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オール讀物新人賞最終候補作Ⅳ

これは、第45回オール讀物推理小説新人賞の最終選考に残った「母子橋」です。(「桜咲くころ」に改題) 牧村一人氏の「俺と雌猫のレクイエム」と競って、負けちゃいました。残念!

町廻り同心平井文史郎が、父が死に際に残した謎の言葉を探っていくお話です。

ここにあるイラストはイラストレーターの加藤佳代子の作品です。

よろしければこちらのほうもどうぞ。

noteには、ほかに「オール讀物新人賞最終候補Ⅰ、Ⅱ、Ⅲもあるのでよろしくお願いします。

新内

「桜咲くころ」

 定町廻り同心の平井文史郎は、着物の裾をからげ、永代橋を走っていた。
 妻の七尾が、隣家の下男に託して、今すぐ屋敷にもどれと言ってきたのだ。
 父嘉之助の容態が急変したという。どんな火急の場合でも、七尾がお役目中に使いを走らせてきたことはない。それだけでも、のっぴきならない事態だと察せられた。
 母の一周忌がちかいことも、文史郎の不安を大きくさせている。父は母を亡くして抜け殻のようになった。
 まさか親父殿は、おふくろ殿の後を追って、このままみまかってしまうのではないのか。
 病気知らずだった父が、四十を過ぎたころから急に病気がちになり、ここ一年ほどは疝気(せんき=胃腸などの病気)の気がひどくなって、とうとう床に伏せってしまった。
 かかりつけの医者が出す高価な薬もさほど効がなく、やつれてきてはいたが、気長に養生すればいずれは良くなるだろうと高をくくっていた。だから、七尾の報せは、文史郎をひどく慌てさせた。
「おめえはあとから来い」
 必死に後をついてくる与吉に声を投げ、さらに足を速めた。
 与吉は、父の代から供をしている小者で、もうすぐ六十に手がとどく。
 たまらず橋の真ん中で立ち止まり両膝に手をついて激しく咳き込む老人の姿が、みるみる小さくなっていった。
 霊岸島を駆け抜け、八丁堀の組屋敷に着いたときには、もう日が暮れかかっていた。
 走り込んで行くと、六、七人の者が父の床を囲んでいた。
 叔父の新田勝之進や伯母の光代の顔もある。
 文史郎は、勝之進を慕っていた。頼もしいこの叔父の顔を見ると、心が落ち着く。
 父の嘉之助は三人きょうだいで、三枝光代は姉、新田勝之進は弟で、勝之進は文史郎の実の親でもある。

 新田家に三男として生まれた文史郎を、嘉之助が平井家の養子に申し受けたのである。もっとも、そのとき文史郎は数え年で二歳にもなっていなかったから何も覚えていない。
 妻の七尾が、文史郎を認めると無言でうなずいた。気丈にしているが、顔は青ざめている。
「いったいどうした」
 歩み寄ってゆくと、叔父の勝之進が立ってきて、むこうへと目顔で言い、縁側へ出ていった。
「おひさしゅうございます」
 文史郎の挨拶に勝之進は小さくうなずき、すぐに顔を寄せてきた。
「もうだめかもしれん。腹に血が溜まっているそうだ。胃の腑に大きな痼(しこり)ができていて、それが破裂したらしい」
「それで急に」
「医者の診立てでは、もう長くはないと」
「しかし、今日明日というわけでもありますまい」
「その心づもりでいろと言われた」
 あなどっていた。まさかそこまで深刻な事態に至っているとは思ってもみなかった。
 七尾が呼びに来た。
「旦那さま、お義父様が」
 もどると、嘉之助が目を開け、「ふたりだけに」と言うので、嘉之助と文史郎を残してみな出ていった。
 嘉之助が切れ切れの声で言った。
「文史郎、おまえに言っておくことがある」
「なんでございましょう」
「七尾にはほんによくしてもらった。くれぐれも礼を言ってくれ」
「じかに申されたらいかがです? そこにおりますぞ」
「七尾はいい嫁だ。大切にしろ」
「はい」
「それとな」
 そこまで言って、息を詰め顔をしかめた。
「痛みますか」
 深く息を吸い込み、嘉之助が最後の力を絞り出すように言った。
「おぬいを……、気にかけてやれ」
 そのことの意味を理解しかねた。
「おぬい? 誰のことです?」そう言ってから、かろうじて思い出した。「昔うちで働いていたという女中のことでしょうか」
 嘉之助が、壁のあたりに目を漂わせた。
「三津か」
 それは、亡くなった母の名だった。
 いかん、と文史郎は思った。迎えに来た母の姿を見たらしい。
 嘉之助が言う。
「もう行かねばならぬ」
「親父殿、何を申されておる」
 やつれた顔に、フッと笑みが過ぎった。そして、そのままこときれた。
「父上! 父上!」
 皆がばたばたと部屋にもどってくる。
「大旦那様!」
 与吉の声が轟いた。長年仕えた老小者は、嘉之助のことを今も隠居とは呼ばず、そういう呼び方をした。廊下にひれ伏し、歯を食いしばり、わなわな震えている。
「与吉、おまえもこちらへ。お義父さまを見てさしあげてください」
 七尾に言われ、
「大旦那様、大旦那様……」
 与吉はうなされたようにつぶやき、よろけながら入ってきた。
 夕暮れの薄暗い寝間に、女たちのすすり泣きが流れた。

 父嘉之助との思い出は多くない。
 すぐに思い浮かぶのは、仁王のように文史郎を見おろしている若き日の姿である。四歳のころから竹刀を持たされ、自宅の庭で毎日のように手ほどきを受けた。京橋常磐町の矢作道場で俊才といわれた父の稽古の厳しさは尋常ではなく、幼いからと手心が加えられることはなかった。
 成長とともに厳しさは増し、朝夕の素振り千回はいうにおよばず、打ち込みや受けの稽古が限りなくつづいた。構えに隙があればたちまち竹刀が飛んできて、幼い身体を容赦なく打ち据えた。
 嘉之助は寡黙で、家人と話すのをあまり聞いたことがない。
 ましてや文史郎と言葉を交わすことは滅多になかった。いつも背筋を伸ばし毅然とした立ち振る舞いの父に、一種の畏れと尊敬の念はあったが、そのぶん、親しみの情はわかなかった。
 文史郎にとって、謹厳実直で寡黙な父は、踏み入りがたい孤高の人のように思われたのである。
 やがて父の言いつけで霊岸島の金井道場に通うようになり、直接指南を受けることがなくなって、ますます話をする機会はなくなった。だから、父との楽しい情景も、感傷に浸るべき思い出もない。
 父の無感情な態度に、幼い文史郎は胸を痛めた。どうせ、自分は血が繋がっていないのだとねじくれもした。
 しかし、歳月とともに、その思いは的はずれのような気がしてきた。そして、父はもともと情の薄い人なのだと結論づけた。情愛を受けないのは、子の自分ではなく、父のほうに原因があると考えたのである。そうすると、ほとんど会話のない父子関係も沈黙の食事も苦痛ではなくなった。

 だから、母が息を引き取ったとき、父の目からこぼれ落ちる涙を見て、文史郎は目を疑い、涙の意味をはかりかねて当惑もした。
 その日をさかいに、父は食事もままならないほど憔悴し、たちまち老い込んだ。
 そして、ついに力尽き、床に伏せたのは今年、庭の桜の蕾がふくらみはじめた頃である。それまでの超然とした父しか知らない文史郎の目に、その姿はまるで枝先にしがみつく腐りかけた花のように見苦しく、不甲斐なく映ったのだった。

(おぬいを気にかけろ? なんでだ?)
 幾度となくおなじ問いがくり返される。
 父の遺言となった不可解なひと言が、文史郎を悩ませる。なんの因果であんなばばあを気にかけねばならぬのだ?
 おぬいは祖父の宗右衛門がまだ存命のころ家にいた女中なのだが、文史郎が平井家に来るのと入れ違いに辞めているので、直接顔は合わせていない。ただ、町廻り場うちの住人なのでおぼろげに知っているというだけのものである。話をしたこともない。そんな女をいきなり名指しで気にかけろと言われても困る。
 そもそも、「気にかけろ」とはどういうことだ?
 身寄りのない女の一人暮らしだから案じてやれという意味か? そうだとすれば、父の遺言とはいえ、承服できかねる。なぜゆえおれが案じてやらねばならぬのだ。
 文史郎が定町廻りのお役目を拝して十四年になる。だから市中のことは熟知している。おぬいの住む大黒店は深川蛤町にある裏店(うらだな)で、大家の長兵衛とは自身番で顔を合わせるし、よく知っている。
 いつか長兵衛が、おぬいについて訊いてきたことがある。自分の店子が平井家で女中をしていたことを耳にはさんで話の端にのせたらしいのだが、文史郎は知らなかったし、興味も引かれなかった。
 親父のやつ、あのばばあに惚れていたのか?
 一瞬疑ったが、すぐにその疑念は捨てた。死んだ父は五十九で、おぬいは五十そこそこである。まさか色恋ではあるまい。
 若いときからの腐れ縁ということも考えられるが、父の性格からいって、使用人に手をつけるなどありえなかった。なにより、嘉之助にはそのとき、三津という妻がいたのだ。
 通夜の夜、七尾が嘉之助の枕元で、「まるでお義母さまの後を追うように……」と声を詰まらせると、伯母の光代が、「そこまで三津様を慕っておられたのですねえ」としみじみ言った。
「そうだったのですか?」文史郎は驚いて伯母を見た。
「父が優しい言葉をかけるのを一度たりと見たことがありません。まことに母を思っていたのでしょうか」
「嘉之助様は、心をおもてに出すのを潔しとしないお方でしたからね」
 六十を過ぎていまだかくしゃくとした光代が、しっかりした口調で続ける。
「いつかわたくし、嘉之助様は三津様がいなければ、生きて行けないでしょうとからかったら、キッとにらみつけられてしまいました。でもそのあと、こっくりとうなずいたのですよ」
 自分の見たことのなかった裏側を突きつけられ、文史郎は当惑する。母と心が通い合っていたとは、すくなくとも父が母を愛しんでいたとは信じられない思いだった。しかし、ふさぎこみ、急に老け込んだ父に合点がいったのも事実だった。
 やはりあれは純粋に悲しみの涙だったのか、と母の枕元で涙を流している姿を思い返す。そのときはじめて、父は母に死なれて生きる力を失ったのだと思い至ったのだった。
 父が生涯愛したのは母ひとりだった。おぬいと色恋のしがらみがあったわけではない。ならばなぜ、気にかけろなどと言ったのか。
 鬱蒼と繁る庭の桜の濃い緑が、夏の陽射しを浴びてさらさらと揺れている。
 その向こうに広がる雲ひとつない空を見あげて、文史郎は肚を決めた。
 町廻り同心だから、探索はお手の物だ。じっくり腰をすえて親父の遺言の真意を探ってやるか。

 文史郎は、半刻前から奥の間にこもったきりである。父が寝起きしていた部屋をくまなく調べたが、期待した日記のようなものは出てこなかった。
 つぎは隣の小部屋だ。障子を開けると、かびくさい紙の匂いが鼻腔をついた。三畳の小部屋は、うずたかく積まれた書物で埋め尽くされている。それを見て思わず苦笑いし、ふっと鼻を鳴らした。文史郎には頭の痛くなるような本ばかりである。父親のまじめで勉強家だった人柄があらためて思い起こされた。
 手近なところから手に取り、父の遺した書き付けかなにかないか、調べはじめる。おぬいと嘉之助を結びつける手がかりを探している。
 廊下を通りかかった七尾が気づき、入ってきて、悲しげな目を向けた。
「旦那様、なにも、そのように急がずとも……初七日もまだ終わっていないのですよ」
「遺品の整理じゃねえよ。ちょいとした捜し物だ」
「そうでしたか。お義父さまも……」
 七尾は言いかけて、そのあとの言葉を探すように部屋を見回した。義父が生きていたことの確かな証しを探しているようでもあった。この一年、いちばん長くいっしょにいたのも、甲斐甲斐しく介護したのも七尾だった。
「そういえば、忘れていた。親父がおめえによろしくとよ」
「……なんのお話です?」
「息を引き取るきわに言ったんだ。七尾にはほんとうによくしてもらった。くれぐれも礼を言っておいてくれと」
「お義父様が……?」
「七尾はいい嫁だ。大切にしろとも」
 立ちつくし文史郎を見上げる目に、見る見る涙の玉がふくらんだ。そして、ぶつけるように顔を押しつけてきた。
 その小さな背中に手を回す。
「おれからも礼を言うぜ。親父に礼を言われて涙を流すおまえは、いい女だ」
 妻の嗚咽と肩の震えは、いつまでも止まらない。

 非番の日、文史郎は六ツ半(午前七時)過ぎに家を出た。今日は役向きではないから、上布の着流しで、腰に大小はたばさんでいるが十手は持っていない。日が高くならないうちにと思ったのだが、すでに陽射しは盛夏の刺すような暑気を含んでいた。
 大家の長兵衛の住まいは、大黒店の木戸脇のこぢんまりした一軒家である。路地から裏に回ると、縁側に金魚鉢を出して餌をやっていた。
「よう、じいさん」文史郎は声をかけた。
「おや、平井の旦那、どちらへ?」
「今日はおまえさんのところに来たんだ」
「おや、そうでしたか」
「いいかい?」
「どうぞどうぞ」と言って、長兵衛は奥に声をかけた。「ばあさん、八丁堀の旦那にお茶だ」
 長兵衛とは、自身番ではしょっちゅう顔を合わせるが、住まいを訪ねるのははじめてである。
 狭い庭だが、なでしこの花の小さな白が、緑のなかに筆で雫を散らしたように点々と散っている。縁側に置かれた鉢の行灯(あんどん)造りの竹の柱には、朝顔が大輪の花をつけていた。
 女房らしい人の好さそうな老女が麦湯を運んできて、笑みで会釈し、立ち去った。

 文史郎は縁側に腰を下ろし、一気に飲み干す。火照った身体に冷たい麦湯は旨かった。
「住みやすそうな家じゃねえか」
「ここもぼろになっちまって、費(つい)えがかかってかないません」長兵衛がぼやく。
 長兵衛は長屋の大家である。齢は七十ちかいはずだが、話し方も身の動きもまだまだしっかりしている。昔は古手屋(ふるてや=古着屋)もやっていたが、今はそっちのほうはたたんで、家主業に専念している。
 長屋の経営も楽ではないらしく、年中愚痴をこぼす。また明店が増えてしまった。店子の誰それは、家賃の払いが半年も滞っている。建物のあちこちにガタがきて、修繕普請のかかりが多くて、たまったものではない。下肥を汲みに来る行徳の宇助は、肥代をけちって野菜ばかり押しつけようとする……。
 町役人としてもよく働き、人柄も好いが、この愚痴さえなければなあと文史郎はいつも思うのだった。
 長兵衛が聞く。
「わざわざこちらにお越しとは、どのような風の吹き回しで」
「ちょいと尋ねたいことがあってな。断っておくが、これはお役目とは関わりねえ。ただの世間話だ」
 わけありと見たのだろう、家主の白い眉の下の目がきらっと光った。
「かしこまりました」
「店子のおぬいというばあさんのことだ」
「おぬいさんでございますか。はいはい、昔旦那のお屋敷のお女中だったことがある」
「だから、おれは覚えてねえんだよ」
「そうでしたな」
「おぬいが大黒店に来て何年になる?」
「大黒店ができてすぐでしたから、三十年ですな。うちでいちばんの古顔でございますよ」
「後家だと言っていたが、こっちに来たときには、もう独り身だったのかい?」
「はい。亭主を亡くして間もないとか申しておりました」
「店子の評判は?」
「すこぶるよろしいですよ。口数は少ないが、柔らかな人柄で、だれからも好かれております」
「借金取りとか、怪しげなのが出入りするようなことは?」
「おぬいさんのところに? まさか」
「店賃(たなちん=家賃)が滞ったことは?」
「おぬいさんは腕のいい針妙(しんみょう=お針子)です。近江屋さんに頭を下げられて、抱え針子になったくらいですよ」
 近江屋とは、日本橋呉服町にある呉服屋の大店である。
「針妙なのかい。女一人が食っていくには困らねえってえわけだ」
「そういうことでございます。床下に瓶を隠して小判を貯め込んでいるなどという、ふざけた噂をする者もおるくらいで」
「近江屋には通いで?」
「反物を預かって持ち帰り、うちで着物を仕立てて納めるんでございます」
「浮いた噂は?」
「まさか、旦那」長兵衛はふいと笑った。「あんなばあさんに手を出そうてえ物好きなんぞ、いやしませんよ」
「そうじゃなくてよ、来たときはまだ二十歳そこそこだったんだろう」
「たしかに、来たばかりのころは、長屋でもちょいと騒ぎになったくらいです。でも、惜しいかな、あの人には色気というものがない。もともと色恋に疎いというか、不器用というか」
「大家に、そんなことまでわかるのかい」
「この齢まで何も聞かず何も見ずに生きてきたわけではございませんよ。それくらいのことはわかります。あの人は、井戸端で女房連中が品のない色話をしていても、笑って聞いているだけで、話にまじわるようなことはありません。そういうお人です」
「文句のつけようのない店子ってえわけだ」
「さようで」
「ここに来るまえ、おぬいはどこに住んでいた」
「さあ……、森下のほうではなかったでしょうか」
「なんていう長屋かわかるかい」
 記憶をたぐり寄せて宙をにらんでいた長兵衛は、少々お待ちをと言って奥へ引っ込み、しばらくして一枚の黄ばんだ書き付けを持って戻ってきた。
「ありましたよ、ありました。北森下町でした」
 店請(たなうけ)証文だった。身元を保証する証文である。そこには、おぬいが北森下町寿助店の住人だったことが記されてある。請人(うけにん=保証人)は、五十六(いそろく)という大家である。しかし、三十年もまえのものだ。大家ははたしていまも存命だろうか。
「ありがとうよ。助かった」立ち上がった。「おぬいのことでほかにもなにか思い出したことがあったら、教えてくれ。頼むぜ」
「平井様」庭を出て行こうとする文史郎を、大家が呼び止める。「どうしてあの人のことをお調べで?」
 長兵衛の、抑えこんでいた好奇心がついに顔を見せた。
「なあに、ちょいと人に頼まれてな」
「どのような?」
「おれが聞きに来たことは、他言無用に頼むぜ。とくに、おぬいには」
「……かしこまりました」
 答えをはぐらかされ、恨みがましい目で見送る長兵衛に、文史郎は無言で背を向けた。

 つぎの日、町廻りに出て永代橋を渡っているとき、文史郎はふいと思い立って訊いた。
「与吉、おめえ、うちに来て何年になる」
「四十年と少しになります」
「親父殿には何年ついてた」
「二十九年です」
 答えがよどみなく返ってくる。重ねた歳月を指折り数えることも、記憶の糸をたぐることもない。嘉之助の死によって、ともにしてきた時の積み重ねを振り返る回数が増えたのかもしれない。
「そうか、それだけ長い間いたなら、知らねえことはねえな」
「……何でございましょう」
「以前うちにおぬいという女中がいたのを覚えているか」
「……たしか、三年ほどしかいなかったのでは」
「そうらしいな。どんな女だった」
「さあ、そう申されましても……ただのお女中で。働き者だったというくらいしか」
「出ていったのは、なにかわけがあったのかい?」
「さあ、よく存じませんが……」
「その女が、蛤町の大黒店にきたのは、平井の家を出て一年過ぎたころだ。そのときにはもう後家で、お針子で暮らしを立てていたそうだ。平井の家でおぬいに仕立物を頼んだことはあったか」
「さあ、どうでしょう……。御祖父の代から、着物は日本橋の美濃屋と決まっておりましたし、普段のものは、先代のご新造(夫人)がご自分で縫って……そういえば、ご新造がその女中に裁縫を教えておられましたね。針妙になったのも、そのおかげではないでしょうか」
「親父殿がおぬいの家を訪ねたことは?」
「大黒店をですか? ございませんが」
「二人はとくべつ親しかったか」
「……どういうことでしょう?」
 文史郎は、しばし言いよどんだ。
「親父殿は、そとに女がいたか」
「なにをおっしゃいますか。大旦那様にかぎってそのようなことは」
「与吉、隠すな。おれにはなんでも正直に話せ」
「ほんとうに、そういうことはありませんでした。大旦那様のお人柄は文史郎様もご存じでしょう。生真面目で、女を囲うなど……」
「そうか……」
「旦那、おぬいという人が何か……」
「いいんだ、全部忘れてくれ」
 やはりそうかと文史郎は思う。父は、よそに女をつくるような男ではなかった。
 相川町と富吉町の自身番をのぞき一ノ鳥居を抜けたころには、日は頭の上のほうに居場所を変えていて、容赦なく照りつけた。顔にあてる扇の風も生ぬるい。
 蛤町の自身番のまえに来て「番」と声をかけると、いつも返ってくる「ははー」という声のかわりに、大家の長兵衛があわただしく出て来た。
「旦那、たいへんです」
 その後ろからおずおずと出てきた女を見て、文史郎は内心あわてた。おぬいだった。
「どうしたい?」
「泥棒が入ったんです」
「なんだって?」
「おぬいさんが仕立物を届けに行って帰ってきたら、部屋が荒らされていたんですよ」長兵衛は思い出したように付け加える。「そうでした、こちらがそのおぬいさんです」
 おぬいがこっくりと会釈する。
「ばあさん、大丈夫かい?」
 いきなりばあさん呼ばわりされ、おぬいは戸惑ったように「はい」と小さくうなずいた。
 長兵衛に案内させておぬいの家に向かう。
 四畳半に台所がついただけの小さな部屋は、足の踏み場もないほど荒らされていた。畳と床板の一部がはがされ、下の土まで掘り返されている。竈(かまど)や水瓶の中まで物色したらしく、灰や水も飛び散っている。
「盗まれた物は?」
「いいえ、何も」おぬいが言う。「ごらんのとおり、金目の物などありませんから」
「商い物の着物は?」
「ちょうど届けたところでしたので」
「やられたのは、この家だけかい?」
「さようです」長兵衛が背後から顔を寄せてきて声をひそめた。「旦那、あれですよ。例の噂を真に受けた大馬鹿野郎の仕業ですよ」
「床下に小判を貯め込んでるっていう、あれかい?」
「そうに違いありません」
「ばあさん、小判の詰まった瓶は無事だったかい」
 文史郎の冗談口に、おぬいは困ったような笑みを浮かべて首を振った。
「真っ昼間から、豪胆なことしやがる」文史郎は部屋を見回してつぶやき、長兵衛に訊ねる。「物音を聞いた者は? ここまで派手にやったんだ。誰か気づいただろう」
「こっちは明店で、こっちは日傭(ひよう=日雇い)の銀三ですが、寝ていて気づかなかったと」
「患いか?」
「いいえ、そうではないので。飲み助で、酔いつぶれると頭に雷が落ちても目を覚ましやしません」

「しょうがねえなあ。番太郎は?」
「それが、木戸番も寝ておりまして」
 木戸番の番人は、夜の警備に重きをおいているから、昼間は寝ていることも多い。
「番太郎の女房は?」
「不審な者は見ていないそうで」
 たぶん、店先から駄菓子をかすめ取ろうとする悪童どもに気を取られでもしていたのだろう。木戸番屋では、内職に駄菓子や荒物、夏なら西瓜の切り売り、冬なら焼き芋などを置いて売っている。
 部屋を念入りに調べたが、犯人の手がかりになるものは見つからなかった。
「ま、盗人と鉢合わせしなかっただけでも運がよかったと思え」文史郎はまだ怯え顔のおぬいに言った。「せいぜい用心するんだな。おれも、これからはまめに覗いてみることにしよう」
 いい口実が見つかったと思った。これで、たびたび様子を見に来られる。
 自身番であらためて聞き取りをすると、文史郎は与吉を伴ってお多福の源八の家に向かった。
 佐賀町で小料理屋を営む源八は、深川一帯を縄張りにする岡っ引きである。「お多福」の通り名は、風貌から来ているのではなく、家業の屋号に由来している。
 お多福は、酒と季節の野菜の煮物や焼き魚などを出す小料理屋である。文史郎もそこの穴子汁が好きで、ときおり立ち寄る。店は女房のおちかが切り盛りし、腕のいい料理人も置いているから、源八は心おきなくお務めに精が出せるというわけである。
 源八は、文史郎のお抱えの岡っ引きではない。同心が町を見廻るとき、御用箱を持った物持ちと奉行所の中間(ちゅうげん)一人、ほかに手先の岡っ引きなど二、三人を従えるのがふつうだが、文史郎は与吉ひとりを御用箱も持たせず伴うだけである。
「大名行列じゃあるめえし、金魚のふんみたいにぞろぞろぶら下げて歩けるか。みっともねえ」というのが、言い分である。そうやってお上の威光をかさに着、これみよがしに闊歩する姿を文史郎は嫌った。
 岡っ引きには、犯罪者だった者も少なくない。捕まったり入牢中に他人の犯罪を密告などして、そのまま同心の手先になるのである。なかには、十手にものいわせ、陰へ回って恐喝や強請(ゆすり)まがいのことをする者もいるから、岡っ引きに対する町の者の感情は決して良いものではない。文史郎が岡っ引きを伴わないのには、そういうことへの配慮もあった。
 源八は、父の嘉之助が見込んで手札(鑑札)を与えた信のおける岡っ引きである。だから、必要なときは、文史郎も源八を頼みにした。
 店の裏の茶の間で、源八は下っ引きの平太と話をしていた。
「おや、旦那、おひさしぶりで」
 文史郎を見ると、お多福の源八は、お多福とは似ても似つかない下駄のような四角い顔をほころばせた。面構えはいかついが、人柄が大きく、自然と人が集まってくるのか面倒見がいいのか、使っている下っ引きや手下は十人をくだらない。
「取り込み中かい?」
「いえね、他愛もねえ話をしていたので。江戸一番の大福餅はどこかと」
 それを聞いて文史郎の目が輝く。文史郎も甘いものには目がない。大の男ふたりが、甘味談義に花を咲かせることもたびたびである。近頃の大福餅の人気はすさまじく、これまでの小麦焼、今川焼、安倍川餅、柏餅など、影が薄くなってしまったほどである。
「一番はどこだ?」 
 文史郎の問いに、源八がきっぱりと言いきる。
「伊勢屋です」
「永代寺参道脇の?」
 文史郎はまだそれを食べていない。
「あそこの大福は、餡(あん)がよろしい。いい小豆を使っているから、甘みも塩味も抑えめで、味に品がある。砂糖は和三盆しか使いません」
「そりゃ、ぜひとも食ってみねえといけねえな」
 源八が急に思い出して言う。
「そういや旦那、弥三郎が八丈島からもどってきましたぜ」
「弥三郎が?」
 やくざにもなれない半端者で、博奕場の使い走り、盗品売り、盗みとけちな罪を重ね、六年前、堅気者に怪我をさせて島送りになった男だ。もう五十半ばを過ぎているはずである。
 源八が言った。
「先だってのご法事のお赦(ゆる)しで出てきたらしくて、賭場で見かけた者がいるんで」
「帰って早々手慰みかい。いちどご挨拶しといたほうがいいな」
 つまり、再犯しないようにそれとなく脅しをかけておこうというのである。
「承知いたしやした。居所を突き止めたら、すぐにお知らせしやす」
「頼んだ」
「ところで旦那、今日は……」
 そうだった、親分に相談があるんだと文史郎は言った。ただしこれは、お役目から横道へそれた話だと断りを入れて切り出す。
「北森下町の寿助店を知ってるかい?」
「寿助店……。おめえ、知ってるか?」平太に訊き、顔をもどして言い添えた。「いえね、こいつが南六間堀町なもんで」
 北森下町は、本所の北のほうの、五間堀川と六間堀川に囲まれたさほど広くない町人地で、南六間堀町はその隣である。
「承知しておりますが、なにか?」平太が訊く。
 以前、文史郎は源八を介してこの下っ引きを何度か使ったことがある。齢は二十三、四だろうか。平太の掴んできた情報のおかげで、付け火の下手人を挙げることができたし、牢破りの潜伏先を突き止め引っ捕らえたこともある。そのたびに、この男、若いのにやるもんだと感心したものである。
 文史郎が訊く。
「そこの大家だった五十六は、まだ生きてるか」
 平太は首をかしげ、記憶をたどる。
「……もうずいぶんと前に逝ったんじゃ……」
「やっぱりそうか……」
 源八が訊く。
「旦那、なにをお調べで?」
「蛤町の大黒店のおぬいという女だ。そいつは、蛤町にくる前、寿助店で所帯を持っていた。大家が生きていたら、聞きたいと思ってな」
「いつごろのことです?」
「三十一年前だ」
「それはまたずいぶんと昔のお話で」
 長兵衛から聞いたおぬいについての事柄や、空き巣に入られたことも伝えた。
 源八はふっと顔を弛めて言った。
「それじゃあ旦那、盗みに入ったほうじゃなくて、入られたほうをお調べになるんで?」
「そういうことになるな」
「それはまたどういう……?」
「なんていうか、気まぐれみてえなもんだ」
 源八の顔に、困惑の笑みが浮かぶ。
「そうだよなあ、これじゃ、頼まれたほうも困る」
 だからといって、事情を明かすわけにはいかない。父の生前の秘密を暴く結果になっては困る。
 そうなのだ、文史郎が心のどこかで恐れているのは、まさしくそのことだった。いたずらにほじくり返して、文史郎も知らぬ父の汚点を日のもとに晒してしまうようなことだけはしたくなかった。
 文史郎は言った。
「とにかく、北森下にいたころのおぬいと亭主の評判、暮らしぶり、なんでもいい、調べられるだけ調べてくれないか」
「承知いたしました」源八が平太を見て言った。「こいつにやらせましょう。平太なら、きっとお役に立つ話を仕入れてきますよ」

 その日、夕餉の膳についても、まだおぬいのことが頭から離れなかった。
 妻の七尾が、微笑を浮かべた顔で声をかけてくる。
「旦那さま、さっきから箸が止まっておりますよ。いかがなさいました?」
 文史郎は力ない息を吐いた。
「実はな、親父殿が息を引き取るとき、妙なことを言った」
「妙なこと?」
「おぬいを気にかけてやれと」
「……おぬいとは、どちらの?」
「蛤町の大黒店に住む後家だ。針妙で、齢は五十か五十一だ」
「お義父様のお知り合いですか?」
「三十一年より先、うちにいた女中だ」
 七尾が平井の家に嫁してきたのは五年前のことだから、おぬいを知らない。
「お義父様と今もお付き合いがあったということですか?」
「与吉によると、やめてから一度も会ってねえそうだ」
「……あら、どういうことでしょう」
「だから困ってる。親父殿からなにか聞かなかったか」
「おぬいさんという名前は一度も」
「そうか……」

 文史郎はまた重いため息をついた。

「お義父様がそうおっしゃったのですね? おぬいを気にかけてやれと」
「そうだ」
「だったら、そうなさればよろしいではありませんか」
「かんたんに言うな。気にかけるとは、いったい、どうすればいいんだ」
「ときどきその人のところに顔を出したり、お話をしたり」
「見ず知らずの、ただのばあさんだぞ、何を話す」
「今日も蒸しますねとか、明日も暑くなるでしょうかとか」
「そんなもの、ひと言ふた言で終わっちまわ。あとは気まずいだんまりだけだ」
「お口は乱暴なのに、中身は存外、細やかなんですね」七尾は愉しそうに笑った。「そこまでお困りなら、いっそ、じかにお訊きになってしまったらいかがです?」
「何を?」
「今際のきわに父がこう言ったが、心当たりはないかと」
 目からうろこがぽろりと落ちた。
「……本人に?」文史郎の声が明るくなった。「そうか、気に入った。おめえ、いいことを言う」

「ばあさん、いるかい?」
 声をかけて腰高障子を開けると、縫い物をしているおぬいがいた。狐につままれたような顔で、「はい…」と文史郎を見上げた。
 今では荒らされた部屋もすっかり片づいて、殺風景にさえ見える。
「今いいかえ?」
「はい。何でございましょうか?」
「とくべつの用じゃねえ。ついでに覗いてみただけだ」
「そうでしたか、それはそれは」
 急に明るい声になって、広げていた仕立物を脇に押しやり、土瓶から麦湯を注ぐ。
 質素な部屋である。
 おぬいは、ひっつめの丸髷に朱色の塗り箸を一本、笄(こうがい)のかわりに挿している。それが粋なのか、つましさからくるのか男の文史郎にはよくわからないが、江戸の女の心意気を見たような気がした。
「すまねえな」腰を下ろし、出された麦湯を取る。「その後、変わったことはないかえ?」
「はい、おかげさまで。盗む物がないとわかったのでしょう」
 文史郎は、湯飲みを持ったまま、話をどう切り出したものか思いあぐねる。
「今日も蒸すなあ」
「ここは堀を伝って海風がきますから、少しはしのぎやすいんですよ」
 長屋のすぐ裏は堀川である。
「そうかい……」
 話が終わってしまった。
 見ると、こんなところでは滅多にお目にかからない黒漆塗りの立派な衣桁(いこう)が立っている。
「商売柄だな」
「仕立物の仕上がりや辻褄(つじつま)の合わせを見るときに使うんですけど、それよりも、仕上がった着物を掛けて眺めるときがなによりも仕合わせです」
「他人様の着物だろう?」
「そうなんですけどね」おぬいは薄く笑う。
 衣桁の前に追いやられた縫いかけの着物は、花筏(はないかだ)を染めた見るからに上物の着物だった。川を下る筏に桜の花が舞い散るあでやかな図柄である。
「桜か、いいな」文史郎は言った。「今年も、うちの桜は見事だった」
「毎年ご自宅の庭でお花見が楽しめるとは、贅沢なことでございますね」
「それはもうすぐかい」
「はい?」
「着物の仕上がりさ」
「あと、二日三日というところでしょうか」
「衣桁に掛けて、季節はずれの花見と洒落るか」
「それはよろしいですね」おぬいは楽しそうに笑った。
 またもや話の接ぎ穂を見失い、文史郎は黙り込んでしまう。だんだん腹が立ってくる。訊け、早く訊け、なにをぐずぐずしている。
 文史郎は、重い口を開いた。
「うちの親父は知っているな? 平井嘉之助だ」
「はい」
「先日、みまかった」
「それは……ご愁傷様でございます」
「今際のきわ、親父が言ったんだ。おぬいを気にかけてやれと」
「大旦那様が?」
「どういうつもりでそんなことを言ったのか、とんとわからねえ。気にかけろとはどういうことだ?」
「そのようなことを聞かれましても……」
「やめてからも、平井の家の誰かと親しくしていたのかい?」
「いえ。どなたともずっと無沙汰を…」
「それだったらなぜ、親父はそんなことを言った」
「わかりません」
 ほんとうにわからないようだった。
「念のために訊ねる。あんた……、うちの親父と……」
「口にして良いことと悪いことがあります」ぴしりと言った。
 思いがけない激しさに、文史郎はたじろぐ。
「そう怒るな。気を悪くしたら謝る。念のため訊いてみただけだ」
「それにしてもあんまりです。大旦那様や亡くなったご新造様にもご無礼でございましょう」
「ちげえねえ。与吉にもそんなことがあるはずがないと言われた」
 それでも機嫌は直らないようである。
 文史郎は、ひるむ気持ちを奮い立たせて訊く。
「頼む、喉に魚の骨が引っかかったみてえに落ち着かねえんだ。心当たりはねえかい」
 考えこんだおぬいが、やっと口を開いた。
「わたしが暇を出されたのは、不始末をしでかしたからです」
「……不始末? 何があったんだい」
 思わず手にしていた茶碗を畳にもどした。
「御家の大切な茶碗を割ってしまったのです。大旦那様は、そのときのことを気にかけてくださっていたのでしょうか。思い当たるといえば、それくらいしか……」
「たかが茶碗くらいで暇を出すとは、親父殿もひでえな。恨みに思ったろう」
 おぬいは首を振った。
「御家に伝わるだいじな家宝でしたから」
 父は、おのれに厳しかったぶん、他の者にもそれを強いた。妻を亡くし、病の床で我が身を振り返ったとき、そのことに思い至って悔やんだのかも知れない。
 遺言の奥に潜む無気味なものの正体は、引っ張り出してみればなんのことはなかった。ほっとした反面、拍子抜けした思いで、文史郎はおぬいの家を出た。
(たまにはあの婆さんのことを気にかけてやるか)
 思い返せば、父親孝行らしい父親孝行をしたことがない。遅きに失したが、ささやかな罪ほろぼしに、おぬい参りをしてみよう。

 お多福の源八におぬいの探索を頼んで五日がすぎていた。
 その日、役目が終わって永代橋のほうに向かっていると、櫓下(やぐらした)を過ぎたあたりで音もなく近づいて来る者があった。
「旦那」
 源八のところの平太だった。文史郎が通るのを待っていたらしい。
「おう」
「ちょいとお話が」
「何かわかったかい」
「へい」
「一杯やるか」
 永代橋を渡ったところで、与吉を先に帰し、平太と新川のほうに歩いていった。
 お務め向きではない頼み事だから、いつものように百文二百文の手間だけとはいくまい。酒肴でねぎらう心づもりである。
 何度か入ったことのある居酒屋の暖簾をくぐった。そこそこに広い店だが、入れ込みの飯台は、もう客でいっぱいだった。
 店の小女に、落ち着いて話せる所はないかと聞くと、愛想よくうなずいて奥へと案内した。三畳だけの小さな座敷だが、障子を閉めれば酔客の喧噪はじゃまにならない。
 しばらくして注文の酒と肴が運ばれてきた。平飯台に、茄子の丸炊き、豆腐、きゅうりのぬか漬け、とろろのすり下ろしがつぎつぎと並ぶ。女が、鰈(かれい)の一夜干しはいま焼いておりますのでと言って出て行った。
「飲ってくれ」
 勧めると、平太は小さく辞儀をして冷や酒の徳利をつまみ、文史郎に酌をして自分にも注いだ。それから、とろろの小鉢を取り、猪口に少し流し入れて箸でかき混ぜる。
「芋酒か、この暑いさなかに風邪っ引きかい」
「いえ、近頃、こいつに凝っておりまして」言って、とろろ入りの酒を口に含んだ。
 文史郎はそうせず、醤油をさして肴にする。
 一口目が喉元を過ぎてゆくときの、鼻から抜けてゆく酒の香が清冽だった。ここ四日市町と、新川をはさんだ対岸の銀町(しろがねちょう)には、蔵持の酒問屋が軒を連ねる。この界隈で飲むと、どこでも酒が旨いのは、そのせいかもしれない。
「聞かせてくれ」
 促すと、平太は猪口をもどし膝をそろえた。
「おぬいは、平井様の家を出てから、下谷池之端仲町の『うるし本舗』という店で女中をしていました」
「その店なら聞いたことがある。塗り物問屋だな」
「当時から、奥の女中を六人も使っていたという大店です。ところが、そこもまもなくやめてしまいました」
「なにか事情でも?」
 平太が手で大きな腹をつくった。
「こうなっちまったもんで」
「赤子か」
「へい。働きはじめたときにはもう、腹の中にいたようで」
「子どもがいたのか……」驚きだった。「相手はだれだ」
「店をやめてすぐに所帯をもちましたから、亭主の子でしょう」
「亭主は?」
「大工の甚平という男です。これが、箸にも棒にもかからねえ野郎で」
「どういうことだ」
「大工とは名ばかりで、仕事はしねえ、朝から酒はくらう、酒癖は悪い、ねちねちからむ、女房を殴る蹴るだわで、ずいぶん苦労したようで」
「その野郎は今どうしている」
「所帯を持って半年もたたない年の瀬に、冷たくなって六間堀に浮かんでいました。甚平はその前の晩、飲み屋でしたたか酔って、客と喧嘩してつまみ出されています。そのままふらふら歩いていて、足でもすべらして落ちたんでしょう。ろくでなしらしい、ろくでもない終わり方です」

「そうか」
「おぬいが所帯を持ったのは、前にも後にもそれきりです」
「今その子どもは?」
「それが……、胡乱(うろん)な話なんですが」
「どうしたい」
 平太は、いっそう声を落とした。
「神隠しにあったと」
「神隠し? まさか」文史郎は思わず苦笑いになった。
「ちょいと外に出て戻ったら、いなくなっていたと。もっとも、お上には、人さらいだと届けたようですが」
「大店の娘ならともかく、貧乏長屋の赤ん坊を拐かす酔狂がいるか?」
「まったくで」
「赤ん坊はそれきりか?」
 平太はうなずく。
「気になるのは、常日頃亭主の甚平がむごい扱いをしていたということで」
「どういうことだ」
「おなじ長屋にいた者の話では、夜泣きするたびに、黙らせろとか捨ててこいとかわめきちらす、蹴飛ばす、投げ飛ばす、挙げ句に水瓶につっこんで殺そうとしたこともあったとか」
「甚平が赤ん坊を手にかけたか」
「考えられないことではありません」
「“神隠し”があったのは、いつのことだ」
「甚平が死ぬ半月ほど前のことです」
「おぬいが蛤町に家移りしてきたのは、それから間もなくということだな?」
「さようで」
「きな臭えな……」
 文史郎が平井家にくる半年前、父嘉之助と三津の間には男子がいた。待ちに待った子である。それが、初誕生(生まれて一年目の誕生祝い)も迎えぬまま、原因不明の病であっけなく逝ってしまった。与吉が言うには、そのときの三津の打ちひしがれようは、憐れで見ていられなかったという。母親とはそうしたものなのだろう。おぬいが、子を殺されて亭主に殺意を抱いたとしても不思議ではない。
「おぬいが亭主を殺したか? 足下もおぼつかないほど泥酔していたなら、女でも堀に突き落とすくらいはできる」
 そう言うと、実はあっしもそれを疑いましたと平太は首肯した。
 平太の報告を聞いて一旦は納得したが、父の嘉之助が言いたかったのは、ちがうところにあったのかもしれないと思いはじめている。

 つぎの日の朝、家で朝餉(あさげ)をとっていた。
 開け放った戸口のむこうに桜の木が見え、青々と茂る葉が朝風にそよいでいる。それは、母の三津が、文史郎が平井家に入った日に植えさせたものである。
 いつか三津が言ったものだ。
「この桜もおまえとともに育っていきます。これを見れば、自分の成長ぶりもわかります。おまえの守り神ですよ」
 ひょろひょろと頼りなかった苗木も、今では太い幹をつくり、枝が板塀を越えて表にまで張り出し、季節のたびに花びらを散らして道を白く塗り染める。
 桜の姿に重なって、あでやかな花筏の絵柄が思い浮かんだ。文史郎は面映ゆい気分におそわれる。着物を見て、「今年も、うちの桜は見事だった」などと能のないことを言った自分が、気恥ずかしくなったのである。
 疑念が湧いたのはそのときだった。
「毎年ご自宅の庭でお花見が楽しめるとは、贅沢なことでございますね」とおぬいは言った。
 しかし、おぬいが平井家にいたとき、庭に桜の木はまだなかったのだ。それが、まるで見たような口ぶりにも聞こえるではないか。
 そういえば、嘉之助との関係を疑った質問をしたら、おぬいは、亡くなったご新造にも無礼だと怒った。文史郎は、父が死んだとは言ったが、母が亡くなったことは告げていない。そういえば、嘉之助が死んだと聞いたときも、さほど驚いたふうではなかった。実は今も平井家の内証に通じているのではないのか? だが、どうして?

 奉行所の門をくぐると、文史郎は用部屋手付け同心の詰め所に入っていった。手付け同心とは、奉行直属の公用人の下で、刑事断案の調査記録をつかさどる役職である。
 詰め所では、同心たちが黙々と文机に向かって筆を動かしている。こちらを見る者はいない。こんなところにいたら息が詰まって一日ともたない。外役でよかったと思う。 
 文史郎は顔見知りの若い同心を見つけ、むかしの事件を調べたいと断りを入れて文庫に向かった。
 重い板戸を開けると、紙と墨の匂いが鼻をついた。天井まである大きな書棚が何列も列なっている。
 三十一年前の捕物帖を探しだし、何冊かをとって明かり窓のほうに持って行き、どっかと腰を下ろす。尻の下の板の間が冷たく、心地よい。
 頁を繰りはじめて四半刻(三十分)もたったころ、やっと目当ての記載に突き当たった。
 十二月十七日、六間堀中橋下で溺死体が上がった。死体の身元は、北森下町二丁目寿助店住まい、大工甚平。外傷などはなく、泥酔のうえ堀に落ちて死亡したものと検分、とある。報告者である与力と同心は、文史郎の知らない名である。すでに致仕(ちし=退職)しているのだろう。
 思い出して、その前の月の捕物帖を繰る。

 見つけた。十一月三十日、拐かし事件の報告がある。大工甚平の子がさらわれたとある。内容は、平太から聞いたものと変わりない。シジミ売りの声が聞こえたので、ザルを持って出、もどってきたら、赤ん坊が消えていた。
「ん?」
 思わず声をあげていた。事件の報告者である同心のところに、平井嘉之助の名を見たからである。この拐かし事件を受け持ったのは、父だった。
「どういうことだ」思わず眉間に皺が寄る。
 父の廻り場は、仙台堀から南の深川一帯だったはずである。北森下町はそうではない。なぜ、廻り先でもない事件に首を突っ込んでいるのだ?
嘉之助が現場に出向いたのなら、そのときおぬいと顔を合わせているはずである。しかし、おぬいは、そのことも、子どもがさらわれたことも言わなかった。
(あのばばあ、なにを隠してやがる)
 もはや、父の遺言のためでなく、みずから気持ちがおぬいに向き始めていた。
 文史郎は、雪駄をつっかけるのももどかしく、待っていた与吉に声をかけた。
「与吉、おぬいの子が拐かされた事件を覚えているか。北森下町だ」
「そこは大旦那の廻り場内ではありませんし、覚えはありませんが……」
「おぬいがうちの家宝の茶碗を割ったってのはほんとうか」
「家宝の茶碗? なんのことでしょう」
 やっぱりな。あのばばあ、とっちめてやらなくちゃならねえ。
「おぬいのところに行くぞ」
「へい」
 奉行所を出ると、大門の門番所の前を行ったり来たりしていた男が、文史郎を見て駆け寄ってきた。
「旦那」
 岡っ引きの源八だった。
「おう、どうしたい」
「おぬいが消えちまいました」

 自身番のまえでおろおろしながら待っていた長兵衛が、文史郎を見ると言った。
「旦那、どうしましょう」
「おぬいが消えたって?」
「そうなんです、神隠しみたいにぽっと」
「また神隠しかい」
「……またといいますと?」
「こっちのことだ。消えたのはいつだ」
「昨日の六ツ半(午後七時)ごろのようです」
 隣の家の銀三が酒をやりながら舐める味噌を借りて皿を返しに行ったら、もういなかったという。今朝になっても姿がないので、長兵衛に知らせて来たのだ。木戸番の話では、六ツ半過ぎから今朝まで、人の出入りはなかったという。
 源八とともに、おぬいの家に走る。
 無人の部屋は薄暗くひっそりとしていた。窓を開けて明かりを入れる。部屋はきちんと片づいていて、争ったようすはない。
 足先になにかが触れた。朱色の塗り箸だった。おぬいが髪に挿していたものだ。誰かと揉み合ったとき落ちたか?
 壁際の衣桁が目に入ったとたん、文史郎の中で閃光のようなものが奔った。部屋を見回す。ない。着物がない。花筏の着物はどこだ? あと二、三日といっていたから、もう仕上がっているはずだ。
「じいさん、おぬいの出入りしている店は日本橋の近江屋といったな」
「さようですが」
「源八、行くぞ」
「あの、旦那、おぬいさんは……」
 心配げに訊く長兵衛に、何かあったらすぐ報せろと言いおいて、飛び出した。
「またこれだ…」
 長兵衛のぼやきが小さく聞こえた。

 通町通りにある近江屋は、客の応対に忙しく、繁盛しているようだった。
 文史郎と源八は裏に回り、女中に店の者を呼んでくるよう言いつけた。十手持ちが店先で聞き取りをしては商いに障るだろうと気遣かったのである。
 やがて勝手口から出てきたのは、若い男だった。腰を折り、不安げな顔で二人を見る。
「手代の者でございますが、なにか……」
「忙しいところすまねえ。八丁堀だ。つかぬことを訊ねるが、蛤町のおぬいを知ってるな?」
「はい……」
「昨日か今日にも、着物を届けることになっていたと思うんだが」
 手代は大きくうなずいた。
「昨日の夕刻の約束だったんでございます。それがいっこうに届きませんので、今朝方、使いの者をやったのですが」
「ということは、まだ届いてねえんだな?」
「はい。こんなことははじめてで。先ほどからお客様もお待ちで、思案に暮れております」
「出直してもらえ。今日は届かねえ」
「さようなんですか?」
「ちょいとわけありだ。こんどだけ大目に見てやってくれ」
「いったいどういう……」
 手代が訊いたときには、文史郎はもう背中を向けて歩き出していた。
 仕上がったはずの着物は部屋からなくなっていたが、近江屋に届けられたわけではなかった。
 文史郎がおぬいの家を訪ねたのは、三日前である。そのときには、これといって不穏の兆しはなかった。文史郎がおぬいの過去に疑念を抱いたのはつい先刻のことだし、雲隠れする理由はない。やはり拐かしかもしれない。
 源八がうしろから声をかけてきた。
「旦那、さっき長屋の裏を調べたとき、囲い塀の板が一か所破れていました」
「そこから連れ出したか」
「裏は堀川です。船を使えば木戸を通らずにすみます」
「声を出すなと刃物でもちらつかせりゃ、長屋の者にも気づかれねえ。そうなると、一人じゃねえな」
「船の漕ぎ手と、おぬいを押さえつけている者と」
「しかし、なんのためにそんなこみ入ったことをする。ただの針妙だぞ」
「そういえば旦那、このことと引っかかりねえかもしれませんが……」
「なんでえ」
「下っ引きの平太が言ってたんですが、おぬいのことを調べているとき、思いがけない名前を耳にしたそうで」
「誰だ」
「おぬいの亭主の甚平というやつは、若い頃からかなりのワルだったらしく、町のごろつきとよくつるんでいたそうです。そのごろつき仲間に甚平を誘いこんだ男というのが……」
「知ってる名前か」
「弥三郎です」
「なにい?」埃っぽい通町通りの雑踏に、文史郎の声がとどろいた。「ついせんだって八丈島から帰ってきた、あの弥三郎か?」
「へい、あの弥三郎です」
 うなずいた源八の眼差しは険しかった。

 おぬいが消えて二日たったが、行方は杳(よう)として知れない。
 小者の与吉を源八のところにやって、話があるのでお多福で会いたいと伝えた。
 約束の時刻、佐賀町の店を訪ねたが、源八はまだ戻っていなかった。店の隅で茶をすすって待っていると、四半刻もたったころ、あわただしく入って来た。
 源八は切れ切れの息で「お待たせしました」と詫び、女房のおちかに水だといって一気に飲み干すと、話しはじめた。
「弥三郎は、島田町の永居橋そばの裏店をねぐらにしていたんですが、もう十日も帰ってきていません。やくざ者らしい男たちが金を返せと毎日のように押しかけるので、雲隠れしたんだろうという噂です」
「博奕か」
「その見当で、心当たりの博奕場をしらみつぶしにあたってみたんです。霊巌寺裏の小さな荒れ寺に賭場が立っているんですが、そこに出入りしている客から、弥三郎が大きな焦げつきを出して、どこかへ連れていかれるのを見たという話を聞き出しました」
「消されたか」
「それがですね、妙なことに、弥三郎を連れて行った用心棒の浪人も、その日をさかいにぷっつり見なくなったというんです」
「浪人……?」
「もっとも、貸元の友吉は、何を聞いても知らぬ存ぜぬですが」
「そのことと、おぬいが消えたことと引っかかりがあるのか?」
「おぬいの家の裏の堀川を下ると、熊井町に行き当たります。そのあたりの空き家にうさんくさい連中が出入りしているという噂を耳にしたことがあるんです。そいつを調べるのに手間取ってたんですが、その空き家というのが、貸元の友吉が誰かの借金のカタに取ったものだとわかりました」
「つまり、友吉の持ち物か」
「さようで」
「行くぞ」
 刀を取り、立ち上がった。

 熊井町は、仲町界隈の賑わいや華やかさからはずれた、静かな町である。あちこちに空き地や雑木林もある。
 源八が、あれですと一軒の空き家を指す。人の手が入らなくなって久しいらしく、荒れ果てて、伸び放題の庭木や雑草にうずもれていた。
 竹垣越しに家のほうをのぞく。空き家のはずが、左手の台所のあたりから、蝋燭(ろうそく)の明かりがちろちろと漏れ、人の声がする。
 ふたりは、壊れ落ちかけている枝折り戸をすり抜け、庭に入っていった。気が早い虫の声が、人の気配を感じ、ピタッと止んだ。
 足を止め、家のほうをうかがい見る。話し声は続いている。気づかれていないようだ。
 ふたりは、ふたたび歩みを進める。
 勝手口の戸が開いている。
 文史郎は戸口の脇にはりついて、耳をそばだてる。
 源八は戸口の向こうの窓の下にうずくまり、顔をしかめてぼりぼり腕を掻いている。蚊に刺されたのだ。文史郎もすねのあたりが無性に痒くなってきて掻く。
「帰して下さい」
 女の声にハッとし振り向いた。
 のぞき込むと、台所の柱に、女が後ろ手にくくりつけられており、その向かいに樽を置いて腰掛け、話している男の背中が見えた。
 窓の下から、源八が文史郎に向かって声を出さずに言う。
(弥三郎です)
 文史郎も声に出さずに言う。
(あっちはおぬいだ)
 弥三郎が言った。
「金のありかを言う気になったか」
 おぬいのすがるような声が聞こえる。
「何度言ったらわかるんです。そんなもの、ありゃしません」
「いい加減白状したらどうだ。そうしたら帰してやる」
「お金を貯め込んでいるなんて誰から聞いたんです。根も葉もない噂です」
「あくまでもとぼけるなら、おおそれながらと訴え出るぜ、甚平を殺したのはおぬいでございますと」
「何度も言うように、あの人は酔っぱらって堀にはまったんです。殺したとしたら、あんたでしょう」
「そのころはわけありで江戸を離れていたんだ。殺せるわけがねえ」
「知ってるんですよ、あなたが甚平を嫌っていたこと。死んだと聞いて、正直ほっとしたでしょう」
「……あいつは狂犬そのものだった。男前だし普段はおとなしくて優しいから、女はころりと騙されるが、ひょいとした拍子に目が据わり残虐になる。薄気味の悪い野郎だ。ああ、大嫌いだったさ。だから、くたばったと聞いて祝い酒を飲んだくらいだ」
「着物は? うちにあった着物はどうしたんです?」
「売ればいい金になりそうだ」
「あれはだいじなお客様のものです。返してください」
「それより自分の命を心配しやがれ」
「あんたみたいな意気地なしが、殺せるもんですか」
「おれだって、やるときゃやるぜ」
 その言葉に、ふんと鼻を鳴らした者がいる。
 台所にもう一人いた。
 覗き込み目をこらすと、蝋燭の向こうの暗がりに、鞘(さや)がらみの刀を抱いて壁にもたれている男がいた。暗くて顔はさだかではないが、月代(さかやき)が伸びているし袴(はかま)をつけているから、どうやら浪人者らしい。
(行きますか?)
 源八が無言で訊く。
 文史郎がうなずくと、源八は用心深くその場から離れていった。何かのときは捕り方を呼びに行くように申し合わせてあった。
 弥三郎がつづける。
「あんな疫病神みたいな女に捕まるとは、おれも焼きが回ったもんだと、甚平の奴、こぼしていたぜ」
「疫病神はどっちだったんでしょうね」
「餓鬼はどうした」
「神隠しにあいました」
「とぼけるな。甚平から聞いたぞ。神隠しなんて嘘っ八だ、おれに殺されると思ってどこかに捨ててきたんだ、じゃまくさいのが片づいてすっきりしたがな、と言っていた」
 文史郎の気持ちが強ばる。子どもは掠われたのではなく、おぬいが捨てた?
「預かってもらったんです」
「誰に?」
「言うもんですか。あの人にそれを言ってしまったことを今でも後悔しているんですから」
「甚平には教えたのか」
「散々殴られて、白状してしまったんですよ。あの人は、子供を預かってくれた人からお金をゆすりとろうとしたんです」
「強請る?」
「自分の子が拐かされたと訴え出ると」
「そりゃいい。たしかに人別帳の上では、まぎれもなく甚平の子だ」
「それで、先様にとんでもない迷惑をかけてしまった。だから、口が裂けても言うもんですか」
「弥三郎」
 ひび割れた声がした。
 弥三郎がビクッとして振り向く。暗がりのむこうから浪人が言った。
「これ以上おまえの与太話に付き合っちゃいられねえ」
「与太話じゃねえって」
「このばあさん、金は持ってねえ」
「ちょっと待ってくれ。いま白状させる」
「甚平を殺したのもこの女じゃねえ。ということは、おまえが金を返せるあてはなくなったということだ。それを知ったら、貸元はどう言うだろうな」
 浪人がゆっくりと立ち上がり、刀を腰に差し落とした。背の高いがっしりした男だった。
 カチッと冷たい音が聞こえた。刀の鯉口を切ったのだ。
「ま、待て、早まるな」
 弥三郎が樽からずり落ち、尻餅をついたまま土間を後ずさる。
「そうとわかったときは二人とも始末しちまえという友吉親分のお達しだ」
 浪人が刀を抜いた。
「待った」
 文史郎は十手を掴んで飛び込んでいった。捕り方を待っている猶予はない。
「このふたりには聞きたいことがある。いま殺されちゃ困るんだ」
「誰だ」
 文史郎をにらみつけたのは、鬼気を帯びた氷のような目だった。剣の道を極めた者が相手を倒すと決めた、殺意のみなぎった目だった。
(やられる)
 文史郎は、全身を貫く恐怖心とはちがう予感のようなものに凍りついた。
 気構えて、低く声を吐き出す。
「八丁堀だ。神妙にしやがれ」
 やにわに、弥三郎が出口に向かって走りだした。追いかけて捕まえたが、暴れもがく。
「じたばたするんじゃねえ」
 殴りつけ、押さえ込む。ハッとして振り返る。
「ちっ」
 思わず舌打ちをしていた。
 浪人は、もういなかった。

 おぬいの家に空き巣に入ったのは弥三郎だった。
 博奕で四十両という多額の借金をつくってしまい、おぬいの金を狙ったのだが、小判の詰まった瓶は見つけられなかった。返済を強く迫られた弥三郎は、苦しまぎれに言った。蛤町のおぬいという女がしこたま金を貯め込んでいる。甚平殺しと子捨てを種に強請れば、博奕の借金はすぐに返せると。
 話に乗った貸元の友吉は、用心棒の浪人をついて行かせた。恐喝の手助けだけでなく、弥三郎の見張りでもあったろう。
 弥三郎から調べ書を取り終わった頃にはかなり遅くなっていたので、その晩は大番屋には送らず、熊井町の番屋に留め置くことにする。おぬいが囚われていた家で見つけた仕立ての着物は、明日近江屋に届けさせることにした。
 おぬいは顔に痣ができていたし身体も弱っていたが、幸いおおきな怪我はしていなかった。
 文史郎は番屋での調べを済ませると、蛤町まで送って行き、布団をのべて座らせ、訊ねたいことがあると言った。
「お調べはもう終わったのでは?」
「そうじゃねえ、聞きてえのはわたくしごとだ」
 おぬいは寝床から不安げな目を向けた。

「うちには、はなから家宝の茶碗なんぞありゃしねえ。家を出されたほんとうのわけはなんだ」
 黙り込んでしまったおぬいに、文史郎は迫る。
 子掠いの一件をどうして隠したのか。どうしてその事件を、廻り場のちがう嘉之助が調べたのか。
「今日は、この間みたいにはいかねえぞ。得心するまで帰らねえ」
「あそこで、弥三郎とわたしの話をどこまでお聞きになったんです?」
 文史郎は答えず、無言のまま痩せた女をにらみ据える。
「隠しおおせませんね」
 遠くを見るような目で弱々しくため息をつき、おぬいは話し始めた。

 おぬいが赤子を抱いて平井嘉之助の家の門を叩いたのは、師走まであと数日を残す、ある夜のことである。
 一年ぶりに顔を合わせた相手に、おぬいはいきなり言った。
「この子を引き取ってください」
 必死に訴えるその顔には殴られた痣があり、赤子を抱く腕には擦り傷がいくつも見えた。冷え込む夜で、吐く息はうっすらと白いが、着ているものは夜着の浴衣一枚である。
「わたしが殺されるのは、自業自得だからしかたありません。だけど、この子は死なせるわけにはいきません。無茶なお願いとは重々心得ておりますが、ほかに頼れる人を知りません」
 門前払いを覚悟していたが、そうはならなかった。
「今夜はうちに泊まるとして……」三津が言った。「いっそ、お子を連れていずこかへ雲隠れしてしまってはどうですか?」
「何度も逃げだしました。でも、そのたびに見つかって連れ戻されてしまいます。このままでは、二人ともいつか殺されてしまいます」
 おぬいに暇を言い渡した嘉之助本人も、なぜか親身だった。
「よし、おれが亭主に説諭してやる」
「いけません、そんなことをしたら、かえってわたしが半殺しの目に遭ってしまいます」
 おぬいは、甚平の呪縛に囚われていた。
 嘉之助はそれを見抜いていただろうが、恐怖心に支配されているから何を言っても無駄だと思ったのだろう、言った。
「わかった、その赤ん坊はうちで預かってやる」

 文史郎がおぬいに訊く。
「で? その子はどうした」
「とある方に引き取られたとか」
「どこの誰に?」
 おぬいは力なく首を振る。
「知らねえのか?」
「はい。旦那様が、そのほうがよかろうと」
「ふうん……」
「子どもは拐かされたことにして、裏でもらい子に出してしまおうと言ってくださったのも、嘉之助の旦那でした」
「そういうことか……」
 これで、廻り筋でもない父が首を突っ込んだわけがわかった。
 調べも探索も奉行所への報告も、同心の父が塩梅よろしく采配したのだ。いわば、嘉之助とおぬいは共犯者だった。事件のことも父と再会したことも言わなかったわけである。
「赤ん坊を預けて、おまえは寿助店にもどったんだな」
「はい。つぎの日、旦那さんが家まで付き添って来てくださいました。そのとき、女房に手を上げるなと叱ってくれたのですが、効き目があったのは、ほんの二、三日のことでした」
 亭主の暴力は止まなかったということだ。
「甚平が死んだのは、それから半月ほどあとのことだ。あれはほんとうに川流れだったのかえ?」
「そうです」
「おまえがやったんじゃねえのか?」
「とんでもない。わたしは家で伏せっていました」
「伏せっていた? 患いか?」
「……」
 おぬいの沈黙が、その答えだった。甚平に足腰立たぬほど殴られたのだろう。それでは、いくら相手が泥酔状態でも、川に突き落とすことはできない。
 しかし、と文史郎に疑問が湧く。解雇した奉公人のために嘉之助がそこまでするだろうか?
「もう一度訊くが、あんた、うちの親父とできてたんじゃねえのか?」
「そんなことはありません」
 おぬいは、そこだけきっぱりと言った。
「じゃあ、なんでそこまで面倒見がいい?」
「嘉之助様は、もともと情の篤いお方ですから」
「情が篤い? あの仏頂面が?」
 そう言いながらも、文史郎は思い出している。母の死の枕元で見た父の涙を。母を一筋に思っていた父を。
「しかしなんでまた、そんなたちの悪い男につかまっちまったかなあ」
 おぬいは自嘲的に語る。
 子どもが出来て何かと物入りも多く、店賃も滞りがちになった。しかし、子どもを産んだばかりで働きに出ることもままならない。父なし子を産んだ女に世間の目は冷たく、突き刺すように痛い。にっちもさっちもいかなくなっていたところへ、笑顔のきれいな男が言葉巧みに近づいてきた。心が弱りきっていたから、つい、その優しさにほだされてしまった。
 ほんとうに馬鹿でしたとおぬいは言って、力のない笑みを洩らした。
「その後、生き別れた子どもは?」
「さあ、どこでどうしているんでしょう……」
 七尾が平井家に嫁してきて五年、まだふたりに子はない。子ができないなら、父がそうしたようにどこかから跡目をもらえばいいと考えている。自分も養子だが、養母の三津は優しく、叱るときは厳しく、他の親に負けない深い愛情で育ててくれた。嘉之助の、一見冷淡にも見えるぎこちない情の表し方を補う気持ちもあったのかもしれない。
 文史郎は、自分が他人の子だからだとねじくれ、思い詰めて、「どうせ自分は血がつながっていない子です。よそに養子に出してもっと出来のいい子をもらおうというのでしょう」と泣いて訴えたことがある。
 そのとき三津は、毅然と言った。
「そうですよ、あなたはわたしがお腹を痛めた子ではありません。それがどうしたというのです? わたしたちにとって、大切な子であることに変わりはありません」
 その言葉は断固として揺らぎなく、文史郎の胸を強く打った。
 いまだから思う。血のつながりなどいかほどのものか? 実の親に育てられるのも、そうでないのも、すべては縁であり、さだめなのだ。血がつながっていようがいまいが、親子の遠い近いや情の篤さに、露ほどのちがいもない。
「きっとどこかで元気にやっているだろうよ」
 文史郎は、また能のないことを言ってしまった自分を呪ったが、ほかに言うべきことばが見つからなかった。
 その後の調べで、浪人の名前がわかった。達川士門。齢は三十前後、八王子のほうから流れてきたようだと貸元の友吉は言った。士門は霊巌寺裏の賭場にはもどらず、そのまま行方をくらましていた。

 麹町二丁目を過ぎて右に折れ、広い坂道をゆっくりと上って行く。ついこのあいだまでの蒸し暑さが嘘のように、ここ数日はからりとしているので、坂の上り下りもさほど苦ではない。
 叔父の新田勝之進の屋敷は、番町法眼坂の中ほどにある。勝之進が遠縁の新田家に養子に入った頃、居宅は牛込神楽坂下の揚場にあったのだが、そこから移り住むたびに屋敷は大きくなり、四年前、やっとここに落ち着いた。
 新田家はもともと、九十石の非役小身の旗本だったのだが、養子に入り総領となった勝之進が十四のとき小姓組の番士に召し出されてから、家運は一変した。謹厳実直と豪放磊落(ごうほうらいらく)をあわせ持った性分がなしえたのか、異例の出世を遂げた。徒士頭、目付を経て遠国奉行、さらに昨年、長崎から呼び戻されて作事奉行を任じられた。今や、二千三百石の大身である。町奉行になるのも時間の問題といわれている。
 そんなわけで、一介の町方同心がおいそれと目通り叶う相手ではないのだが、勝之進は、文史郎が願えばいつでも会ってくれた。生みの親でもあるこの叔父を尊敬し慕ってもいたが、両親が健在のころは気兼ねもあって、頻繁にまみえるわけではなかった。父の臨終で再会したのも、母親の葬儀以来のことである。
 門番所で訪(おとな)いを告げると、若党らしき男が出てきて、門径をはずれ小石を鳴らして屋敷地の奥へと案内していった。通されたのは広大な庭である。夏の日差しの下に大木の欅(けやき)や楓(かえで)が茂り、松やサツキのなかに池や築山(つきやま)も見える。
 土蔵脇の盆栽棚の鉢に鋏を入れていた勝之進は、文史郎の姿を認めると、「おう、よく来た」と穏やかな笑みで迎えた。
 文史郎は、ここ半月ほど思い悩んでいた。思いつめて、叔父に長い手紙を書いた。ほどなく返事が届いた。日時と、この日に屋敷にあがるようにと書かれただけのごく短い文面だったので、今日は、不安を抱いたままの訪問となった。
 若党が立ち去るのを待って、文史郎は言った。
「せっかくのお休みを申し訳ありません。思い悩んだあげく、叔父上におすがり申した」
「ここのほうがよかろう。話が話だからな」
 おもてで二人だけで話をするのは、叔父の心遣いだった。
「で? 何が聞きたい」
「手紙にもしたためましたが、父嘉之助が息を引き取るとき、申したのでございます。おぬいを気にかけてやれと」
「兄者がなあ」
「叔父上、わたくしは、誠に叔父上の子なのでございましょうか」
 フッと息を漏らして、勝之進は文史郎を見た。
「なぜそのようなことを訊く」
「まっこと、勝之進様の血を受けた子なのですか?」
「そうだ」
「三十一年前、当家にいたおぬいという女中が子を産みました。甚平という無頼の子です。甚平の暴力が凄まじく、殺されると思ったおぬいは、うちの父のところへ赤子を預かってくれと頼みにきたそうです」
 勝之進は盆栽の松を剪定しながら、「それで?」と無表情に声を返した。
「その子はどこぞの者に引き取られたということですが、今どこでどうしているのでしょうか」
 パチッと鋭い音がして、切り落とされた小枝が飛んだ。
「それを聞いてどうする」
 文史郎はまっすぐに訊いた。
「その赤ん坊は、わたくしではないのですか?」
「なにゆえそう思う」
「どこかにもらわれていったおぬいの子とは、わたしのことではないかと。わたしには、甚平の穢(けが)れた血が流れているのではないのかと」
「思い当たる節はあるか。感情が激して抑えられなくなることがあるか。わけもなく人を殴りつけたり殺したくなることがあるか」
「わたくしが平井家に入る半年ほど前、母の三津は子を亡くしております。そのときの打ち沈みようは、尋常でなかったと聞きおよびます。それを見て父も心を傷めたことでしょう。そう思ったとき、ひとつの疑いが湧いたのです。おぬいの子を養子に出したというのは作り話で、そのまま平井家の子にしてしまったのではないのかと」
 勝之進は文史郎を見て深々とため息をつくと、ふっと笑いをこぼし、独り言つように言った。
「隠しおおせぬか……」
 叔父のつぎのことばを、文史郎はじっと待った。
「……そなたの文言を読んで、ここまで調べられては、もう隠しおおせぬと肚をくくった。おまえは、真実を知っても心が壊れてしまうほど弱い男ではないしの」
「それでは……」
「おまえの推量どおりだ。だがしかし、肝心の一点に大きな見誤りがある」
「それは……」
「兄者が、つまり、おまえの父親がいきなりやってきて、とんでもないことを言い出した。どこかの赤ん坊を新田家の子にしてくれないかと。書類上のことは、自分が細工するからいっさい迷惑はかけないと。あまりに突拍子ない頼みごとに、わしは、いくら兄上でも、そのような無茶は聞けませぬと断った。しかし、兄者は引き下がらなんだ」

 おぬいが乳飲み子を抱いて平井家にやってきたのは、折も折、やっとできた長子をあっけなく失い、三津が失意の底にあったときである。
「宗一郎が生まれ変わって帰って来たのです」三津は、おぬいの赤ん坊を抱きながら、亡くした子の名を口にした。
「この子が生まれたのは、宗一郎が亡くなったつぎの日というではありませんか。生まれ変わりに相違ありません」
 三津は、この子をうちで引き取ろうと言い出した。情が移り離れられなくなったのかもしれない。嘉之助は、その言葉に動かされて、決意した。拐かし事件を捏造し、勝之進の籍を借りて文史郎を我が子としようと。すべては、三津のためだった。
 赤ん坊を預かって二十日ほどたったある日、嘉之助が様子を見に行くと、おぬいは床のなかにいた。
「どうした」
 赤黒く腫れあがった口で、おぬいは言った。
「子どもをどこへやったと問い詰められて、とうとう白状してしまいました。あの子が……誰の子かも」
 ふだん感情をおもてに出すことのない嘉之助の顔が、険悪にゆがむのをおぬいは見た。
「やつは?」
「出かけました」
「どこだ」
「たぶん深川元町か八名川町あたりだと……」
 嘉之助は裏店を飛び出していった。
 泥酔し、六間堀端をふらふら歩いているのを見つけた。
 先に声をかけてきたのは甚平のほうである。
「ちょうどよかった、明日にでも旦那の御屋敷に伺おうと思っていたところで」
「何用だ」
「あの赤ん坊はうちら夫婦の子だ、お返しいただけませんかね?」
「幾度も殺しかけたというではないか」
「かわいい子ほど、きちんと躾(しつけ)をしなきゃなりませんから」

「返さないといったら?」
「八丁堀の旦那が拐かしですか? そいつはうまくねえや。手放したくない気持ちもわからないわけじゃございませんが」
「……金か?」
「目に入れても痛くない子ですが、話によっちゃあ、お譲りしてもよろしいかと」
「おめえ、誰にものを言ってる? 町奉行の役人に脅しをかけようってのか」
「そんな大それたことは……。あっしはただ、切っても切れない親子の情の話をしているだけで」
 嘉之助の目が、どす黒い色に変わった。
「うげっ」
 いきなり腹に拳を叩き込まれ、甚平は胃の腑のものをあたりにぶちまけた。
「おめえは、この世にいちゃ、いけねえ人間だ」
 うずくまっている背中を蹴り飛ばした。激しい音をたてて、甚平の身体が、堀割の黒い水面を砕いて消えた。それでけりはついた。きたない血で刀を汚すまでもなかった。

「父が、甚平を……」
 放心したように文史郎はつぶやいた。
 勝之進は、淡々とつづける。
「それを聞いて、わしは、ますます首を縦に振れなくなった。仮に紙の上のことだけとはいえ、そのような無頼の子を新田家に入れるわけにはいかぬ。そう言うと、兄者は言ったのだ。勝之進、あの子は甚平の子ではないのだと」
「甚平の子ではない?」
「その赤ん坊は、父上の子だった」
「父上の子? 祖父の、平井宗右衛門様のことですか?」
「そうだ」静かにうなずいた。
「まさか……」
「それを聞いて、わしの肚は決まった。父上の子と知っては、是非もない。別腹とはいえ、わしたち兄妹の弟なのだ。見捨てるわけにはいくまい。三津殿が子を亡くして人が変わったようにふさぎ込み、夜ごと忍び音に泣いていることも聞いていたし、断っては人の道に外れると思ったのだ。そういうわけで、文史郎、安心せえ。おまえは、甚平の子ではない。祖父さまの子だ」
 勝之進の冴え冴えとした高笑いが、晴れ渡った晩夏の空に響いた。
「兄者によれば、おぬいの祖父様への献身ぶりは、奉公人を越えた頭の下がるものだった。昼夜の別なく襲ってくる喘息の発作に、湯を沸かし、薬を煎じて飲ませ、ぬくめた手ぬぐいで胸を温め、背中をさすった」
 それでも子どもたちは、父の宗右衛門がおぬいと一緒になりたいと言い出したとき腰を抜かすほど驚き、嫌悪感を露わにした。耄碌(もうろく)して色惚けしたと勝之進は嘆息し、世間の笑い者になると光代は泣いた。そのとき宗右衛門五十七歳、おぬいは十九である。今さら後妻を取る齢でもなく、色に惑ったと思われても無理はなかった。側女ではなく正式に祝言を挙げて夫婦になると言い張る父親に、子どもたちは激しく抵抗し、嘉之助は父に黙っておぬいを解雇した。
 宗右衛門の命が尽きたのは、それからまもなくのことである。最愛の女をもぎ取られて、生きる力を失ったのかも知れなかった。
 嘉之助が、おぬいが父の子を宿していたと知るのは、それから一年後、赤子を抱いて現れたときである。無情にも二人の仲を裂き、その結果、父を死なせ、おぬいを不幸のどん底へ突き落とすことになった。
「そのときはじめて、わしたちはとりかえしのつかぬことをしてしまったと気づいた。兄者が甚平に制裁を加えたのは、おぬいと父上へのせめてもの罪滅ぼしだったのだろう」
 勝之進は独りごつように言った。


 上野山下の五條天神門前町やその周辺には、料理屋や水茶屋が建ち並び、夜の五ツ半(九時)を過ぎても、灯が街を華やかに彩り、人通りは絶えない。
 文史郎は、すでに閉まった床見世の暗がりから、源八とともに、通りの向かいの水茶屋を見張っていた。文史郎が駆けつけると、源八が、野郎が店にあがったのは半刻ほど前ですと告げた。
 ついに、浪人者、達川士門の居所を突き止めたのである。下谷の御家人町に小さな寺があり、そこの賭場に用心棒として潜り込んでいたのだ。
 源八が、平太ともう一人の下っ引きに命じて寺を見張らせていたのだが、ひと月たっても出てくる気配はなかった。それが今日、日も落ちたころ突然姿を現したのである。
 士門が向かったのは、目と鼻の先にある門前町の水茶屋だった。水茶屋の体裁をとる娼家である。文史郎の廻り場からはずれた下谷を選び、さらに用心に用心を重ねて籠もっていたのだろうが、さすがに息が詰まり耐えられなくなったとみえる。
 さらに一刻ほどの時が流れて、人通りがまばらになってきた。
 女の声がして振り向くと、水茶屋の店先に背の高い男が立っていた。
 (出て来た!)
 浪人は、送りに出た女の愛嬌にも応えず、ついと背中を向けて歩き出した。
 二人はあとをつけはじめる。
 浪人は、懐手でのんびりと東の方に歩いて行く。辻を右に折れ、やがて大きな寺に入って行った。そこは士門の居留する寺ではない。これが近道なのかもしれない。
 まずいと文史郎は顔をしかめる。寺は寺社奉行の管轄だから、町方が捕物をすることは許されない。厳密にいえば境内までは町方の領分だから足を踏み入れるのはかまわないのだが、そこで捕物をしては、あとで御寺社から不法を訴えられるかもしれない。しかたがない、引きずり出してそとで捕らえたことにしてしまおうと肚を決める。
 月が明るい。
 白い月明かりに塗り染められ、広い境内がひっそりと広がっている。玉砂利を踏む三人の足音が月明かりに吸い込まれてゆく。
(ここいらでよかろう)
 文史郎は、下腹に気をこめると、声を発した。
「達川」
 浪人の足がひたと止まった。
 背を向けたまま静止していたが、やがてゆっくりと向き直った。
 狂気のほとばしる氷のような目は、まぎれもなく達川士門のものだった。
 あとをついてくる男たちに予感のようなものがあったのだろう、文史郎たちを見ても表情は動かなかった。
「探したぜ、士門」
 士門は、こちらを凝視したまま、懐から両手を抜いてだらりと下げた。
 源八が十手を抜いて構える。今にも飛びかかっていきそうな気配である。だが、いくら腕っぷしの立つ源八でも、この手練れの剣客を十手一本で取り押さえられるはずはない。
 文史郎は、浪人に目を向けたまま源八に声を投げる。
「親分、あんたはここで見物しててくれ」
 浪人に言う。
「拐かし、ならびにおぬいと弥三郎を殺しにかかった罪で召し捕る。すでに弥三郎と友吉は、伝馬町の牢屋でお裁きを待つ身だ。てめえもおとなしくしお縄につきやがれ」
 士門は、無言で刀の柄頭を押し下げ、鯉口を切った。
「おれのいったことは聞こえたな? それでも手向かうなら、斬るしかねえ」
 浪人がひらりと白刃を抜いた。
 文史郎は雪駄を脱ぎ捨てる。
「お役目柄、いちおう言ってみただけだ。はなからこうなると思っていたさ。来やがれ」
 刀を抜いた。威勢はよかったが、勝つ自信はなかった。浪人の腕は、熊井町の空き家で向き合ったときわかっている。
 文史郎は中段に構える。
 士門は刀を持ったまま、両手をだらりと垂らして突っ立っている。一見無防備に見えるが、凍るような殺気が伝わってくる。
 文史郎は、玉砂利を鳴らして二間ほど右に回り込む。背中に負った明るい月が、相手の全貌を白く浮かび上がらせた。
 士門の剣先がすっと斜め前にあがった。わずかに腰を沈めた独特の脇構えである。
 士門の剣先が月明かりを受けて白く光ったと思った刹那、すさまじい勢いで頭上にふり落ちてきた。
 かろうじて跳ね上げ、二度、三度、撃ち合う。火花がはじける。
 斬り上げざま後ろに飛んだ。
 青眼に構えをもどし、間合いをとる。
 息が乱れ、肩で息をする。相手は八双に構えたまま、微動だにしない。
 感じる。こいつの剣法は、道場の稽古で鍛えたものではない。邪剣だ。人を斬るたびに身体で覚えた人殺し剣法だ。こいつの刀は、何人の血を吸ったのだろう。
(やられる。早いとこ片づけちまわねえと、やられちまう)
 士門がじりっ、じりっ、と間合いを詰めてくる。
 打ち込もうとしたとき、一瞬早く相手が飛び込んできた。鋭い太刀筋だった。
 それを正面で受け止める。押し返すが、相手の力は強い。強いというより、堅い重さでねじ込んでくる。
 足下でジャリッと音がした。踏み固めた右足が滑った。
 支えを失い、身体がふわりと浮いた。倒れこむ文史郎の身体を追いかけて、横ざまに士門の一撃が襲ってくる。
 身をよじりかろうじてかわしたが、刀がはじき飛ばされ、手を離れて暗闇に消えていった。
 倒れ込んだ手の下に玉砂利があった。間髪おかずに斬り下ろしてくる士門が見えた。掴んだ玉砂利を投げつける。
 士門の目に当たり、動きが一瞬止まった。
 すかさず脇差しを抜き、喉元目がけて突き上げる。
 大きな身体が硬直し、やがて糸が切れたように地に沈んだ。
 茫然と、目の前の死体を眺めていた。
「旦那」
 気づいて振り向くと、源八がいた。
「お怪我はありませんか」
「……ああ」
「旦那の刀裁き、はじめて拝見させていただきました。見事なもので」
「なにが見事なもんか」文史郎は自嘲した。
 こいつに勝てたのは、おれのほうがもっと邪剣だったからだ。

「ばあさん、いるかい」
 声をかけて開けると、縫い物をしているおぬいがいた。はじめて訪ねて来たときとおなじだった。だが、そこからがちがった。
「あら、旦那」
 おぬいが破顔して文史郎を見る。
「大福だ。食わねえか」
 手にした経木の包みを差し出す。

 腰を浮かしかけたおぬいに、「いいよ、おれが茶を淹れてやる」と言って上がり込んだが、ふと立ちつくし、部屋を見回す。勝手がわからぬ。
「茶葉はどこだ」
 おぬいが苦笑いして立ち上がる。
「わたしが淹れましょう。お武家様にそんなことさせちゃ、罰が当たります」
「なにを水臭せえこと言ってやがる」
 それでも文史郎は、刀を壁に立てかけ、空いた場所を見つけて座る。縫い物や裁縫道具を広げた四畳半ひと間は、座るすき間を見つけるのもひと苦労である。
 おぬいは竈に眠っている薪の火をおこし、茶の用意をはじめる。
「今日はもうお役目はおわりですか?」
「おう」
 町廻りを早めに切り上げ、与吉は先に帰した。
 おぬいが茶を淹れて文史郎の前に置く。
 これがおれの母親か、とまたかすかな感慨をもって見る。その目に気づいて、おぬいが不思議そうに首をかしげる。
 今ではおぬいが生みの親だと知っているし、文史郎がそれを知ったことをおぬいもうすうす感づいているはずなのに、どちらからもそのことを口にすることはなかった。文史郎は、「ばあさん」から「おふくろ」へと呼び方を切り替えるきっかけを失してしまっている。
 甚平の死は事故だったとおぬいは言ったが、甚平が川流れの死体となって発見されたのは、嘉之助が事情を聞いて飛び出していった翌る朝のことである。おぬいは、感づいているにちがいないと思う。だが、そのことを蒸し返すつもりもない。
「食え。江戸一番の大福だ」
 包みを開け、おぬいに大福を勧めて自分も頬張る。
「美味しいですよねえ、ここの大福は」
 おぬいはいつものように嬉しそうに味わう。品のいい、深みのある味わいである。
「伊勢屋の餡は格別だ。小豆は蝦夷産、砂糖は和三盆しか使わねえ。小豆に自信があるから、砂糖も塩も控えめだ。この味加減がまた、品がいいときてる」
 すべて源八親分の受け売りである。毎度聞かされる口上だが、おぬいはにこにことうなずいて聞いている。
「ところで、ばあさん、変わりはねえかい」
「いやですよ、つい三日前にもいらしたばっかりじゃありませんか」
 父の嘉之助が死んで七か月がたち、季節はもうすぐ春である。
 文史郎は、父の遺言を守るように、たびたび顔を出す。半刻(はんとき=一時間)も話し込んだり、たまには、おぬいがつくった夕飯を馳走になったりと、今では気心が知れ合っている。
 このごろは、大黒店のこの小さな部屋が居心地良く、気が和む。おぬいは、ばばあ呼ばわりされても、むくれるでもなく、はいはいと笑っていなす。それがまた文史郎には心地よい。
 おぬいを見ていると、七尾と重なることがある。おぬいは、身を挺して祖父を看護してくれたし、七尾は献身的に病持ちの父の面倒をみてくれた。どちらも、健気で、働き者で、気働きがきく。心根が優しく、一緒にいると気持ちが安まる。
 嫁にするならこういう女でなくてはと思う。そんな女を虐待した甚平は罰当たりだし、添い遂げられなかった宗右衛門はさぞかし無念だったことだろう。
「今度、新造を連れてきてもいいか」
「こんなむさ苦しいところでよろしければ、いつでもどうぞ。ぜひともお目にかかりとうございます」
「一目で気に入るぞ。七尾はいい女だ」
「ごちそうさまです」
「惚気(のろけ)じゃねえよ。ほんとうによくできた女なんだ」
「七尾様がいらっしゃるから、そんな風に勝手をしていられるんでしょうね」
「ちげえねえ」
 夕餉がちかい。家々から女子供の声や菜を刻む音が、さざ波のように流れてくる。
 文史郎は、また来ると言って大黒店を後にした。
 まだ少し肌寒いが、気持ちのいい夕暮れ時だった。
 夜に向かって華やかに彩られつつある深川の大通りを、永代橋へと歩いて行く。
 橋のたもとの小さな木立が見えてきた。そこに一本の桜の木があることを文史郎は知っている。それをちらと横目で見て、橋を渡りはじめる。花をつけるまでには、まだ半月はありそうだ。
 まだ早い時刻だから、深川へ遊びに出る男たちの姿はまばらである。家路へと急ぐのか、行き交う人々はだれも足早だ。
 おぬいは、うちの桜を見たことがあるのだと思う。八丁堀の家の前を行ったり来たりしたことがあるのだ。塀のむこうの我が子に思いをはせ、あるいは通りを歩いていないか目をおどらせながら、あのあたりをいくども行き来したことがある。そんな母親の切ない想いを、文史郎は心の奥でしっかりと受け止めている。
(そうだ)
 庭の桜が咲いたら、おぬいをうちによんでやろう。
 親子で花見をしながら、重箱(じゅう)のものをつつくのだ。七尾のつくる蛸の桜煮や卵焼きはとびきりだ。
 橋の上を、春の冷たい風が流れて行く。振り返ると、海面に点々と浮かぶ白い帆船のむこうに、緋色に染まる空が広がっていた。
 文史郎は、赤子のとき、おぬいに抱かれてこの橋を渡ったことに思い至る。これまで長いこと、何も知らず何の感慨もなく往来していた。
 今年といわず、桜の季節にはかならずよんでやろう。歩けなくなったら、負ぶって送り迎えしてやる。おぬいがおれを抱いてこの橋を渡らなければ、おれは今こうして生きてはいない。生みの親であると同時に命の恩人でもあるのだ。おれを受け入れた嘉之助と三津もまた、親であり命を救ってくれた恩人である。おれは宗右衛門に生を授けられ、おぬいと嘉之助と三津によって生かされたのだ。それに報いるためなら、年老いた母を背負うなどいかほどのものか。
 目の前にのびる永代橋を、文史郎は力強い足取りで歩いてゆく。
 夕暮れの陽が江戸の町をわけへだてなく緋色に染めぬいて、沈んでゆく。
 文史郎は空の向こうに映える陽に、もうすぐやってくる春をはっきりと感じた。

                                  了



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