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全体公開の書 2/13

○生老病死

これも、あり方の一つなんだわね。だけど「生」が出来ていなかったら
あとの「老病死」で
納得行く人生は、待っていない。

基本は、生まれることであり
生きることなんだわね。

生き方が決まるから、以降「老病死」が
ついてくる形になる。

これを見ているのはほとんどが人だから
どんな四次元世界、高次元世界の存在を説いたところで
「老病死」は避けて通れない世界なんだわね。

ただ、人間として生まれたからには
みんな役割があるんだわね。
だから、子どもを生み育てなければイケナイ
命を後世に繋がなければイケナイ

そういう氣負いはしなくてもいい。
自分を大切に生きなさい。まずは。

ともすれば
今の日本の状況を鑑みれば
「わたしが死んだぐらい、地球から人口が1人減った」位にしか思われないだろう。
とも思われがちなんだけど。
1人1人に、経緯と理由があるだろう?

生き方の件については「衣食住」ね。

>老
人の体には限界がある。時間を重ねるほど多かれ少なかれ、衰えが出てくる物だ。
衰えが出てくるから「知る」事も含めて
老。なんだわね。

>病
人の体の限界の1つ。
思考(アタマ)×行動(カラダ)×感情(ココロ)がチグハグだと
ココロに、違和感、罪悪感や虚栄。
カラダに、疲れ・だるさ・症状。
感情に、イライラ、モヤモヤ、不安感、氣持ち悪さ。
などなどになって現れてくる。

端的に「修正して下さいね」っていう
サインとか暗示とか、表示だったりするんだわね。
無かったことにすると重傷化。
もっと放っておくと死に直結。
単純です。

>死
人生の行き着く先。
今日生まれた赤ちゃんも100年先まで生きている保証はございません。
わたしもあと何年生きるかな?
明日、終わるかも分からん。

そんなこと、誰もが知らんのですよ。
そうだな…
今朝の何気ない「行ってきます!」が
最後になることもある。

昨日食べたご飯が「最後のご飯」になるかもしれん。

可能性ばかりを追っかけても
人間って、生きるときには生きるようになっているし
死ぬときは、どんなに薬石に頼ろうが、神仏頼みでも死ぬ。

カラダの関連としては
生まれ持った物が死を持ってして「人生」としての完結になるのかもしれないけど。

死→終わり。とは思って欲しくないわね。
死→区切り。と考えようかね。

なぜかって、世界は自分が死んだところで
続くんですわね。
このFacebookのページも遺品になるだろう。

だから「生」に還って
「後悔無い生き方」が大事になってくるの。
だから「かけがえのない物」の一つになるんだわね。

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