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察しろと説明しろの間で

隣でため息をつかれたら「どうした?ハッピーターンの粉かけて幸せにしてやろうか?」っていうギャグを未だ懐で温めているかとうです。
#どうよ
#この切れ味

最近飲み会をすると、下の子もいるし、上の方もいて自分が一番歳下という会はほとんどなくなりました。

上も下もいた時の飲み会はわかりみがすごくて

上の人が下の子に対して話すことはめちゃくちゃ「わかるわ〜」感がすごいし
下の子が話す悩みも「まじで、それな〜」っていうことが多々あります。
#たげな
#それなと同義です

僕が勝手にそう思ってるだけなんですけど
見て覚えろっていう先輩方とちゃんと説明してくれないとできないですっていう後輩の間に僕らの世代って挟まれてる気がしてます。
ちょうどグラデーションの中間あたりに我々の世代がいると思っていて
上からは足りない説明で教わるのに下にはより細かく説明しなければいけないという損な役回りに位置しているゆとり・さとり世代

去年、1ケ月ほど3つ掛け持ちで働いていた時に
そこの飲食店で叱られたことがあって

「言われなくても、考えればわかるだろ!」

どうでしょう?これ
あーこの人とは一生分かり合えないなと思いました。
言っときますけど、考えてない訳ではなくて、少ない情報量と自分の経験則をもとに考えた結果その行動に辿り着いたわけで
何の説明もされないまま放置されてこの会社のルールとやり方と違うからと頭ごなしに怒鳴られるのはさすがに
まあそれが考えてないっていう話と分からなければ聞けばいいじゃないかという言い分になるんでしょうけど
僕的には非常に理不尽さを感じた場面でした。

割と説明が少ない環境の方が多かったので僕自身も教えるということがあまりできていなくて
福岡時代もすごく苦労しました。
かとうさんは指示をくれない。というアルバイトさんからの評価は当時かなり心にグサッと刺さっていました。
#刺した後にエグられているような感覚

そりぁそうですよね、そう教わってないんですから自分でもできるわけがないです。だから指示もできないし、教えることもできません。

でも、指導する側を経て、指導される側に立ったからこそわかったことがあって
そこには明らかに指導する側の怠慢と過度な期待があったことです。
「これをこんな感じで〜」「これはこういう風に」
詳細な説明を省いて自分の感覚値でしかものを伝えず
これくらい言えばやってくれるという何回しか会ったことのない人への謎の期待値の高さが失敗の原因です。


伝えることってマジでちょーむずいなって最近思うんですよ
年齢的におそらく上のポジションになりつつある我々世代の課題の大きな要素な気がしますが、そういう方たちの考え方を一度どこかで聞いてみたいですね






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