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motokids
海を見てその深さを知らず
小説を読むのであれば、古典が良い。
古く残り語り継がれたものは
時の風化に耐え、行き届いた構造をもつ建築物のようである。
歳を重ねてくると、そもそも作り話に乗れなくなる。
人は、社会生活の中で
現実に押し流されていき、想像力が錆び付いてくる。
自己を失い、大切なはずの、少年の頃の眼差しや感覚を忘れてしまう。
昭和に起きた戦争は、歴史のこととして認識する現代人は
平和であるのに、絶えず争う。
身内と、妻と、友人と、恋人と、上司と、隣人と、、、。
そして、精神における「美」を腐らせていく。
その進行を阻止することができるのは
思慮深き内省と慎み、日々の「考え方」でしかない。
まずもって自然に触れ、良き物語や音楽、芸術や映画によって
自己を洗い、整えなければならない。
聖書や仏教書には「慎み」における学びがあり、
マーク・トウェインは知恵と冒険を記し、
バッハは生と死を音で構築した。
ゴダールは映像の中で、古典を「引用」しながら警鐘を鳴らしている。
サン=テグジュペリや、宮澤賢治、オスカー・ワイルド、ミヒャエル・エンデ、、、
私にとっての、メンターたち。
・
海岸に立ち、海を見つめても、人はその深さを知らない。
見つめることが「今」ならば、深さとは、物事を考え抜いて積み上げてきた「時間」だ。
古典こそが、その深さを持っている。
だからこそ、小説には深さがなくてはならない。
そして、秘められた「祈り」も。
その思いの中で、私は小説を書いている。
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