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何のためにとかどうでもいい

先日ハマカレーで、上に乗っかってるレモンを絞った時にピンポイントであかぎれしてるところに跳ねてしまい、ひとりサイレントで悶絶していた加藤です。
#手荒れの季節
#何もしてないのに血だらけ
#ビタミンCすごい
#レモンは皮を下にして絞るといいですよ

先週お話しさせていただいた、人生に意味はない、ただの後付けで意味を作っているだけだ。
と少し似ているかもしれないんですが

「自分は誰のために(何のために)頑張っているんだろう?」

っていうほとんどの人が一度は遭遇したことがある一抹の不安があるじゃないですか
壁にぶち当たった時とか、ふと立ち止まった時、疲れた時とかに頭によぎるあれです。

あれも結構やっかいなやつでして、”自分のためになってないことをやらされている。だから辞めなければならない”という結論に導きたい自分の妄想でしかないと思っています。

つまりは、今直面しているネガティブな感情から逃れたい。と本心では思っていて、ただそれだと自分のワガママになってしまうから、または一度やると決めた自分を嫌いになりたくないから
一応大義名分を作り、これはやむを得ずやめなければならないことだと思いたいだけだと僕は考えています。

この考えに至ることは全然問題ではなくて
そこからダラダラと悲劇のヒロインを演じてしまうことはダルいので辞めましょう。そして、その止まった足をいますぐ動かしましょう。と現在進行形の人にはお伝えしたいです。

この考えの結末はだいたい”やるか、やらないか”しかなくて
大概の人はそのまま続けて
ごくごく少数は辞める
これが相場だと思います。

ここで僕が皆さんにご提案したいのが
もっとその答えにグラデーションをつけてもいいのではないでしょうか?
ということです。

やるけど、やらない。みたいな
#どっちやねん
どっちだったとしても良いも悪いもないです。
その問いに答えを出すことすら意味ないですから

急に白黒つける必要はないと思うんです。
だから、続けながら他の選択肢を探す期間があってもいいのではないかと
個人的には思っています。

違うこと”も”やってみて
あ、こっちの方が合ってるかもと気づくかもしれないし
やっぱり、今のままの方がいいんだって改めて思うかもしれないし

人生短いですけど、どう生きるかの選択をそんな簡単に決めなくていいのではないかと思っています。

大抵の周りからは辞めるの?辞めないの?って
おぱんちゅうさぎのはくの?はかないの?ばりに答えを急かされるかと思いますが
別にそうやって聞いてくるあなたの人生の行き先を求めてるのではなく、自分の人生の話なので
急かされたからといってはっきりどうすると答えなくていいと思いますし
世間からは良しとされない”曖昧な答え”もありだと僕は思います。

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