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センスがあるとは

青森の寒さにそろそろ慣れてきたと皆さんはお思いだと思いますが、全然寒過ぎて寒さで朝起きるほど凍えきってる加藤です。
#青森げき寒
#雪もうええて
#雪かき何回すればええねん
#エセ関西弁

周りのお姉さま方に甘やかされ過ぎて、いつか突然村八分に遭いそうでビクビクしている今日この頃です。
#予断を許さない状況

ラテアートの基本であるハートが徐々に描けるようになってきて
「すごいですよ!」「センスありますね!」
なんて言われたんですが、かなり違和感があって
自分的には練習を重ねて、トライ&エラーを繰り返して
お腹下すぐらい、夢でラテアートするくらい
のことをやっただけで、センスがあるとは一ミリも思ってないんです。

そこからそもそもセンスの捉え方が間違ってるんだろうなと思い始め、ようやく腑に落ちる考え方にたどり着きました。

センスがある=能力があると定義します。
例えば、ラテアートができる(ラテアートができる能力がある)人はセンスがあるという言い方をするとします。

A君のようなセンスがある人(ラテアートができる人)に比べて、相対的にB君ができない(ラテアートができない)からセンスがないというふうに”人に対して、センスがないということを当てはめていた”のですが
それがそもそも間違っていて

センスというのは決して先天的なものではなくて、後から補えるものではないかと考えました。
もっと言えば後からどうにでもなるということ

”現状できない”ということをセンスがないと表現しているだけなんです。



「できるまでやるだけだよ」

って前の会社の先輩が言っていて、膝を軽快に叩きたいくら腑に落ちたことがあります。
何回やってもできないです。
ではなくて、それは何回やって諦めてるのかが問題で
10回やってできなかったら100回やれよって話ですし
前回の話にもつながりますが、自分がどれくらいの立ち位置でどのくらいやったら次のステップにいけるのかを考えることが必要で

僕は人よりも多く回数をこなさないとできない人間なので
何回もやらないといけないことを自覚してますし
本番が1日に何回も来るわけじゃないから、その1回にかける集中は人よりも多くしないといけない
労働時間も限られるし、家でできる機材ではないから
イメージトレーニングで何回もして、そうしてれば夢にも出てくるようになるし
夢に出てくるようになれば、無意識の中でも練習できるし

大体ここまで来ればあとちょっとでできるなって確信があります。
ここまでやれば誰だってセンスがある状態になるのかなと思います。

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