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仕事と思うな、人生と思え

ワンピースを見返しているのですが、空島編で力尽き、フォクシー海賊団編を飛ばしたことをここに白状いたします。また、スリラーバーグ編も本心では飛ばしたい気持ちでいっぱいです。申し訳ございません加藤です。
#デービーバックファイト
#モンスターバーガー
#ロングリングロングランド住人


仕事とプライベートの境目を限りなくゼロにしたいなあと大学生の頃から思っていて、それでも金曜になれば「華金だぁーー!」って思っていたし、日曜になったらブルーマンデーに憂鬱になっていて、頭の中では完全に境目があったりしていました。

スーツという鎧はいつまでたっても堅苦しくて、それがルールだから着たものの
似合ってるとも似合ってきたなとも一度も思ったこともありません。
毎日大量のメールを処理して、大量の紙を印刷し、期日までに数字と文章を提出する
それが誰のためになっているのか
自分である必要があるのか
ずっとずっと疑問でした。

今思うと、あなたはこの仕事が向いてると思って人事課はそこに僕を配置したわけで、いざ異業種に転職してみると
あぁなるほど、だから僕はあそこの配置だったんだなと客観的に見て納得する部分もありました。
でも、適した配置とモチベーションは比例してなく、むしろ反比例する方が多くて
どこかの偉いお方が「置かれた場所で咲きなさい」と説いたりもして
昔は「はい!わかりました!」と言っていましたが
そうそう気持ちは長くは続かず
働くとはこんなにも難しいものかと嘆いた20代後半でありました。

30代の幕開けをスカイダイビングのように自ら真っ逆さまに落ちてみて最初に思ったことはこんなにも世界は広く、厳しく、残酷なものであったんだということです。

これはこれで生きるとはこんなにも辛いのかと思いましたが
以前よりは自らの足で一歩一歩前に人生を進めている実感がありました。


どう生きてもいいと思うんですよ
ただ、ネガティブに生きても
ポジティブに生きても
1日24時間に変わりなくて
自分の人生に変わりないです。

仕事とプライベートなんて言い方をしますが
仕事だから真面目にやるとかプライベートも真面目にやれよと思うし
プライベートだから楽しくしたいとか仕事でも楽しくやれよと思うし

仕事という言葉がそもそもいけないんじゃないかと思い出した今日この頃に
積読してあった萩原清澄さんの「サービスマンという病い」の中の一言

仕事と思うな、人生と思え

まさにこれだなと思います。
人生と思ったらその景色も違ってくるのではないでしょうか



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