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2022年05月08日 育児の噺

昨日、子供が3人いるお母さんと話していて、やっぱり育児は大変だなぁ、と。僕が言っている「集落づくり」も、きっかけになったのは、育児ですよ。育児って大変すぎるから、こんなものを親だけでやれていたはずは無い、というところからの、集落ですよ。途中、端折りまくっていますけど。で、育児のことって、あまり世間では語られないですよね。せいぜい、保育の待機児童がどうだとか。

例えば、育児と教育、どっちが大きいか、華やかかと言ったら、教育でしょう。育児の方がずっと大変なのに。0歳児をどうにかしよう問題なんていうのは、中学とか高校なんてどうでもいいほど重要な問題だと思うんですけど。なぜ0歳児とか1歳児のことなんて、誰も語らないのか。赤ちゃんは寝ていて、かわいいね、ぐらいにしか思っていない人も普通。ま、実際、そういう、ただ可愛くて寝ているだけの神赤ちゃんもいるんですけど。そうでない、ヤベェのもいる。絶対親を寝かさないんだという鬼の覚悟を持っているやつとかもいる。

育児が教育に比べて重要度が低いのは、社会の中心で物事を決めている人たちの大半が、育児なんてしたことないからですね。せいぜい1ヶ月ぐらいの育休をとって、その間、夫婦2人で育児しましたぐらいが関の山でしょう。ま、教育だって、先生じゃ無いからしていないんですけど。教育に関しては「受けた記憶」がありますから。しかも、中心にいる人は、出来が良かったわけで、良い思い出もありますし。教育に関しては、大人になっても、思うところが色々とあるのでしょう。

育児は、世話する側の当事者でも無いし、世話された記憶は無いし。だから、教育ほど注目されないんだろうなぁ。それに、実際、育児をしたというのも他者と比較できるわけでは、ありませんから。教育だったら、まだ成績とかで比べようがあるんだけど、育児って、家の中の作業ですからね。そして、その「出来」が可視化されているわけでもない。自分のことしか分からないから、語りようがない。一応、子供が生きて育てば、誰だって「育児」をしていることになる。

0歳3ヶ月ぐらいから保育園に入れて、基本的な世話は祖母とかに任せていて、日曜日ぐらいはおむつ替えした、という育児であっても、それは育児であり、子供を育て上げた、ということになるわけです。一方で、保育園に入れず(入れず)4歳ぐらいまで、ガッツリ、ワンオペのマンツーマンで、しかも難しい子だったりしても、やっぱり、子供を育て上げた、としか言えないわけです。イージーモードかハードモードか、どっちをやっているのか、当人にも分からず、みんなが「ノーマルモード」をやっていると思っている。

また、弱みを見せたら負け、みたいなところもありますからね。好きで産んだんだろという自己責任文化のもと、育児の弱音も吐けない。これが「教育」なら弱音を吐けるのは、当人(子供)の責任も出てくるので、自己責任では無くなる。「うちの子、ほんとに勉強しなくてゲームばかりで、困っちゃうの」と弱音を吐ける。でも育児は無理。「うちの子、夜は寝ないし、ぐずるし、困っちゃうの」とか言おうものなら、おっぱいが足りないんじゃないのとか、もっと抱っこしなくちゃ、とか言われる。赤ちゃんはノー責任。

おまけに、イラついて、ちょっとでも揺さぶろうものなら警察からの児相案件。そりゃ弱音も吐けない。で、その大変な1〜2年を過ぎれば、喉元すぎれば熱さを忘れるで、良い思い出になる。ま、そこまで至らず鬱になることもあるでしょうけど。で、喉元をすぎた後の「教育問題」は語れる。そして、出来の良い子供は、教育が好きだから(だって出来るし)、社会の中枢に行き、教育を語る。育児など、覚えてないし、やってもいないし、興味もない。

ということで、その社会の歪みをワンオペ育児のお母さんがたが、皺寄せを受けているのかなと思うんですけどね。はい。またあした。CIAO。

04/05/08 06:16 N.Kato:D

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