私利私欲を捨て、目標や初心に立ち帰る

楽毅(宮城谷昌光著)より、人間の心のうごきを考察しています。
現在最終巻を味わっています。いよいよクライマックスに近づいてきました。
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燕という小国が斉という大国を打つべくして、楽毅はきめ細やかな外交を重ね、ついには諸国と連携し、そして本人は連合のトップとして戦闘を指揮します。そして、破竹の勢いで斉を攻略します。全4巻の作品の第4巻目ラスト半分は正直息を呑む描写で目が離せませんでした。。おかげでnoteを書くのを忘れそうになるくらいでw。

さて、快勝した楽毅を主君である燕の王は讃えます。そして、地位を上げ、さらには攻め取った斉の王になればよいとまで言います。王から発せられたのは喜びのあまりの言葉とはいえ、ここで楽毅はハッとします。私利私欲をもちこめば自滅することになると。

外交にすぐれ、勇猛であり、人徳もある人材です。王になってもよい存在です。そして、本人がのぞまなくても、それを望む周囲の人に担がれて結局王になることだってありえると思います。しかし、楽毅は自分が王になるためにやっているのではなく、あくまで自分は燕のために仕事しているのであり、自分の欲望のためにではないことを自覚しているかのようです。

仕事して、成功し、周りからの期待が高まれば昇格の機会が与えられます。そして、そこまでは誰もがうけとることと思います。しかし、自分がトップになるかどうかについては次元が違うのかもしれません。
それをどう判断するのか。物語をよみつつ、そこで踏みとどまるべきかどうかについては、当初立てた目標や初心をもとに判断するべきものなのかもしれないと感じます。自分が何のためにやっているのか、国のためにやっているのか、所属組織のためにやっているのか、自分自身のためにやっているのか。そこに立ち返ったとき、トップになることが私利私欲でないかどうか見分けられ、私利私欲でないとすれば十分な大義をもって大きな役割を担っていくことを受け入れられるのかもしれないとおもいました。

そして、楽毅を読みながら思うのは、そもそも前提として正しい人生観と倫理観をもっているからこそ冷静に考えられるのだろうということです。さらに、その人生観と倫理観はどのように養うのかというと、一つは過去に学ぶこと。楽毅でいえば物語を通じて実践される孫氏の教えと、過去の事例が度々でてきます。そのようにして、歴史を学び、日々の実践に組み入れることができれば、道をはずさずに生きていくことができるのだろうと思うわけです。

今日はそんなところで。この先が気になるのでまた本を開きます・・・多分今日読み終わりそう。

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