正しさとは麻薬だ。

正しさをまとっただけで、さも自身に免罪符が与えられたように錯覚し、いろんな権利や文化や芸術を脅かす時代になった。当人は正しいことをしているからと気持ちよくなれるし、安心する。被害者はそれが正しいのならと渋々了承する。たったそれだけで、いくえの犠牲を伴ってようやく勝ち取った権利や、何十年も続いた伝統や、比喩に比喩を重ねた強烈な美術が、一瞬で塵と化す。

もうここには『粋』という概念がなくなったのだろうか。相互に監視して監視して、誰しもが何もから正しくあろうとした結果、粋なものは排除せざるを得なかっただろう。粋なものは、少しだけ皮肉が必要だったから。今の時代には、たぶん皮肉すら求められない。それは皮肉が皮肉として受け止められるためには読解力が必要で、読解する余裕がないか、そもそも知力がないだかで、皮肉が皮肉として受け止められることがなく、ただ滑ってつまらない空気を吐き出してしまう。それは皮肉が悪いのではなく、あまりにも余裕や知力がないことの表れなんだと思う。

皮肉が効いた創作が私は好き。創作だからこそ言える言葉があると信じている。しかしどうやらそれは正しくなくなってきているのかもしれない。当たり障りのない言葉で当たり障りのない正しさをなぞる、方が実はいいのかも。いや、私にはそんなことは無理。創作には怒りがないと無理。私には私の作れるものを作ろう。

正しいものがそんなに求められるのは何故?たぶんみんな不安なんだろう。明日の生活、上がらない給料、上がっていく物価。スーパー行くだけでびっくりしてる。私もそう。そんな中でこれをすれば正しくなれるという耳打ちを受けたら、それは神の誘いかのように思えてしまうだろう。そうすれば正しくなれるんだから。正しいまま死ねば、来世でイージーゲームかもしれないという淡い想い。虚しいよ。死んだら、無になるだけだという厳しい現実に目を逸らしているに違いない。

良いことをしようとか、正しいことをしようとか、正しいことを言おうとか、そんな強迫観念につつまれた現代に息が詰まりそう。良いことだとか正しいだとかそういう話をする前に、あなたはどうしたいんですか?と問うて周りたい。
正しさに騙されちゃダメだよ。正しさなんて時代で変わる。自分の心を大切にしないと、ね…

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