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「うつを生きる 精神科医と患者の対話」内田舞、浜田宏一著

 内田舞先生と、元Yale大学教授の経済学者浜田宏一先生との対談、「うつを生きる 精神科医と患者の対話」(文春新書)が出版されました。
 タイトルは「うつ」ですが、浜田先生は双極症と診断されて、30年以上リチウムを服用されているそうです。
 浜田先生のうつ状態の体験は深刻で、ご自身の語る「自殺妄想」という言葉は、死ななければならないと強く確信し、訂正できなくなってしまう、といううつ状態における希死念慮の性質をよく言い表しているように感じました。
 地下鉄の駅で待っていると、地下鉄に飛び込んでしまいそうな衝動に駆られた、というお話は、「うつ病九段」を彷彿とさせました。
 1986年、48歳時に、重症のうつ状態で入院した浜田先生は、「私のキャリアは終わった」など興奮気味だったとのことで、焦燥の強い抑うつ状態だったようです。
 抗うつ薬を服用しても治らない中で、主治医から軽躁状態の病歴を再確認され、双極症に診断が変更になり、リチウムをのみ始めたところ、今まで他の薬では感じたことのない、「何かいい方向に向かっている」感じがしたとのこと。
 精神科病棟に入院した際は、とくに恥とは思っておられなかった一方で、自分はたまたま入院が必要になっただけで、他の患者さんたちとは違う、と考えていらっしゃったとのこと。Shrinkで、双極症の玄さんが入院した時の様子を思い起こさせました。
 日本で学者の方が双極症を公表することは珍しいですが、浜田先生は、(偏見の残る日本で病気を公にするという)リスクをとっても、闘病を語る本を作りたいと強く願っておられたそうです。
 浜田先生ご自身の双極症のことに加え、ご子息が自死されたという壮絶な体験も語られています。
 また、アメリカの精神科医療の状況も興味深く読みました。診療の過程でも、患者が能動的にふるまうことが求められるとか、退院はリスクがあるからどうしてももう1日入院させてくれないか、と保険会社に懇願しても、冷たくダメと言われてしまうとか…。
 病棟でのボードゲームが回復につながったというお話は、與那覇潤氏の入院経験のお話とも重なりました。(與那覇さんは、精神科入院でのボードゲーム体験を契機として、「ボードゲームで社会が変わる:遊戯するケアへ」という本まで出されています。)
 その他にも、色々と読みどころがあり、例えば、アメリカで使われているイマドキの言葉の内田先生による解説も、興味深かったです。
 「インポスター症候群」: インポスターとは詐欺師という意味で、成功して外部から称賛されているのに、実際の自分の能力との間に乖離がある気がして不安になる、というものだそうです。
 「成功する恐怖」: 一回成功すると、成功し続けなければというプレッシャーを感じること。
 いずれも、いかにも「成功」にこだわるアメリカ文化らしい感じがしました。
 また、内田先生が、躁とうつに共通なのは「感情の強度」である、と語っておられ、私が主張している、感情の強さをコントロールしている視床室傍核の過剰興奮が双極症の原因、という仮説と一致する話だと思いました。
 ところどころで語られる浜田先生ご専門の経済学の話、例えば、最初は協力の姿勢を示すが、裏切られたら徹底的に対抗する”tit for tat”戦略が有効、といったゲーム理論の話も、興味深いものでした。
 また、学者としては目標を2つ(世間に評価される論文と、本当に解明したい長期的な問題を2本立てで進めること)持つことが重要、といった話は、私自身の考えとも重なるところがありました。
 終盤は、基礎研究だけでなく研究成果を世界に応用することも重要である、という、医学研究と、経済学のゲーム理論を政策に活用することとの類似性など、双極症とは直接関係ないものの、興味深い議論が次々と展開され、病気は人生の一部でしかないということを改めて感じさせました。
 双極症でリチウムを服用していらっしゃるにもかかわらずタイトルが「うつを生きる」なのは少し残念でしたが、確かに、軽躁の話はほとんど出てきませんでしたので、「双極を生きる」というタイトルにはできなかっただろうな、と思いました。双極症当事者の闘病記ではなく、経済学者であり、アベノミクスの立役者である浜田宏一先生の生き様の物語です。
 本書を読まれた方が、少しでも双極症を知っていただく機会になればありがたいと思いました。

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