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おいしいのその先

あなたの愛した駄菓子はなんですかと聞かれたら、スーパーBIGチョコか、のしいか太郎の2択で迷う加藤です。
#のしいかの縮小具合半端ない
#タラタラしてんじゃねーよも好き
#いつの間にか3択

つい先日、営業終わりに残った賄いを食べました。生姜焼き丼とアサリの味噌汁です。
お腹が空いたのもあったんですが、これがやけに沁みて沁みて
うまさを通り越してヘヴンでした。

こういう料理っていいなぁと思いますし、こういうのを作りたいなぁと思っています。

すんごい疲れた日だったけど、これ食べたら生き返ったような気持ちにさせてくれるのが、食の素晴らしさであると思います。

どんなに嬉しくても
どんなに悲しくても
どんなに怒っても
どんなに楽しくても

お腹は減ります。

そこに出される料理が美味しければもはやさっきの出来事などどーでも良くなるような料理を作りたいです。

そういう料理ってたぶん忘れないです。
沁みた体験とセットになっているので

おいしい料理はいっぱいあるけど、おいしい+α何かが合わさると忘れなくなります。
#合わさる
#東北の表現らしいです
#〇〇さる

+αはできるものではなくて、作っていくもので
それも含めて料理を作ることが必要だと身をもって体感しています。

その理由は、

世の中に“普通の”のおいしいが溢れていること
僕自身が有名ではないこと
人は無意識に普遍を求めること

が挙げられます。

コンビニに行けばおいしいものがたっくさん置いてある時代にわざわざそれ以上のお金を払ってご飯を食べる理由を僕らは作らなければなりません。

カトウって誰?っていうほぼ0、むしろマイナスかもしれないくらいのスタート時点からお客様の足をこっちに向かわせることほど難しいことはありません。

食べたいものが決まらない時ほど、知らないおいしいより、知ってるおいしいを求めます。最近できた新しいお店よりも、確実においしいあの老舗に行きがちです。

だからこそ
ストーリー性が必要だし、知っている人から知らない人への口コミが必要だし、それを人の日常にしていくことが必要です。

そのために一度たまたまきたお客様を、+αで心を掴んでいくことが大切です。


今のお店はお客様との距離が近くて、顔も見られるし、声も聞こえます。
一口目のリアクションをなるべく見るようにしていて、その時のおいしいそうな顔とか、二人組で来たお客様で「おいしいね」って会話しているとことか見ると、マスク越しでもわかっちゃうくらいニヤけてしまって

「でしょ?おいしいっすよね?」

なんて本当は会話に入りたいくらいです。

うちのお店は子供づれとかも多くて、口いっぱいに方張る子供たちとかを見ているのも幸せだなと思います。



日々同じことの繰り返しですが、おいしいのその先を常に狙っていくことが大切で、それを偶然ではなく必然的に作り出していくことが大切で、相手の期待のちょっと先を超えていくことが感動を作り出すのことなんだと思います。

そしたらお客様が良い反応を示してくれて、それを目の前で見れる

それだけで幸せ者だなと思います。

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