、京都四條南座、リニューアルした御園座などは、座席での飲食が可能です。他の劇場の場合は飲食できないこともあるので、事前に確認を。

拍手はいつするの?

 たいてい、役者(とくに座頭などの人気役者)が見得を切ったとき、決めぜりふを見事に終えたときなどに拍手が沸き起こります。「そうそうそれよ。それを見にきたの」という喜びを、観客が拍手で表すんですね。最初はわからないのが当たり前なので、周りに合わせればいいと思います。

 次回は、劇場内の様子や舞台、舞台装置などについてご紹介します。

(参考資料:『新版 歌舞伎事典』平凡社、『歌舞伎ハンドブック第3版』三省堂、『歌舞伎の解剖図鑑』エクスナレッジ、『歌舞伎一年生』筑摩書房)

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花道の見どころと見せどころ

2018年7月27日配信

 観客冥利に尽きる、うっとり三昧の席といえば、花横。すなわち花道の横の席です。とくに「花道いつものところ」近辺は、俳優の表情の変化を、つぶさに、視線が絡むまで(笑)、見ることができる特等席。

「花道いつものところ」とは?

 では、この「花道いつものところ」はどこなのかというと、読んで字のごとしで、「役者がいつも演技をするところ」。花道の上では、演技をする場所が決まっているのです。
 花道とは、舞台向かって左側にある、客席を貫いて設置された通路のこと。舞台と同じ高さで、舞台から場内後方、役者が引き込む「揚幕」へと続きます。「花道いつものところ」はこの揚幕から七分、舞台から三分の位置。
 役者はここで見得を切ったり、独白をしたり、早替わりをしたり……。さまざまな見せ場を披露して、ファンの熱い視線を一身に浴びるわけです(笑)。

 現在では「花道いつものところ」は「七三」と呼ばれることも多いのですが、七三は、もともとは、揚幕から三分、舞台から七分の位置を指しました。役者の花道登場、つまり「出端(では)」に際して演技が行われる場所です。
 役者が出るときには「チャリン」という音が鳴るのでわかりやすいのですが、この音が、引っかけに使われることもあります。たとえば人気演目『義経千本桜』の早替わり場面。見ていない方にはネタバレになってしまうので、ここでは詳しくご紹介しませんが、気になる方は、また公演があるときにぜひ確かめてみてください。

 ちなみに、常設の花道は本花道。演目によっては、右側にも設けられることがあり、そちらは仮花道。また揚幕の奥には控え室の「鳥屋(とや)」があり、東京ではここまでを揚幕ということも。

異界の存在は「スッポン」から登場

「花道いつものところ」で演技する役者は、揚幕や舞台からだけでなく、奈落からも登場します。この際に使う仕掛けが「スッポン」。2.5尺(約75cm)×5尺(約151cm)の切穴で、床が昇降します。幽霊や妖怪、呪術を操る人物など、この世のものではない役によく使われます。ときに煙を伴い、奈落の底から徐々に姿を現すさまはおどろおどろしく、まさに異界からやってくるようで、ドラマティックな効果抜群です。

花道の見どころ

 花道のいちばんの魅力は、贔屓にしている俳優をかぶりつきで観賞できることですが(笑)、細長い形状を利用した独特の演出も注目したいところです。
 たとえば『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』四幕目の「稲瀬川」では、盗人グループの白浪五人男が花道に勢揃いします。蛇の目傘を手に一人一人登場し、最後にずらりと並ぶさまは、美しくもふてぶてしい、悪の華そのもの。花道が客席の中を通っていることで、観客と役者の一体感が増し、否が応でも芝居に引き込まれていきます。
 花道は、18世紀半ばには、歌舞伎の舞台に不可欠の要素となっていたといいます。江戸時代も今も、役者との一体感を味わいたいという観客の気持ちは、変わらないようですね。

 花道は、重要な登場人物の見せ場だとしてだけでなく、舞台転換の場つなぎとして、観客の注意を舞台からそらすために使われることもあります。逆に、空間的な隔たりを利用した、スケールの大きい演出の一翼を担うことも。いずれにしても、自然と注意が向く方に視線を注ぎ、耳を傾けていれば、演出の意図通りに物語を楽しむことができます。

 仮花道が設置されると、一体感の効果は絶大で、劇場全体が舞台のように感じられることもあります。たとえば二月の高麗屋襲名披露公演では、口上を兼ねた『壽三代歌舞伎賑(ことほぐさんだいかぶきのにぎわい)』で、両花道にそれこそ花の役者が居並び、場内が熱気に包まれました。

なぜ花道なの?

 花道と呼ばれるようになった由来は諸説あるようです。役者にハナ(祝儀)を渡すための道だったとか、花の役者が通るからとか、役者が花を飾って(美しく装って)通るからとか。いつも贔屓の俳優が通るのを心待ちにしているファンにとっては、花の役者が通る道という解釈がいちばん納得できますね。

(参考資料:『新版 歌舞伎事典』平凡社、『歌舞伎ハンドブック第3版』三省堂、『歌舞伎の解剖図鑑』エクスナレッジ、『二月大歌舞伎筋書き』歌舞伎座)

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幕の見どころと見せどころ

2018年8月30日配信

 歌舞伎では、舞台と観客を隔てる幕だけでなく、劇中でもさまざまな幕が登場し、大道具として巧みに使用されます。

芝居の区切りに使われる「定式幕」

 劇場で着席したとき最初に目に入るのが、舞台に引かれている3色縦縞の幕。この幕は定式幕(じょうしきまく)と呼ばれ、幕開きと幕切れに使われます。幕開きでは、柝(き)の音とともに定式幕が下手(舞台向かって左)から上手にザーッと引かれ、左側から徐々に舞台が現れます。幕切れは、定式幕が閉じられた後、さらに芝居が続くことも。これを“幕外(まくそと)”といい、『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』「熊谷陣屋」熊谷直実の涙を誘う場面や『勧進帳』弁慶が六方で引込むところなど、見せ場に使われます。開閉を行うのは、裏方の“幕引”。演目や俳優に合わせ、匠の技を駆使します。

 定式幕は、寛永10(1633)年、初世中村勘三郎が幕府から拝領した幕を、中村座に使用したことが起源とされています。江戸三座で異なる色合わせ・色順の幕を使いました。中村座の色は、左から「黒」「白」「柿色」。今は平成中村座公演で見ることができます。残り二座は、通説では森(守)田座が「黒」「柿色」「萌葱(もえぎ=濃い緑色)」、市村座が「黒」「萌葱」「柿色」。現在、前者は歌舞伎座、後者は国立劇場で使用されています。

 ところで、この、横に引く幕、称して“引幕”は、欧米の演劇にはない形式。日本でもかつては江戸幕府から許可を得た芝居小屋でのみ使用できました。許可のない小屋は、緞帳で代用したそうです。引幕は、一枚で作られたものが主流ですが、二枚にわかれていて左右に引く形もあります。

演出に欠かせない「浅葱幕」

 浅葱(浅黄とも書く)幕は、水色の幕で日中の屋外を表し、ドラマティックな場面転換にも使われます。柝(き)のきっかけ(合図)とともにパッと下に落ちると、絢爛豪華な場面などが現れるのが“振落し”、逆に瞬間的に場面を覆うのが“振かぶせ”。とくに“振落し”は一瞬にして美しくきらびやかな世界が出現することが多いので、浅葱幕が引かれているとワクワクします。“幕前”で、物語の補足説明やコント風の演技が行われる際にも使われます。ちなみに、物語のつなぎに、腰元や大名、通行人などに扮し、大勢並んで演技をする役者は“仕出し”。

背景として使われる「黒幕」

 黒一色の幕。夜の場面の背景に使われます。また、浅葱幕と同じように、“振落し”で瞬間的に見事な背景画が現れる演出も。表に出ない大物を指す“黒幕”は、この黒幕が由来。

背景を描いた「道具幕」

 風景画を描いた幕。絵柄に合わせて浪幕、山幕、野遠見(のとおみ)、塀が描かれた網代(あじろ)幕などがあります。浅葱幕同様に“幕前”の演出に使われることも。

見えないことにする「消し幕」

 黒衣(くろご)と同じように、約束事として、観客からは見えないことになっているのが、消し幕。普通は小さい黒幕で、死骸を片付ける際の被いとして使います。ただし、舞台上での着替えなどには緋色の幕を使用。見慣れてくると、存在感ゼロで、確かにまったく気にならないのは、不思議なものです。

人の出入り口に使う「揚幕」

 前回の花道でご紹介した、花道突き当たりの揚幕のほかに、舞台上に設けることもあります。こちらは上手(かみて)揚幕。ともに紺地に白の座紋が入っています。

目隠しの「一文字幕」「袖幕」

 舞台飾りの見切れてしまう部分などを隠す一文字幕は、舞台天井の手前側に横に細長く配置された幕。袖幕は舞台左右に吊られた黒い幕です。

記念興行などに贈られる「贈り幕」

 祝幕とも。襲名記念興行などの際、贔屓筋から贈られる幕。公演中、口上やゆかりの狂言などで、定式幕の代わりに使われます。最近では、高麗屋三代襲名公演時の、草間彌生作の贈り幕が話題になりましたよね。

霧やぼかしに使う「紗幕」

 透ける布で作られた幕。照明効果との組み合わせで、幻想的な場面の演出にも使われます。

緞帳は使わないの?

 明治12(1879)年開場の新富座から、新歌舞伎や松羽目物の舞踊などにかぎり、緞帳も使うようになりました。ちなみに歌舞伎座などでは、幕間に緞帳を紹介しています。

 実用から演出効果まで、布一枚がこれほどいろいろな役割を担うのも、歌舞伎特有。江戸時代にはほぼできあがっていたといいますから、先人の知恵には脱帽です。

(参考資料:『新版 歌舞伎事典』平凡社、『歌舞伎ハンドブック第3版』三省堂、『歌舞伎の解剖図鑑』エクスナレッジ、『歌舞伎美人』)

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