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自分史〜6年の担任 成島先生の授業

6年生の時の担任、
成島純一先生は授業も新鮮だった。

その中でも「音楽」に関しては
今でも影響を受けている同級生もいるだろう。
「音楽=楽しむこと」という観点から、
教科書を一切使用しなかった。

もともと朝のクラス会では、
クラス全員で歌を唄うというのがあり、
成島先生が毎月4〜6曲ほどを歌謡曲などから選定してきなものを皆で唄っていたが、基本は、その中の曲を楽しむ!というのが中心。
成島先生はフォークギターを演奏。
また自宅から様々な楽器を持ってきて、
皆が当番制で演奏をする。

ボンゴ、ベースギター(あのポールマッカートニーと同じデザイン)、様々なリコーダ等を順番に皆が演奏。

もちろん学校にある、ピアノ、エレクトーン、アコーディオン、木琴、鉄琴等も全て使用。
音楽の授業が
一大アンサンブルコンサートに変身するのだ。

もちろん演奏曲は、朝の会で唄う曲。
松山千春、高石ともや、中島みゆき、、ドラマで人気だった、あの池中元太80Kgの主題歌、、楽器担当ではなかった友達は、唄う方にまわるが、たとえ10人未満でも楽器に負けない大きな声で唄う。
音楽の唄うテストでは、皆テレビ番組の歌でも民謡でも好きな曲をアカペラで唄うというもの。楽器が出来る人は、演奏しながら唄うなんて事も。。
楽器のテストも、当時はリコーダが基本だと思うが、「きよしこの夜」を好きにアレンジして全員がピアノを演奏。
つまり、皆が最低限の楽譜は読めるぐらいにはなっていたのだ。

私は唄うテストでは、ちょうどエレクトーンの発表会の演目だったクリスタルキングの大都会をやったような。。

音楽だけではなく、
図工でも義理の弟が画家だった事もあり、
小学校ではやらないような
デッサンの授業やミッキーマウスの描き方等もやっていた記憶がある。

好きになると、楽しくなり、真剣になる授業。
でも、このような授業を受けた影響で、将来マーチングバンドで日本一になった友人も生まれたりしたのだった。

因みに成島先生は、
その後にマーチングバンドの指導者として
茨城県内で有名となり、
様々なメディアで
タクトを振っている写真が見られるが、
この頃は自分は演奏で、
タクトを振っていたのは子どもだった。

#成島純一
#茨城県
#つくば市
#谷田部小学校

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