2022年06月03日 寝そべる噺
中国で去年から「寝そべり族」というのが流行っているそうで。消費を少なくし、その代わりに、働かない。結婚もしない、子供も育てない、物もいらない、そして働かない。面白いですね。そんな人たちが増えたら社会が立ち行かない、なんていうことは、偉い人が考えれば良いことで、庶民の選択肢としてはとても理解できる。日本だと「引きこもり」になるところが、積極的な「寝そべり族」になるあたり、日本でいう「空気」みたいな圧力が弱いのかなとは思いますが。都市化が進んでいますからね。そもそも人間関係が希薄なのかもしれない。
生きていく最小限しか消費しない、というのは、むしろ人間として、生物として、普通だと思います。働ける限り働くという方が異常。宗教じみている。ま、プロテスタントという原理的な宗教から資本主義が発生しているとしたら、さもありなんですけど。ただ、僕のおすすめは、都会のアパートで寝そべるより、田舎で群れて寝そべった方が、コストは安いし、健康にも良いし、快適だし、楽しいよ、っていうことです。結婚だって、したら良い。子供も育てたら良い。
中国の子育てのコストがどれくらいか知らないけど、自分が寝そべっていて幸せで、自分のように幸せに暮らす子供を育てたい(子供が働きたければ、そりゃ構わないけど)という価値観であれば、子供なんて、食べ物があれば育つわけですから、田舎で育てれば大きくなる。中国の例から、日本の例にシフトするけど、日本でも、結婚や子供をコスト、と思うよりも、群れて助け合って生きる、という、楽な生き方として選べば良い。
古代から、なぜ子供を産み育てたかというと、「そのほうが楽だから」という理由も十分に、あったでしょう。別に人類が何万年前も「人類発展のために」とか「社会のために」と思って、子供を育てているわけがない。「結婚しなければ一人前じゃないから」という思いで、結婚しているわけでもない。結婚(というか誰かと一緒にいたい)から結婚して、子供を育てたいから育てて、子供が手伝ってくれれば楽になるし、という理由が真っ当でしょう。そもそも、家族というのはコストではなく、資産なんです。
結婚や子供をコストと思うことが、おかしい。資産です。二人で暮らせば家賃も安くなる。家電だって一つで済む。子供だって大きくなれば、手伝ってくれて、生きるのが楽になる。僕の感覚では、4歳ぐらいでプラマイゼロです。6歳ぐらいになれば、プラス。子育ての面倒さを、子供の役立ちさが上回ります。もっとも、そのためには田舎じゃないと、子供の仕事が少ないですから。草を取ったりとか、虫を取ったりとか、ニワトリの卵を持ってきたりとか。子供の仕事がありますからね。6歳ぐらいは、役に立つ。
感覚的なものですが、3歳ぐらいまでは、人間はお荷物です。だから、かわいいのでしょうね。かわいいから、お荷物だけど、しょうがないか、となる。で、かわいさが減ってきて、役立ちさが増えてくる。大人は、可愛くないけど、役に立つ。役に立たない大人は、うん、どうしましょうね。教育の問題だから、本人の問題じゃないのだけれども。大人を育てるという教育になっていないからね。50歳になっても、洗濯機も炊飯器も使えないなんて人も普通ですから。やばいですね。
さて。なぜ引きこもりやニートや田舎暮らしや寝そべり族という「働かないもの」が現れてきたのか、という問題提起よりも、そもそもなぜ昭和から今まで過労死するほどに「働いてしまうのか」という問題です。働かないのは、そりゃ、疲れるし、面倒だし、嫌だからですよ。逆に「なぜ、過労死するほどに、そこまで行かずとも、子供の顔すら見ない生活をするほど、働き続けてきたのか」という問題です。
それは、そういう幻想があったからですね。働いて、日本を良くするとか。会社のためだとか。物語があった。その先にエルドラドがあるんだという物語があった。でも、それを何十年か続けて、物質的に豊かになって、でも幸せじゃなかった。日本も中国も、人々はぽつぽつと気づき出したわけです。宗教から目が覚めた、と言ってもいい。極楽浄土なんて無かった、だったら、苦労すること無いじゃないか、と。つまり、まともになったから、働かなくなった、ということです。
ただ、まともか、まともじゃないか、なんていう価値観は、生物学とか健康とかに則ったものではなく、単に、多数派か少数派か、ってことです。多数派がまとも、というだけです。で、時代が変わって、多数派の価値観が変われば、過去を振り返って「あの頃はどうかしていた」となるのです。それだけのこと。またあした。CIAO。
04/06/03 10:01 N.Kato:D
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