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運動会の万国旗に思う日本文化

こんばんわ。昨日はすっ飛ばしましたが。なんというか、毎日更新を惰性でやっていたけど、不定期にしようかなーと思いまして。色々と忙しすぎるので、ま、何日かに1回ぐらいの不定期ペースにしようかと思います。今後ともよろしく。

さて。まず、業務連絡、って感じでもありませんが。僕が住んでいる高知県本山町って町が、町おこしの地域プロジェクトマネジャーってのを募集していまして。ぜひ、これを機に移住して町おこしをしてやろう、って人、いましたら、僕も住民としてめちゃめちゃ協力しますので、応募してみませんか? ま、メール(このメルマガに返信、noteならコメントとかで)で質問くれましたら、いろいろな実情も話せますので。ご検討よろしく。

昨日のことですが、子供の運動会がありまして。で、運動会ですから、万国旗が校庭の上にはためいているわけです。で、ふと、これって日本独自の風習だよなと思って。アメリカだったら、星条旗だけを掲げることはあるだろうけど、万国旗って無いでしょう。ググると、明治にどこだかが始めたとかいう「情報」は出てきますが、こんな表面上の豆知識みたいな情報には意味が無いんですよ。それがきっかけであっても、それが「広まった」ということの理由を知りたいわけです。

でも、日本文化というのはそもそも、外国から入ってくるものを受け入れて溶け込ませる文化でしょう。仏教も入ってきて、神道と入り混じっていたわけです。あれを分けたのは明治以降であって、それまでは一緒みたいなものですから。カレーとかラーメンのような異国の食事が入ってきても、なんとなく、日本食に溶け込ませてしまう。その文化の延長線上に、万国旗もあるんだなと思うんです。

じゃあ、逆に、なぜ他の国は「受け入れないのか」という問題が浮かびます。で、これは、もし受け入れていたら文化が消滅したからだ、結果、受け入れていない頑固な文化だけが生き残った、と言えると思います。日本との差は、地理的な要因です。日本は、文化を受け入れても、軍隊は受け入れない(守れる)地理的要因があった。海がありますから。それも、ドーバー海峡のような狭い海峡ではありませんから。となると、文化だけを問題なく受け入れて生存できる、という行動様式になったんだと思います。

でも、日本人にとっての文化って、あくまで、物品だけがくるとか、数人の人が来るとか、そういうレベルのものなんですよね。チャイナタウンができるとか、そういうレベルでは無い。安心して「良いとこどり」が出来るから、外国から来るものは良いものだ、という考えにもなる。そして、それは裏返せば、リアルな付き合いが出来ない、ということにもなります。リアルな付き合いというのは、いわゆる「国際的な」、日本人としてのアイデンティティを核として持って国際人として振る舞う、というような。

ま、それが出来ないのが日本人だし、原因を辿れば地理的な要因だし、別に修羅の大陸文化に合わせることも無いと思いますが。ともかく、運動会の万国旗には日本独自の平和な風景を感じますよ。別に、そこでロシアを外そうとか、そういう感じもありませんしね。お祭りじゃん、みたいな。良いですね。はい。またこんど。

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