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言葉と行為、"言うは易し行うは難し"か〜アメリカ大陸奪還党5〜

以下では、筆者は言葉と行為「言うは易し行うは難し」を提示する。彼は言葉を優先する。下記は党における話法の一つである。なお、下記の命令は創造主でなく統治者が最終的に下す。

一般的に、大和民族は行為を過大評価して、言葉を過小評価する。彼らの社会活動や政治活動のほとんどが失敗してしまう。彼らは言葉をちゃんと扱えないので、彼らは言葉を信頼、信用しなくなってしまう。その結果として、言葉をますます軽視する負の螺旋になっている。

一般的に、大和民族は「口だけ」と言って、他人を見下すが、彼らは自己の文明的な所属や自己の宗教を彼ら自身の言葉で表現して、その認識を共有することができない。加えて、彼らは自己の言語すらカタカナ用語で崩壊させている。たとえ行為が存在するとしても、言葉がないならば、人間社会における行為もないだろう。

実際、もしあるサッカー選手たちが言葉で意思疎通できないならば、彼らは試合を実行できないし、試合に勝つことができない。もしある日本モンゴロイド人の雌が白人の夫と彼らの言葉で意思疎通できないならば、その夫婦はまともな家庭システムを形成できないだろう。言葉を軽視するとは、互いに意思疎通できない白人夫と日本モンゴロイド人の雌の妻のような家庭である。

大和民族に言葉を使用させても、彼らは口や不平不満や説明しかできない。彼らはその言葉で社会システムを形成したり、自己や歴史に関する共通認識や共通判断を形成したりすることができない。

1.0 言葉と行為

1.1(儒教系統の認識、または命令)
言葉を行為に優先させろ。

言葉を行為に優先させろ。特に、演繹的な行為や実現的な活動、大局的な活動では、言葉を行為に優先させろ。政治活動や社会活動、国家運営や文明や宗教に関する活動では、言葉を行為に優先させろ。

つまり、「言うは易し行うは難し」でなく、「行うは易し言うは難し」。正確には、「行うは易しちゃんと言うは難し」

流れは「言葉→(実行)→行為」である。なお、行為が優先されるのは、労働や運動選手の運動、時間的、かつ空間的に局所な場合である。または、帰納が必要な場合や意図的に実験する場合である。

1.2(儒教系統の認識、または命令)
実現的な活動では、行為を言葉に優先させるな。ただし、意図的に実験したい場合を除け。

実現的な活動では、行為を言葉に優先させるな。ただし、意図的に実験したい場合を除け。例えば、システム設計をしたい場合に、何らかの行為や行動が必要になる場合がある。このような時は、党における主体はとりあえず行為することができる。

2.0 必要と原因

2.1(儒教系統の認識、または命令)
言葉を原因と認識せよ、かつ行為を必要と認識せよ。

言葉を原因と認識せよ、かつ行為を必要と認識せよ。または、言葉を原因を表現する道具や手段と認識せよ、かつ行為をその原因を実現させるために必要な運動と認識せよ。順序ははじめに言葉、次に行為である。

3.0 言葉

3.1(儒教系統の認識、または命令)
言葉には、社会システムの創造や共通認識の形成や善悪の判断の形成、自己認識の共通が存在する。

言葉には、社会システムの創造や共通認識の形成や善悪の共通判断の形成、自己認識の共通が存在する。より正確には、儒教系統の言葉には、社会システムの創造や儒教系統の共通認識の形成や儒教系統の善悪の儒教系統の共通判断の形成、儒教系統の自己認識の共通が存在する。

つまり、党システムが何らかの活動を実行する時、それは自己の社会システムを
言葉で表現する、かつその言葉を仲間で共有する。その後、彼らは共通認識の形成や善悪の共通判断の形成、自己認識の共通を彼らの言葉で共有する。

簡単な流れは次である。

(1)社会システムを言葉で設計する
(2)そのシステムにおける認識や判断を言葉で共有する
(3)そのシステムに沿って行為を実行して、社会システムを実現させる

おまけ 発話に関する組式(プログラム)

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