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心書Vol.0010〜受け入れる〜receive

我が家には何種類かのテレビゲーム機があります。

改めて数えてみたら、ファミコン、スーパーファミコン、プレステ2、プレステ3、ニンテンドーSwitchの5種類でした。

子どもたちはもちろんSwitchが中心なのですが、たまに僕への忖度なのか、スーパーファミコンをやろうと誘ってきます。

うちは子どもが3人なので、最近は4人以上のプレイが可能な、「ボンバーマン系」か「桃太郎電鉄系」に落ち着くことが多いです。

今日はボンバーマンからの桃鉄、という流れでした。

前にやったのは、、、いつだろう?思い出せない。ってくらい、ゆうに半年は前のことですが、そのときはボンビーがつくとぎゃあぎゃあ言っていた長男(小5)がボソっと、

「桃鉄って、なんか人生みたいよな」

父ちゃんは息子の成長(!?)が嬉しかったです。

人生は決して平等ではなく、公平や公正はめざせども達成されることは稀であり、理不尽なことだってままあるものだと僕は思っています。

子どもだって、小学校生活でそういうことは勘づいてくると思いますが、桃鉄からそれを学ぶとは素晴らしいと思いました。

僕の先輩でも、毎回毎回、前半戦は調子いいのに、必ず中盤から貧乏神がつき、キングボンビーに変身され、ボンビラス星へ連れていかれて、「クソゲーや!」といってコントローラーを投げてふて寝してしまう方がいます。本人は勝てなくて、面白くないかもしれませんが、その不思議の負け方を見たくて、その人の周りには人が集まります。

桃鉄から人生を学び、多少の理不尽も受け入れて、周りが楽しんでくれるような転換ができれば、きっといい人生になることでしょう。

自分の人生の苦難も、「他が為に」。

どんなことであれ、自身の為にも、他者の為にも、転換していけるはず。

そのことを忘れずに、いきたいですね。

人生だって、壮大なゲームなのかもしれないのですから。

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