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「僕らがここにいる理由」 僕らのいい服、いい道具 10YC × 左ききの道具店 × sheep POPUP Store in Nagoya(1/3)

019年11月29日(金)に開催された、10YC、左ききの道具店、SHEEP Design Incによるトークイベントのほぼ書き起こしです。3者が自分たちのブランドをどう考え、どう実践してきたのか、その一端を感じさせるイベントになりました。少々長いですが、ぜひご覧ください。

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10YC(https://10yc.jp/):下田将太(写真中央)
左ききの道具店(https://hidari-kiki.shop/):加藤信吾(写真左)
SHEEP Design Inc(https://sheep-dps.jp/):山川立真(写真右)

それぞれの自己紹介

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加藤:「左ききの道具店」の加藤信吾と申します。コピーライターとして広告や企業のブランディングのお手伝いをしています。4年前に株式会社LANCHという会社を立ち上げて、今は夫婦中心でやっています。自分たちで商売をちゃんとやりたいなと考える中で、自分たちらしいテーマは何だろう?と考えました。妻は左利きで、自分に合う道具がなかなか見つからないんだ、と。そんなニーズからこのお店の着想に至ったのが、去年(2018年)の8月です。今1年と3ヶ月経ち、皆さんに少しずつ知っていただきながらやっています。妻が店長として仕入れや出荷などに動きながら、僕は代表として「左ききの道具店」の進んでいく方向やお金の部分などを管理運営しています。

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下田:僕は「10YC」というイベントの受付をやってお金を稼いでいます。

会場:(笑)

下田:「10年着続けたい服」というコンセプトでアパレルブランドをやっております。2017年9月に立ち上げて、いま2年ちょっと経ちました。前職もアパレル系なのですが、いろんなことを思いながら起業しました。Tシャツ一枚から始めましたが、今はアイテムも増えてきました。基本的にはwebで販売していますが、コミュニケーションをとるとか、リアルにものを触ってもらう機会を設けるためにこうやっていろんなところにポップアップを出しながら生計を立てています。貧乏話だったらいくらでもできますよ(笑)。

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山川:僕はSheep Design Incという会社を経営しています。会社にしたのは去年(2018年)の春で、今いるここは、僕が普段お店をやっている場所です。事業は3つあって「キャンドルづくり」「デザイン・ブランディング」「店舗経営」です。以前から加藤さんとデザインの仕事をいくつか一緒にしていて、今でもいくつかブランディングの仕事を継続中です。そのなかで「お互いにモノを売ってるし、10YCさんも一緒に(何かイベントを)やったら面白いかもね」という話になり、この企画の実現に至りました。


1人、1事業を作りたかった。

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加藤:僕は「左利き」に対してどうにかしようとか、熱いものをあまり持っていません。僕自身は食べるのは左でそれ以外は右という「クロスドミナンス※」です。そういうこともあって、僕自身はそれほど不便を感じていなかったんです。なので、妻が「左利き専門のお店をやりたい」と言った時は、正直いらないだろうと思いました。需要がないだろう、と。当時、お金がなかったのもあります。でも1年ほど経って、もう一度妻から「やっぱりやってみたい」と言われて、改めて考えよう、と。それで競合を探してみたら、あまりにもなかったんです。少なくとも今っぽい感じのウェブサイトはなかった。神奈川に昔からある実店舗のお店がありますが、ウェブサイトはありませんでした。もう少し調べてみたら通販のフェリシモさんが以前にやっていたようですが、現在は撤退しています。あの規模の企業が撤退するくらいに市場がないんだ、と。これはレッドオーシャンはおろかブルーオーシャンでもない、そもそも誰もいない「クリアオーシャン」だと。そして「だったら逆にいいかも」とも思いました。市場がないんだったらすごく小さくはじめても、もしかしたら可能性があるかもしれない、と。

ある意味打算的なところが僕にはあったかもしれません。逆に、妻の方は左利きで「もっとこういうのがあったら」という思いを抱えていたので、彼女の思いの強さと僕の打算が合わさって始まった形です。できれば2人で事業をしたかったので、そういうきっかけでスタートしました。

※クロスドミナンス・・日本語では「交差利き」。道具や用途によって利き手を使い分けること。

山川:シンプルに夫婦でやっているのが、いいですよね。やってみると中では色々あって大変なのかもしれませんが。今日の陳列に関しても、奥さん強かったですからね(笑)。商品はどうやって探しているんですか?

加藤:インターネットで探していることが多いです。輸入はヨーロッパのものが多いんですよ。それには、文化的な理由もあるようで。日本には毛筆の文化がありますよね。書き順ひとつとっても、ぜんぶ右利き仕様なんですよ。なので左利きを矯正してきた歴史がある。ヨーロッパの方ではそういう考え方はありません。むしろ、利き手を矯正するのは虐待だという認識すらあるようです。商品の3分の1くらいはヨーロッパから輸入しています。ドイツが多いでしょうか。1番売れているのは万年筆です。ペン先が違うんですよ。

山川:なにが違うんですか?

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加藤:万年筆って、ペン先が斜めになっていますよね。左利きの人が右手用を使うとひっかかってうまく書けないことがある。世に出回っているのはほとんどが右手用で、左利き用は数えるほどしかありません。その中でも、うちでは高級すぎないけど大人が普段使いできる左利き用のものを扱っています。

山川:奥さんは元々何をされていたんですか?

加藤:元々は通信会社の広告宣伝部にいました。広告や公式サイトの管理とか。文具は元々好きだったようです。仕事を辞めてからしばらくは僕のアシスタントをしてくれていたのですが、退屈そうで(笑)。会社としては1人1事業もてるような状態がいいな、と思っていたんです。社員をこれから増やした時にも、自分の事業を持つ必要があるんじゃないかって。僕はコピーライターの仕事があって、妻にも何かいるんじゃないかとずっと思っていたんです。2年くらいなんかないの?って言ってて、1年目でそれを言われたんだけどダメだって言って。

山川:メンターみたいな感じなんですね?

加藤:そんないい形がどうかはわかりませんが、「対等な関係性だ」ってお互いに思えた方が楽しいんですよ。自分が権限を持って動かせることの方が、絶対楽しいので。


友人の服への怒りにハッとした。

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下田:僕が生まれたのは1991年です。新卒でアパレルのOEMの会社に入りました。OEMとは、ブランドから商品の製造依頼を受けて、指示した価格と納期で提携工場を動かして作る、という形態です。その会社に入った理由はグローバルに働きたいと思ったからでした。

山川:洋服の専門学校に通っていたのですか?

下田:いいえ。普通の4年制大学で、経済学部でした。僕が入った会社は、入社したらすぐに中国転勤だと言われていました。現地で中国人とコミュニケーションを取りながら仕事をするのは、めちゃくちゃ面白そう、と思って行きました。が、いざ中国へ飛んだら、会社が大きな会社に買収されてしまって。そこから5年はその大きな会社で働きました。日本でも屈指の売上を誇るアパレル企業だったので、そんな規模で仕事を動かせるという経験はなかなかできないことでしたね。

日本の本部でブランドのMD(マーチャンダイザー)と時にはバトルもしながら、1人で何億という仕入れのお金を動かすのは楽しかった。でも5年目くらいに、ある転機が訪れたんです。僕は友達の家にルームシェアさせてもらっていたのですが、居候しているツレが1万円もするTシャツを買って、1回洗ったら首元がヨレヨレになってしまった、と言うんです。「お前の業界どうなってんの?」という感じで突っかかられて。でも価格の根拠が品質なのかブランド料なのか色々だし、そもそも俺のブランドの服じゃないし、業界背負ってるわけじゃないし…って思いながら聞いてました。多分彼も、怒りのはけ口がなくて俺に向けたんだろうけど。それでふと「俺らで作ってみる?」っていう話になったんですよね。

山川:ハッとしたんですね?

下田:そうですね。とりあえずノリで「作るか!」となりました。いくらで仕入れるのか、安く作るためには…とか色々考えてやっていたのですが、ユーザーのことを見ていないことにハッと気づいたんですよね。実際は、レジを通ってしまえばバイバイじゃないですか。それってけっこう寂しいことだな、と。レジを通ったあとも、どれくらいお客さんが着たかとか、どれくらい楽しんだのか、それを着てどんなことがあったかとか、そういうストーリーの交換がしたい。それができるようなブランドを作りたいと思ったんです。だからまずは、ずっと着てもらえるような服を作ろうと。思い立って、和歌山にある工場に電話しました。それで、居候してた家の友達と別の友人と3人で、和歌山まで夜行バスで行ったんです。それまでの仕事だと、中国でいくらで作れるかという話から始まって、その値段だったらこの布地で、こうやって作りましょう、という流れだった。でも、その和歌山の社長は「吊り編みっていうのはさ、空気が入るから簡単にへこたれないんだよ」とかいろんな話をしてくれて、めちゃくちゃ面白かった。試作をお願いして、3回くらいああでもないこうでもない、とやりとりをしました。最初は生地が硬すぎて、次は柔かすぎて、3回目がちょうどよかった。布地の試作に、1年くらいかかりました。業界全体で疲弊しそうなアパレルの世界にも嫌気がさしていて、自分たちがやろうとしていることでもしかしたら改善できるかもしれないって思った。最初はクラウドファンディングをさせてもらって、ありがたいことにうまく資金が調達できたので会社をやめて起業しました。

山川:売り方やビジネスモデルは最初は考えてなくて、とにかく長く使えるものを作ろうっていうのが先行したということですか?

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下田:そうですね。はじめは私費でやっていましたし、クラウドファンディングしたのも自分たちの分がまず欲しかったからです。でも、布地って一度作ると何百枚もできちゃうんです。これはまずい、と思いました。それなら、クラウドファンディングしてみんなに買ってもらおうと決めた。クラウドファンディングをしてみて、今していることをちゃんとビジネスにしたいなと考えるようになりました。そこから2ヶ月かけて、どんな言葉を使ったらお客さんに伝わるかを考えながらウェブサイトを作りました。

メンバーの中に、ウェブを作れる方がいるんですか?

下田:います。元々メンバーは3人でした。家主と後(うしろさん。製造を担当)と僕で。いまは4人です。

山川:卸売はしないのですか?

下田:しないですね。オンラインか直接販売です。


気づいた、無かった、作るしかないと思った。

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山川:僕は普通の大学を卒業して、新卒で凸版印刷に入りました。大学ではマーケティングを4年学んでいました。実家が商売人の家なので、自分も将来は何か商売をするんだろうな、とは思っていました。もともとは洋服のデザイナーになりたかったんです。けれど親がアパレル業をやっていて、めちゃくちゃ反対されました。「アパレルだけはやめろ」と。在庫を持つ商売は大変だから、というのが理由でした。なので、専門学校ではなく大学に行って、印刷会社に普通に就職しました。凸版印刷ではアートディレクターをやっていました。常に5冊ぐらいの冊子の企画制作を同時並行でディレクションする仕事で、デザイナーやカメラマンを協働しながら進めていく統括という立ち位置でした。

生協の冊子だったので、扱うテーマの一つに料理がありました。料理の面白さに魅せられて、仕事を通して農家さんの知り合いが増えたり、25歳くらいで自分自身が料理の先生にも教わるようになって。食卓がどんどん充実していくことが楽しかったです。と同時に、テーブルセッティングにもこだわるようになっていたある時、使っていたキャンドルの匂いが気になったんです。調べてみると、パラフィンや凝固剤や人工の香料など体に良くない材料がたくさん使われていることがわかりました。その頃、ちょうど自分でもキャンドルを作り始めていたので、害のないものはないのかな?と調べたら、なかなか流通していなかったんですよね。ただ、海外に「ソイワックス」を使ったキャンドルがあることを知って、それならいいんじゃないか、と。

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当時は7−8年前ですが、日本で作っている人はいませんでした。独学で失敗しながらも試作を重ねていたら、飲食店をやっている知り合いの人たちが「それは何?扱いたい」と。卸売のような感じで取り扱ってもらうようになりました。生まれて初めて請求書や納品書を自分で作った時でした。当時はイベントが今ほど多くはなかったのですが、たとえばラシックのポップアップのようなイベントなどに少しずつ出たりしながら段々と忙しくなってきて、独立がチラつきました。でも、キャンドルだけでは絶対に食べていけないってわかっていたので、「デザイン」+「キャンドル」で商売をしていこうと思い立ちました。最初にいきなりここ(当日会場となっていたシープ事務所)を借りたんですよ。当時はお金がなかったので、一部は別の方とシェアしたりして。1年目は、本当にやばかった(笑)。でも今やデザインのお仕事をもしっかりとできるようになって、去年法人化しました。実店舗を始めたのはその直前でしたね。

僕の場合、別にキャンドル屋さんになろう、とか、キャンドルで食べていきたい!という思いがあったわけではなくて、単に「気づいた」っていうのが大きかったです。「これ、体に良くないんだ」って。良くないものは使いたくないから、良いものがないなら作ろう、となんとなく作っていて、言われた通りやって、注文をもらったら売る……というプロセスだった。ビジネスとしてどう売ろうか、なんてことはスタッフができてから考え始めたことです。

Text:Shingo Kato(LANCH)
Photo:Keita Inaba
編集協力:Megumi Danzuka

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