見出し画像

維新に党内民主主義はあるのか?

■立憲、本多議員問題の解決

最近の政治界隈を騒がせていた、立憲民主党の本多平直議員の件は、以上のような形でひとまずの終着を迎えました。

この件に関しては、様々な観点から批判されていますが、今回は「党内民主主義」という観点から紐解いていきたいと思います。

さて、この終着に関して、意外な方からの意外なツイートがありました。


2019年の参院選にて、立憲民主党から出馬した亀石倫子氏です。
実際に同党から出馬した方からの「応援できない」というツイートですから、今の立憲民主党の問題の根深さが理解できます。
 
そして、この亀石氏のツイートに対して、大阪維新の市会議員、飯田氏より、以下のような引用ツイートがありました。


私は、このツイートを見て違和感を覚えました。亀石氏が維新に入る可能性をどうしても想像できなかったからです。なぜ、私はそう感じたのか考えてみます。

■亀石氏はなぜ「応援できない」に至ったのか


そもそも亀石氏が、立憲民主党を「応援できない」とツイートしたのは、今回の本多議員の処分に関して、立憲民主党の党内民主主義の水準の低さを感じた。という点に尽きると私は見ています。

立憲民主主義を標榜するにも関わらず、プロセスよりも世間の目を重要視した、という点が、亀石氏に「応援できない」とまで言わせた一つの要因なのではないでしょうか。

プロセスを重視する立憲民主党の理念に共感していたからこそ、それが失望へと変わってしまったように思います。

では、亀石氏が維新に入る可能性を考えるために、これを日本維新の会に置き換えてみましょう。

■日本維新の会は、党内民主主義に優れているのか。

党内民主主義の度合いを測る指標も様々であると思いますが、その最も大きなものが、「代表選挙」であると思います。

代表選挙が何故、党内民主主義を測る指標となるのかについては、以下の通りです。

①代表選挙を実施している政党の党運営には緊張感が生じる。

代表選挙を行うということは、党内にそれなりの路線対立があるということです。路線対立というとマイナスなものとして受け止められがちですが、実は良い作用も持っています。党内に非主流派が存在することで、執行部の独走を抑制しやすくなりますし、非主流派の意思も含めた党運営が求められます。

結果として、執行部は緊張感を持たざるを得なくなります。緊張感のない党運営を行えば、簡単に党内からの求心力を失い、党内権力を失います。党内権力を守るためには、情治ではなく法治という形で、公平かつ慎重な振る舞いが必要となるのです。こういった土壌こそが、今回の本多議員の件のような、公平さのない強権的な対処を未然に防ぐことに繋がるのです。

②代表選挙を実施している政党は、一般有権者からの監視が強くなる。

一般に、代表選挙とは一般有権者を含んで行われます。つまりは、有権者の意思次第で、強権的な執行部を交代させることができるのです。実際に交代させるか以前に、こういった仕組みが機能していること自体が、執行部に対しての睨みになるのです。これは①と同じで、執行部に対して緊張感を持たせる作用が生じます。結果として、不公平な党運営、法治に基づかない党運営が難しくなります。

■日本維新の会でも立憲民主党でも、一般有権者を含んだ代表選挙はこれまでに行われていない

では、日本維新の会にて代表選挙が行われているか、その答えは「ノー」です。今の今まで、党員を含んだ幅広い形の代表選挙は行われておらず、党内民主主義の水準で言うなれば、高いとは言い難い状態です。

無論、代表選挙以外にも党内民主主義の要素は様々あるのでしょうが、代表選挙という大きな仕組みが機能していない状態では、党内民主主義が徹底できているとは断言できないかと思います。

ちなみに、今回の問題の立憲民主党についてですが、2020年の結党時点で代表選挙自体は行われているものの、有権者の範囲は国会議員のみと限定されており、その効果は最大限には発揮されていない状態です。

こういった、党内民主主義を担保する機能が不全を起こしていることが、今回の本多議員の件を引き起こした面もあるのではないでしょうか?

■党内民主主義の水準は、維新も立憲も変わらない

日本維新の会の党内民主主義の水準は、立憲民主党と大差ないのではないでしょうか。
現在の日本維新の会において、本多議員の件のような問題はたまたま生じてはいませんが、党内民主主義の水準が立憲とそこまで変わらない以上は、構造的に、いつ同じようなことが起きても不思議ではありません。(無論、同様の問題が起こると断言するものではありません)

亀石氏が、立憲民主党の党内民主主義の不足によって、「応援できない」という発信に至った以上は、同じく党内民主主義が不徹底な日本維新の会に、入ることは無いように考えられます。

このような状況で、亀石氏が維新に入るという発想に至るためには、以下の要因が必要ではないかと思います。

①維新が立憲と同じような党内民主主義の水準であるという認識が弱い。

亀石氏が、党内プロセスの不徹底に基づいて、立憲を「応援できない」とまで発信した以上は、同じく、党内民主主義が機能していない組織に入るという発想には至らないはずです。

にもかかわらず、亀石氏を立憲に誘うような発想に至るとすれば、日本維新の会の党内民主主義の水準について、認識が薄い可能性があるように思います。

②なにが問題かを分からないままに、亀石氏を誘うという考えに至る

亀石氏が、なぜにここまでの発信をしたのかという背景事態の認識が薄いために、このような発想に至るとも考えられるのではないでしょうか。

仮に維新の会の党内民主主義の水準についての認識があったとしても、亀石氏が党内民主主義を問題としていると思っていないならば、この手の発想になってもおかしくはありません。

③ ①と②の両方

あるいは、①と②の両方が背景であるとも考えられます。日本維新の会の党内民主主義についての認識が薄く、かつ、亀石氏がなぜ立憲を「応援できない」と発信するに至ったかも考えていないために、亀石氏を誘うような考えが生まれるとも考えられるのではないでしょうか。

無論、亀石氏の意図にせよ、飯田氏の意図にせよ、私は本人ではないので、こうであるとは断言できませんが、今回の飯田氏のツイートを私なりに紐解くと、このような結論に至りました。

今回の飯田氏のツイート自体が、日本維新の会の、現在の党内民主主義の水準を示す一つの要素でもあるのではないでしょうか?(飯田氏は「日本維新の会」の所属ではなく、地方政党の「大阪維新の会」の所属ですので(情報に間違いがあればご指摘ください)、一概に断言はできませんが、「維新」という大枠で考えた時に、このような考え方もできるのではないかと思います)

■私は維新は嫌いではない


私は、維新が嫌いでこういう批判をするわけではありません。日本全体での民主主義の進歩を願っています。
そういう意味で、私は日本維新の会にも期待しています。日本の民主主義を進歩させるならば、それが誰であっても構わないのです。その為に、日本維新の会についても、党内民主主義の面で注視をしているのです。
立憲が頼りない以上は、維新が頑張っていただきたいと思っています。

記事は以上となります。お読みいただきまして、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?