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伝わるには早すぎる言葉は、理解するには遅すぎて

最寄駅で降りようとしたら、めっちゃ可愛い子が乗ろうとしていて、終電なのに下車することを一瞬躊躇した加藤です。
#ラストシンデレラ

お互い1分1秒を共に生きてきたわけではないので、相手が発した言葉のその意味を100%理解することはできない
という話は何回かさせていただきましたが、時間をかけたらあの時の言葉の意味を理解できることってあるなって思っています。

リアルタイムで相手から受けた言葉は、大なり小なり自分の解釈に包まれた状態で受け取ります。
その形は歪で決してフラットなものではありません。
極端に言えば“自分本位な解釈”をします。
もっと簡単にいうと自分の都合のいいように解釈します。
この場合の都合の良いとは、「自分にとって有利なこと」ではなくて「自分が考える中で1番早い」ということで、必ずしもプラスに受けることばかりではありません。

会話というのは相手とのキャッチボールですから、相手から投げられたボールをそう何分も持っておく時間はありません。
会話中にその意識はもしかしたらないかも知れませんが、なるべく早く返すようにしているはずです。

だから、自分にとって1番早くわかる意味で相手の言葉を受け取る必要があります。

「あとちょっとで着きます。」

「了解です。」

あとちょっとを具体的に時間で表すと皆さんは何分を想像しますか?
3分の人もいれば5分の人もいるし、10分の人もいるわけです。
だから3分の人にとっては10分はとても長く感じますし、10分の人にとってはだいぶ早く着いた印象になります。

「サイテーですね」

「すいません」

自分がよく使うジョークは誰かにとってものすごく傷つく言葉であって
ポンっと肩を叩くぐらいのジョークが
腹にナイフを刺してそこから抉られるような痛みにもなりかなねない可能性もあります。

あ、そういうことだったんだって気づいた時にはもうとっくにその場面から時間が経っていて、修正することも反論することさえできません。

とはいえインターネットの普及により、文字を打てば知りたいことが知れてしまう早いコミュニケーションに慣れてしまった我々は返事が遅いことをよしとしません。

おかしいと思ってもそれが正しいのだと思い込み
面白くもないのに笑い
辛いのに辛くないといい
自分の心の大半を嘘で固めてしまいます。

それほどまでに重要な意味をなす言葉を容易くも吐き捨ててしまう僕たちはあまりにも粗末な生き方をしてしまっているような気がします。

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