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誰の認識が正しいのか?〜俺ら(katotoorera)の政治信条〜

以下では、筆者は誰の認識が正しいのかを提示する。彼はシステムの設計者の認識が正しいと認識する。彼は分析者の認識が正しいと認識しない。彼はこの認識を判断や善悪へと一般化する。

1.0 背景

【儒教系統の認識】
分析者は自己の社会を形成することができない。

分析者は自己の社会を形成することができない。たとえ分析者が正しいことを言うとしても、分析者は自己の社会を形成することができない。たとえ分析者が正しいことを言うとしても、分析者は自己の社会を設計することができない。

例えば、分析者には、リチャード・ドーキンスが存在する。彼は宗教を厳しく批判して、彼は宗教を否定する。しかし、たとえ彼が真理を主張して、宗教を否定するとしても、もし彼がキリスト教やイスラム教よりも、強力な宗教を形成することができないならば、彼は生存競争で敗北する。

その結果として、イスラム教における真理が自然科学に打ち勝つ。つまり、アッラーが自然界を創造したことになり続ける。古典力学や量子力学が否定される可能性が高まる。

2.0 誰の認識が正しいのか

【儒教系統の認識】
彼はシステムの設計者の認識が正しいと認識する。

彼はシステムの設計者の認識が正しいと認識する。または、彼はシステムの設計者の認識が真理と認識する。真理は唯一に正当化された善悪である。

彼はシステムの創造者の認識が正しいと認識する。または、彼はシステムの創造者の認識が真理と認識する。

つまり、彼は分析者の認識を正しいと認識しない。

3.0 思考規範

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