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Kindle端末は必要か

結論 

自分は必要ないと思う。
ただ最近、Kindle端末のドでかい利点を発見してしまった。

Kindle端末とは 

Amazonが提供している電子書籍サービスをKindleという。
このKindleを読むための端末がKindle端末である。

じゃあKindleを読むには端末が必要なのかと思ってしまうが、そういうわけでもない。
Kindleはアプリさえ入れてあれば、スマホやタブレットでも読めるのだ。
自分はスマホでKindleの電子書籍を読んでいる。
何も不便はない。

ならばKindle端末はいらない子なのかというと、一応あやつにもよいところがあり、目が疲れにくいらしい。
e-inkという技術により、紙の本のごとき目に優しい表示を可能にしているそうな。

実際、スマホの画面を見ていると目が疲れるという御仁も多かろう。
そういう方にはKindle端末は有効かもしれない。

しかし私が思うに、スマホでも表示設定をいじれば、目を痛めることなく読書を楽しむことができる。
私のおすすめ設定は、背景を黒・文字を白にし、さらに文字を思いっきり大きく表示することである。

背景を黒にすることで、眩しさを低減する。
文字を大きくすることで、目に力を入れないで読むことができる。
これであなたの目は救われるだろう。

Kindle端末は集中できる説

人曰く、Kindle端末には読書に集中できるというメリットもあるらしい。
スマホで本を読んでいると、ついツイッターを眺めたり、読書とは別のことをしてしまう。
Kindle端末であれば他のことができないので、読書に集中できる。

たしかに、行動に制約をつけることは脳内の優先順位が低いタスクを遂行するのに有効な手段である。
ただこれも隙あらば読書してしまうような読書マシーンであれば無用な考えである。

まとめると、スマホやタブレットを所有していて、かつゲーム脳ならぬ読書脳をお持ちであれば、Kindle端末は必要ない。

隠された長所

実は、Kindle端末には見落としがちなメリットがある。
それは、雰囲気が出るということだ。

自分にとって本を読んでいる雰囲気は大切である。
私が本を読んでいると、家族はなるべく話しかけないようにしてくれる。
長時間読んでいてもあまり小言を言われない。
テレビの音量をちょっぴり下げてくれるかもしれない。
とても尊重してもらえる。

ところがスマホで本を読んでいると、傍目では読書していることがわからない。
スマホをいじっていると思われる。
だから家族は私に遠慮せず話しかけてもいいし、ずっとスマホをいじるなと私に注意していいし、テレビは大音量で鳴り響く。
ひましてるんだから頼み事をしても構わない。

これは大変困った問題で、自分は家族と一緒にいると読書に集中できないし、いい年こいてスマホいじりを怒られてしまうと大いに傷つく。
頼み事はめんどうである。

対人関係においては、ときに本質ではなく形を取らないといけない場合がある。
相手にわかりやすいような見た目をしていないと気づいてもらえない。
人がみな星の王子さまを読んでさえいれば、見た目なんかを気にする必要はなくなるのだが、そうもいかない。

そこでKindle端末である。
これは本なんだよと事前説明さえすれば、未開の部族でもあの黒い板は未来から来た新しい本なんだとわかってもらえる。
Kindle端末を持った私は、紙の本を読んでいた頃のように尊重してもらえる、ような気がする。

Kindle端末は気分が上がる

Kindle端末は自分で自分を尊重する気持ちにさせてくれるかもしれない。
気分が上がる。
これは大切なことだ。

読書とは崇高な営みである。
読書している自分はかっこいい、これは紛れもない主観的真実である。
読書している時、人は己を大いに誇っていいのだ。
ただスマホで読書していては格好がつかず、いまいち誇らしい気分になれないかもしれない。
Kindle端末はスマホよりも紙の本寄りのため、読んでいる自分を忖度なく誇れる。
一人暮らしの人でも、己を上げるツールとしてKindle端末は有用であった。

ふたたび結論

Kindle端末にもよいところがあると理解した。
さっきまで不要!不要!と鼻息荒くのたまっていた自分も、来年はKindle端末最高!人生が変わる!などと騒いでいるかもしれない。
許してほしい。