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落花狼藉①

「落下狼藉」とは、物が入れ乱れ、取り散らされてる意。

何かを発信したいと思っても、いざ書こうにも纏まらずに文章が中々書けない今日この頃。

雑文に成りかねないから、この「題」を半ば言い訳にして付けた。

父の病気にふれ、最近は医療系などの本を読んでいる。

海外のホスピスに勤める看護師の女性の発言を集めた本の中に

「親密さとは距離である」という言葉があって、とても深みを感じている。

どんなに親しくても、人と接する上で必要とされる、忘れがちな感覚。

それが家族であっても、ある一定の「距離」が必要になる。

例えば、認知症になった親の面倒を見るのは身内だと感情的になってしまうから他人の方が良い、などと聞くとこの言葉の重みも増してくる。健全な頃の姿を知っている家族は、別人になってしまった親と接し、もどかしさも相俟ってその状況を受け入れ難くなってしまう。

だからこその「親密さとは距離である」。

親族でも、友達でも、人それぞれ。考え方や感情の在り方も違えば、言葉の受取り方も違う。同じ言葉を聞いても、理解の向きが違えば結果も違ってくる。

自分の日常を見つめてみても、つまらぬことで言い合いになり、妻と険悪な雰囲気になるのも、言葉への感じ方の違いがあるためで冷静に話し合えば、大したことではなかったりする。夫婦であっても、考えを押し付けようとすれば上手く行くことはないし、喧嘩も絶えない。価値観の押し付けと撥ね除けが単に成されているのだから。

夫婦であることで、共に暮らす時間の積み上げが、理解の度合いと思い寄る感情を深めはするが、些細な食い違いは無くなることはない。親密であっても、距離という尊重する姿勢を崩してはならないと熟々思う。

近い言葉をネットで見てみると

「親しき仲にも礼儀あり」

「心安きは不和の基」

「親しき仲に垣をせよ」

「良い仲も笠を脱げ」

などがあった。

改めて、人との距離を考えている。






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