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人生を「味わうことのできる」人間に(連続投稿11日目)

今日は娘たちと一緒に「美術展」に行ってきた。木梨さんの感性に刺激を受けすぎて散財してしまった。(Tシャツとかポスターとか色々)

午後からは毎年恒例になっている「野外フェス」へ。素敵な音楽に耳を傾けながら、B級グルメを堪能しました。

ついに連続投稿も「11日目」となりました。何気に続いている自分を褒めてあげたい。我ながら、よく頑張っている。

noteを書き続けて

ここまでnoteを書き続けて、たった数日でも「変化」を求めている自分がいる。たかが文章、されど文章。という具合だ。

僕は昔から「文章を書くこと」は嫌いじゃない。むしろ、どちらかといえば好きな方だったかもしれない。(日記を書いている時期もあった。)

そんな「昔の自分」を思い出すこともたくさんあった。文章を書くことは、自分が思っている以上に「自己内省」が進む。

自分と向き合うとは

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この数日、時間はバラバラではあるが「自分と向き合う」時間を毎日作った。おそらく、ここまで連続させてのは人生初だ。自分の過去・未来に意識を向けながら、今の自分を見つめ直す。

客観的な視点から「自分」を見つめると、焦っている自分や迷走している自分に気付くことができる。意外とくだらない理由で躓いている自分に、ちょっと恥ずかしくもなったりする。

ほとんどケースにおいて自分の「心が乱れている」ことが原因なのに、周りの状況を「言い訳」にしている自分がいたりもする。これがきっと人間が陥る「トラップ」なのだろう。

自分と向き合うとは、そんな「落とし穴」に落ちないように、日々自分を「整える行為」なのかもしれない。そう思うと、毎日できるに越したことはない。瞑想やジャーナリングを毎日進める気持ちがよく理解できる。

自分の人生を「マネジメント」する

様々な領域で「マネジメント」という言葉が使われるが、きっと自分の人生にも当てはまる言葉なのだろう。適切に管理できているからこそ、高いパフォーマンスが維持できるのだ。

最近は、改めて「マズローの欲求5段階説」について考える機会が多い。大学の心理学の講義で習って以来、ちょくちょく聞くこの理論。ちょっとずつその「深さ」が理解できるようになってきている。

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低次の欲求が満たされていないと、高次の欲求は満たせないと考えるこの説に昔は少し違和感を覚えていたのだが、最近は「その通りかも」と思う機会も増えている。

自己実現や自己超越は、承認欲求からの「解放」なくして辿り着けない。これはまさしくそうであると自分も思う。簡単に言っているが、これは相当難しい。

自分の「モノサシ」が必要

各レンジの欲求を満たすためには、自分が「どの程度で満たされるのか」というモノサシを持っていなければいけない。単純に多いだけで満たされるわけではない。(ただ寝ればいいというわけではないように。)

この「モノサシ」を作るという過程を十分に検討する機会を持たないまま、私たちは大人になり、社会というフィールドに飛び出す。今思うと、とてもリスキーな選択だとも思う。

人間が「経験」を大事にする理由は、「自分のモノサシ」を作るために貴重な学びが多いからではないだろうか。いや、きっとそうだ。

日常に「一拍」を

自分の欲求を測る「モノサシ」を作るためには、日々の経験を「振り返る時間」が必要となる。ゆっくりと自分と「対話」する時間だ。

慌ただしい日常の中で、どうやって「対話」の時間を生み出すのか。我々が生産性や効率性を追求する理由はここにある。

生み出した「一拍」で、人生を噛みしめる。これこそ、人生を「マネジメント」する最初の一歩ではないだろうか。

人生を「味わうことのできる」人間に

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僕らの「時」が止まることはない。一定のリズムで「時」は刻まれる。きっとこのままでは、人生はあっという間に終わってしまうだろう。せっかく授けてもらったこの命、ちゃんと噛みしめたい。

冒頭でも書いた通り、僕はnoteを書き続けて「自分と向き合う」ことの重要性を知ることができた。これからは、その時間をさらに磨きたい。極限まで磨き上げて、「人生を味わう時間」にできたら最高だ。


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