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金剣ミクソロジー①冬の寄り道

Fate/Zero二次創作です
注意点
※アルトリアとギルガメッシュが第二次聖杯戦争の後も現界してるif設定
※ギルガメッシュの求婚にアルトリアさんが応えて、二人が夫婦という金剣ドリーム
※ギルガメッシュはアラブの石油王、アルトリアさんはイギリス随一の実業家&馬主(not JRA)に成り上がっています
イラストは大清水さち


「こちらが山鴫ベカスのサルミソース、こちらが雷鳥のパイ包み焼きでございます」
「ありがとう」
 アルトリアはおっとりとナイフをとりあげる。向かいではギルガメッシュが冷たく澄ました顔で大好きな雷鳥のパイにナイフを入れる。ふわんと漂うジビエの香り。杜松ねずの実のように澄んでいる。添えられた冬野菜のグリルや煮込みはぎゅっと旨味が凝縮して甘く、肉とソースをよく引き立てる。ガツンと重いコート・ロティにも負けはしない。
「うん、冬はこれに限る」
「そうだな」
 にっこり笑うアルトリアの顔を見ると、ギルガメッシュが薄く笑った。
 二人が冬木ふゆきに住まいして百有余年。もともとハイカラな街であったが、今や二人の生活は冬木にいても、パリにいても、ロンドンにいても大差がないほど、さまざまな店舗が充実していた。少なくとも、二人が足繁く通うビストロには不自由しない。
 ビストロの方も二人が上客であると認識していた。
 なにしろ少女というほど若い奥様は凜として清廉で美しく、青年の方は出自不明の超絶的な美青年であった。紅い瞳にぎょっとした後、目が離せなくなるほどの美貌に気づく。二人とも身なりがよく、立居振舞が美しい。ワインといい料理といい、恐ろしいほど教養があって楽しみ方を知っている。
 まさにソワニエ。
 だから二人には特別なサービスがつくことも珍しくなかった。
「デザートのお品ですが、今日はほんの少しですが南半球の苺が入ってきております。宜しければグラスに仕立てて米のミルク煮リ・オ・レに添えようかと考えておりますが、如何いたしましょう」
 覗きこむ給仕にアルトリアがおっとりと頷いた。
「苺は好きだ。是非つけてほしい。だが一つ、我がままを言ってもよいだろうか」
「なんなりと」
「苺を軽くソテーしたものを米のミルク煮リ・オ・レに乗せてもらえないだろうか。甘くて美味しいのだぞ」
「かしこまりました。厨房に伝えます」
 アルトリアが微笑むと給仕もにっこり笑い返す。そうさせるものが彼女には備わっているのだ。
 ほどなく苺のキルシュソテーを添えた米のミルク煮リ・オ・レが運ばれてきた。ココットに盛られた白い雪のようなデザートを二人で分けあう。食後のデザートには甘い貴腐葡萄酒トロッケンベーレンアウスレーゼを少しだけ。グラスを傾けて乾杯する。
「今宵の素晴らしいディナーに」
「そなたの美しい笑顔に」
 ギルガメッシュがグラスを寄せると、アルトリアが頬を赤くして俯いてしまう。それがまた可愛らしくてギルガメッシュは微笑んでしまう。
 店を出るときも二人は楽しそうだった。レストラン特製のサブレをひと箱買い求め、給仕一同に見送られる。
「ありがとうございました」
「またおいで下さいませ」
「美味しかった。また来る」
 アルトリアが手を振るとフロアマネージャーが手を振り返す。それもギルガメッシュを微笑ませる光景であった。
 裕福で安定した生活に入っても、二人は全く退屈しなかった。常に新しい楽しみを見つける名人であったし、彼らなりに守らねばならないものもあって、退屈する暇がないのだった。
 アルトリアはハウスタータンのキルトスカートを揺らし、先を行く。アイボリーのダウンコートとブーツが夜道で光る。無染色のアルパカのコートと黒いスラックスのギルガメッシュは金髪だけが夜闇に光り、少し見分けにくいほどだった。
 二人の息が白くけむる。
 天気予報で言っていたよりも冷えこんでいた。冬木の町でも二人の住む深山みやまは、名の通り山の上で、町中よりも気温が下がる。深山の狭い通りは薄暗く、ひんやりと沈んでいた。しかも二人は、さらに寒風に曝される丘の上の邸宅に向かって、登っていかねばならないのだった。
 ギルガメッシュが喋らなくなる。本来は亜熱帯出身のギルガメッシュだ。あまりにも寒いと口数も減る。だがアルトリアは元気なものだった。サブレの紙袋を提げて足取りも軽い。ブーツを鳴らして小走りだ。
 だから、それに気づいたのは彼女が先だった。
「ギル、あれ」
「ん?」
「あのようなところに店があったか」
 アルトリアが指す先に、お洒落な深山には似つかわしくない赤提灯が下がっていた。暗がりにぼんやりと温かみのある光が灯る。ここは住宅地と繁華街の中間にあって、店は少ない場所だった。
 ギルガメッシュはああと頷いた。
「先だってより普請ふしんしておったであろう。飲み屋であったのか?」
「おでんと書いてあるぞ、ギルガメッシュ」
「ふむ」
 二人は明かりに吸い寄せられるように店の前に立った。外観はごく普通の日本家屋といった感じだ。間尺は狭いが瓦屋根の門に白壁。古風な引き戸。白いのれんが掛かっており、店の名前が小さく染めてある。中からは音が聞こえない。最近は近所に配慮して防音の整った店が多く、外から様子を窺うのは難しい。
 二人はどちらともなく見つめあう。店の前には小さなメニュー台が出ていて、いくつかの酒の銘柄とおでんの写真が飾られていた。アルトリアは、彼女にとって珍しいおでんの写真に惹かれたようだ。引き戸を指して見上げる。
「少しつままぬか」
「今、食したばかりではなかったか」
 ギルガメッシュが呆れ顔で肩をすくめてみせる。するとアルトリアは澄ました顔でコートのポケットに突っこんだ手を出し、店の引き戸を開けた。
「そんなこと、入ってから考えればよい。ごめんください」
「やれやれ」
 ギルガメッシュは結局、彼女の後について店に入った。なにしろ、あまりにも外が寒く、店の中からもれてきた暖かい空気に惹かれたのであった。
 店内は少しばかりの客がいた。皆、仕事帰りのサラリーマンという風情だ。真ん中が厨房でコの字型のカウンターがぐるりと囲む。手前におでんが湯気をたてるケースが嵌っており、出汁の香りが充満している。右には冷蔵ケースがあり、刺身なども出すようだ。床は黒石に見えるタイルで張られ、椅子は竹作りで布団をあててある。取り立てて変わったところもなく、庶民的なおでん屋であり飲み屋であった。
 だが、そこは二人にとっての異空間だった。
「いらっしゃいませ」
「ほう」
 アルトリアは見慣れぬ雰囲気にきょろきょろする。二人がよく行くのは給仕が席まで案内するような店だ。あるいはウェイティング・スペース自体がすでに一級のバーやレストランであるかのような高級店ばかりだ。席に案内されるのをぼうっと待ってしまう。
「席は」
 何気なくギルガメッシュが尋ねると、カウンターの中の板前がぐるりと椅子に手を差しのべた。
「どちらでもお好きなところに。今日は空いていますし」
「左様か」
 とりあえず手近な席に二人が座ると、周囲の客が見るのが分かった。
 二人の鮮やかな金髪や色の薄い目、透けるように白い肌に圧倒されているのだった。にもかかわらず二人の日本語は非常に堪能であったし、仕立てのよい服を着て裕福な様子である。深山にあっても二人のクラス感は群を抜いていた。
 二人は今更ながらに、自分たちがここでは外国人に見えることを思い出した。彼らの普段遣いの店とは客層が違うのだった。
「おでんは初めてですか」
 板前が穏やかに微笑む。これは二人にとって渡りに船であった。アルトリアが大きく頷く。
「そうだ。このような店は初めて入った」
「でしたら、まずは燗酒など如何でしょう」
「何がある」
 ギルガメッシュが視線を上げると、板前は気圧されたように引きかけた。しかしにっこり笑ってメニューを差し出した。
「こちらに。あと、今は蔵出しの絞りたての酒が入ってきています。ワインで言えばヌーボーです」
「どのような酒だ」
「地元の蔵で冬木盛と申します。大吟醸ですよ」
「それを燗にしては風味を損なおう。そのまま出せ」
 ギルガメッシュがぱたんとメニューを閉じると、さっとアルトリアが取り上げた。彼女は開いて、ずらりと並ぶ見たこともない酒の名前にくらくらした。酎ハイって何だ。見たところ随分と種類があるな。さてはこれが、この店の中心的な飲みものなのか。アルトリアの目は多種多様な酎ハイに惹きつけられる。男気質のアルトリアだが、いろいろあると目移りする少女らしさも持っている。
「私はリンゴ酎ハイ」
「かしこまりました」
 板前は少し打ち解けたようだった。ギルガメッシュの言葉で何も知らぬ外国人が、どういうわけか、来店してしまったのではないと思ったらしい。ギルガメッシュが視線を流すとアルトリアがやはり見ていた。笑いかけると、彼女も笑い返した。彼女も分かっているのだ。自分たちが何も知らない外国人だと思われたことを。
 アルトリアがおでんケースを覗きこむ。
「いろいろある」
「よい香りがする」
「魚だろうか」
 ケースの中にははんぺんや練りものが多く入っていて、くつくつと小さく煮立っている。店の中には薄く湯気が漂い、なんともいえず暖かいのであった。それはふんわりと鼻腔をくすぐる出汁の香りのせいかもしれない。
「これはどのように頼めばよいのだ」
「品物は後ろに。指差していただいても構いません」
 見ればカウンターの奥の壁にずらりとおでんの具を書いた板が掛けられている。下に書かれている値段が、この辺りにしては実に手頃で、二人は内心驚いたのだった。
「ほう」
「じゃがいもがある」
 声を弾ませるアルトリアに板前が微笑んだ。
「お取りしましょうか」
「ああ。じゃがいもとはんぺん、それから……そうだ、勧めの具はあるか」
「でしたら大根でございますね。一日しっかり煮て御出汁がようく染みてます」
「では大根」
 ギルガメッシュが少し気難しげに首を傾ける。ギルガメッシュの前に酒器と取り皿が置かれると、彼は頷いた。
「牛串と卵」
「かしこまりました。小皿料理やお造りもございます。なんでも仰ってくださいね」
「ありがとう」
 板前がアルトリアたちの目の前で小鉢に具を盛りつけ、透き通った出汁をすいとかける。ふわんとよい香りがして、たんと小鉢が目の前に置かれる。アルトリアはぱちんと竹の箸を割った。
「いただきます」
「召し上がれ」
 板前は嬉しそうに頷くのみだ。
 アルトリアはじゃがいもを器用に箸で割って口に運ぶ。ほろっと崩れたじゃがいもは熱く、じわっと出汁が染みてくる。鰹節と昆布、肉が渾然一体となった旨味。寒さに縮んだ身体がほどけていくようだ。アルトリアは思わず微笑んだ。
「すごい。美味いぞ」
「ああ、悪くない」
 牛串をかじってギルガメッシュは不思議そうだ。彼は串の残りをアルトリアに差し出した。
「試すか」
「ありがとう」
 アルトリアは串を受け取るや、迷いもなく、一気に串を引いた。歯応えのあるスジ肉だったが、柔らかく煮込まれ、シチューのような旨味の塊に変わっている。なんだ、日本にも同じ食べ物があったのだなー。煮込んで肉を軟らかくしていることに親近感が湧いた。
 そこからは止まらなかった。
 さまざまな練りもの、餅入りの巾着、美しく結ばれた白滝、アルトリアの腹に次々消える。アルトリアは大根を口に運んで瞬きする。しっかりと出汁を含んだ大根は温かくて、じゅわーと崩れていくのだった。すぐにアルトリアは大根をギルガメッシュの口元に差し出した。
「はい、半分」
「ん」
 アルトリアがギルガメッシュの口に大根を入れてくれる。ギルガメッシュは慣れたもので、涼しい顔で彼女に食べさせてもらう。アルトリアの箸がふいっとギルガメッシュの唇に触れる。それは口づけめいていた。
 周囲の客がすうっと無言になる。板前は見てみない振り。二人は全く意に介さない。厳密に言うとギルガメッシュは気にしていないが、アルトリアは気づかないのであった。
 もちろん、こういった行為はきちんとしたレストランでは絶対にしない。街角のスタンドやジェラート屋、格式張らないカフェなどに行くと、自然と出る行為になっていた。自分より食の細いギルガメッシュにも、さまざまな料理を食べてほしいというアルトリアの気持ちであり、それがギルガメッシュの好奇心と、何よりも自尊心を満足させてくれるのだった。
 そらそら。羨ましかろうや。
 実のところ、ギルガメッシュはそう思っている。
 これほどの美少女に優しく世話される自分を他者に見せつけるのは快感だった。
 それだけでなく、丁寧に作られたおでんと酒がギルガメッシュは気に入った。蔵出しの酒はレトロな硝子ガラスのちろりに入って、杯は備前であった。ギルガメッシュは一口含んで納得する。まろやかだが重くはなく、すっきりとして辛みと甘みのバランスもよい。口当たりも柔らかく、流石は大吟醸という味わいだ。
 アルトリアがジョッキに入ったリンゴジュースのような酒を口にする。
「そちらはどうだ」
「うん」
 アルトリアがジョッキを置いて頷いた。
「少し変わった香りがするが、飲みやすいな。アルコール入りのリンゴジュースという感じだ」
「ビッグアップル?」
「そうだな。似ている」
 カクテルの名前にアルトリアが頷くと、ギルガメッシュが杯を差し出した。
「どれ。交換」
「よいぞ」
 アルトリアはすいすいと飲んだ酎ハイだったが、ギルガメッシュは眉をひそめた。いささか癖のある香りが気に入らない。一口飲んだだけでグラスを返したので、アルトリアはギルガメッシュが、この飲みものが気に入らなかったのを理解した。確かに上品で控えめな大吟醸の方がギルガメッシュには似合っている。
 だが、おでんは違っていた。
 何故か、彼はこの身体の温まる食べものが気に入ったらしかった。アルトリアには意外だ。この店に入ったのは賭だった。ギルガメッシュは一流を好む。だが一流とは世間からの評価を受けていることを指さない。彼がその品質を認めるということであって、たとえ道端のスタンドでもいたく気に入ることもあれば、どんな高級店でも入った瞬間、出てしまうこともあるのだった。
 どうやら私の勘も捨てたものではないな。
 アルトリアはおでんの鉢片手に横目で愛する夫を見上げる。彼は鳥と鶉卵の串を肴にちびちびと大吟醸を嗜む。ぼうっと酒を飲むギルガメッシュというのも珍しい光景だった。彼なりに寛いでいるのが分かって嬉しかった。
「次のOPEC会議だがな」
「ああ、聞いている。なにやらフラワー・アレンジメントの催しの誘いが来ておったわ。私は花はさっぱりゆえ、大使夫人にお願いしておいた」
「それがよかろうや」
「やれやれ。スイスでやってくれれば一日中スキーができたのに」
「ダヴォスで死ぬほど滑ったのではなかったか」
「あれはチャリティ大会だったからだ。さして本気で滑っておらぬ。たまにはのびのび滑りたいのだ」
「山荘でも買えばよかろう」
「維持費が高い。ホテルに泊まった方がずっとよい」
「いかにも」
 話も、彼らにとっては、たわいもないものばかりだった。だが周囲の客にとっては、ぎょっとするような話だったため、誰も話しかけてはこなかった。
 それもあって、この店は二人にとって居心地がよかった。
 ことにギルガメッシュは愛する妻と、少し悪い風情──この場末の酒場に見える場所が、本来育ちのよい彼にとって興味深い──を堪能して、暖かい湯気につつまれ、のんびりできるというのは悪くなかった。
 アルトリアは多様な練りものが気に入ったらしく、健啖だった。とてもビストロ帰りとは思えない。流石に今宵は重くなっておるやもしれぬなあ……いささか品のないことを考えながら、ギルガメッシュは愉しかった。
「ありがとうございましたー」
 店を出ると、いっそう寒気が厳しかった。だがほろ酔いの御蔭で寒いとは思わない。
 アルトリアがブーツを鳴らしてギルガメッシュを振り返る。
「よい店が出来たではないか。初めて食べたな。おでん」
「ああ。面白かった」
 ギルガメッシュの答えにアルトリアがにこっと笑う。
「貴方にも庶民の生活が見えたのではないか」
「まあ、さにあらんや」
 実のところ、この店は深山という立地から、居住まいや料理も洗練されていたのだが、二人にとっては初めての庶民的な体験だった。
 以来、ギルガメッシュとアルトリアは、このおでん屋を贔屓にするようになった。出掛けた帰りにふいと寄る。買いもの帰りのこともあれば、どこぞのレストランの帰りもある。ほんの少しつまむだけでもよいし、しっかりと食べることもできる。頼むと、このおでん屋は刺身に炊き込み御飯、海老のしんじょなどといった洒落た料理も出してくれるのだ。使い勝手の良さと立地が二人を惹きつけた。ちょうど丘の登り口にあるため、寄りやすいのだ。これから寒風吹く丘を登る前にひと息つくのをギルガメッシュが好んだ。
 その日もアルトリアはギルガメッシュに呼び出されて丘を下っていた。
 ギルガメッシュは一人で上京していたのだが、予定より早く帰れるので、おでん屋で待っていてほしいとのこと。
 アルトリアは待ってましたとコートを羽織って家を出た。
 その日は少し寒気が緩んで、過ごしやすい一日だった。そのせいか店も盛況で、アルトリアが着くと、店内は満席に見えた。
「いらっしゃいませー」
「スミスさん、こっちが空いてますよ」
 すっかりアルトリアたちは常連になって、板前とも顔見知りになっていた。混みあう店内に戸惑うアルトリアを案内してくれる。アルトリアは招かれるまま、店の一番奥に入った。
「実は後から夫が来るのだが」
「じゃ、お隣は御予約ってことで」
 一番奥の席に板前が予約札をぽんと置く。アルトリアは見知らぬ男性と隣り合ったが、そこは男として生きた女性である、一向、気にしなかった。どうやら隣はサラリーマンの三人連れらしい。皆、椅子の下の籠にアタッシェケースを置いている。もう出来上がっているのか、にぎやかに話していた。
 すぐにアルトリアは品書きに目をやる。メインは彼が来てからとして、軽くつまむか。アルトリアは板前におでんの具をつらつらと告げる。
「大根とちくわと海苔麩、それからじゃがいも」
「はい」
「酒は……」
 アルトリアがすいと酒のメニューを手にとると、隣の男性が驚いたように目を遣った。しかしアルトリアは気づかない。
「今日は苺チューハイ」
「かしこまりました」
 ギルガメッシュは気に食わなかった酎ハイだが、アルトリアは悪くないと思っていた。いろいろな種類があって飲みやすいし、絶対に酔わないアルコール度数なのも気に入っていた。なによりフルーツを使ったものが多いので、アルトリアの趣味に合っていた。
「お嬢さん」
 呼びかけられてアルトリアは瞬きした。見れば隣の男性客が眉をひそめて見つめていた。
「貴方、お酒飲んでもいい歳なのかい?」
「ああ」
 アルトリアはポーチの中からさっと身分証を取りだした。
「私はアルトリア・スミス。れっきとした成人だ」
「……ほ?」
 すぐ隣の男性は英語が苦手らしく、目をぱちくりさせていたが連れの男が頷いた。
「イギリスの人?」
「ああ。あちらで育った」
「にしては日本語が上手いね」
「あちらとこちらを行き来していたのだ」
 アルトリアが喋るのは厳密に言うと嘘なのだろう。だが彼女は全く嘘をついていないとも言えた。アルトリアは長年に渡って日本とイギリスを行き来して暮らしているし、イギリスで育ったというのは掛け値なしに本当だ。
「お待たせしました」
 身分証をしまうアルトリアの前にこんとジョッキとおでんが置かれる。苺を飾りつけたジョッキを上げてアルトリアは笑った。
「今日の出会いに」
「お、分かってるね!」
「かんぱーい」
 アルトリアはアルコール入りの苺ジュースを片手に御機嫌だった。
 一方、ギルガメッシュはうきうきと深山への道を辿っていた。東京で彼女の好きな菓子も買ったし、きっと彼女は自分に抱きついてくるだろう。お帰りなさい! いつもの輝く笑顔を思い浮かべて英雄王は御満悦であった。
 まるで我が家に帰るようにおでん屋の引き戸を引く。
「いらっしゃいませー」
「妻が先に来ているはずだが」
「はい。こちらに」
 板前が手を差しのべる先に、立ち上がり、乾杯の音頭を取るアルトリアがいた。
「今宵の出会いは実に重畳! 馬を愛する者同士、語り明かそうではないかッ」
「凱旋門賞、クレスタ必勝祈願! 歌います!」
「おおお」
 店のカウンター左を占拠して盛り上がる一団の中心に、アルトリアがいた。彼らは肩を組み、カントリーソングを熱唱する。
 ギルガメッシュは開いた口が塞がらなかった。
 アルトリアがご、ごっとジョッキを空けて、板前に差し出す。
「グレープフルーツ酎ハイ追加」
「ありがとうございます」
 彼女は全くいつも通りだった。ただし、それはギルガメッシュの思い描いた妻としての彼女ではなく、円卓でのそれだった。
「おう、ギル! 帰ったのか」
「ああ」
 ギルガメッシュが無言で近づき、一番奥の席に座ると、彼女と盛り上がっていた男性陣が口々に声を掛けてきた。
「いやあ、旦那さんですってねえ」
「この若さで一人でおでん屋に入って一杯呑むなんざ、粋な娘さんだ」
「しかも馬に滅法詳しいときた」
「2400こそ競馬の華! 来年こそは勝ちましょー!」
 話が噛みあっているようないないような。ギルガメッシュは無表情に頷くのみだ。
 アルトリアはいい気分に出来上がった男性たちを率いて、場の雰囲気を作りだしていた。
「有馬記念はどう読む」
「メジロスイートで決まりでしょう」
「最近、馬体が重いぞ」
「そうだ、そうだ。絶対にサンライズスピリッツが勝つと思うぞ」
「姐さんはどう思います」
 姐さんて誰だ。ギルガメッシュでなくともそう思う。だが、それはほっそりと華奢で、だが片手で軽々とジョッキを持つこの少女にほかならないのだった。
「私は意外にカケノチャレンジが勝つと思うぞ」
「あの三歳馬が!」
「いい足をしている」
 ギルガメッシュは茫然とアルトリアを見つめた。彼女は突然、振り返ってギルガメッシュを抱きしめてくれた。ふわっと淡い胸に顔がうずめられる。服越しでもギルガメッシュにはよく分かる。硬い果物のような弾力が心地いい。
「お帰りなさい! 待ちくたびれて盛り上がってしまったのだ」
「それは、よかった」
「な、ギル。たまには馬を見に行かぬか」
「構わぬが」
「ありがとう」
 上機嫌のアルトリアは可愛らしかった。上気した頬は薔薇のようで、緑の瞳はまさに宝石のごとく輝いていた。楽しそうに話す彼女を見るのは好きだ。それが全く自分と関係ない話だとしても。
 アルトリアが他の客の中心になって、賑やかに場を盛り立てる。
 ああ、このようにキャメロットで振る舞っていたのであろうな。それが手に取るように分かる。はきはきと喋り、自分の意見を隠すこともなく、生きる宝石のような彼女。円卓の騎士は幸いであった。斯様かような乙女に率いられて、前だけを向いて戦えただろう。
 ぼうっと彼女を見つめていると、またくるりと振り返った。
「ギル、今日はすごく美味いものが入っているのだ。貴方も食すがいい」
「ん?」
 見上げると、彼女が自分のためだけに微笑んでくれる。行きずりの男たちに見せるのとは違う、柔らかい表情にギルガメッシュは見とれた。彼女が板前に言いつける。
「丹波の鳥を彼に」
「はい、ただいま」
 ほどなくギルガメッシュの前に味噌と芥子の実をつけて焼いた鶏肉が出てきた。アルトリアが隣にすとんと腰を下ろして、にっこり見上げる。
「さ、試してみるといい。私はとても気に入った」
「左様か」
 ギルガメッシュは竹の箸をぱちんと割る。アルトリアがにこにことギルガメッシュの食べる様を見つめていた。香ばしく焼かれた肉はふんわりと仕上がり、ジューシーだった。付け合わせの大根のサラダもさっぱりとして美味しい。
「すまぬ、彼に御飯と海老の椀ものを。それから長旅より帰ったゆえ、なんぞ身体に優しいものを出してくれぬか」
「でしたら茶碗蒸しでもお作りしましょうか」
「頼む。あと、いつもの酒を」
「かしこまりました」
 アルトリアがかいがいしく世話を焼いてくれる。櫃を受け取って椀に飯を盛り、渡してくれる。さっきまで男たちのアイドルだった彼女が、自分だけを見つめている。
 それはときめきを巻き起こす。
 置いてきぼりの気持ちから、唐突なほど舞い上がる自分がいる。アルトリアが徳利に白い手を添えてギルガメッシュの杯に冬木盛をつぐ。緑の瞳が真っすぐに自分を見つめる。
「外は冷えるゆえ、貴方は温まった方がいい。これから歩いて帰るのだから」
「ああ」
 ギルガメッシュは頷いた。
 なんだろうな。胸に浮かんだ淡い嫉妬がふらついている。あまりにも彼女を好きすぎて、気持ちがふわふわ漂っている。
「そうだ、姐さん、京都の馬場は御存知で?」
「ああ、知っているが」
 彼女がふいと立ち上がって呼ばれた方に行ってしまう。だが寂しい感じはしなかった。彼女が自分を忘れてしまうはずがないと分かったから。彼女は自分を待っていたから、ここにいたのだ。待ちくたびれたと言っていたのに帰らなかった。それが嬉しい。
 鳥の焼きものと海老の椀を食べ終わり、視線を流すとアルトリアはさらに多くの男たちに囲まれていた。あれほどの美少女が馬の話題で中年男と話してくれるとあれば、まあ人気が出るのは当然だろう。社交界で人目を引くのとは全く違う理屈だが、ギルガメッシュは少しばかり誇らしい。
 全く、あれと来たら、どこへ行っても人を寄せずにはいないのだから。
 まさに王の輝き。カリスマ。あるいは世界の中心なのだ。
「ははは、真か。本当に招いてくれるか。行ってはみたいと思っていたが伝手つてがなくてな」
「貴方は大丈夫と請け負うよ。あちらの女将さんも歓迎すると思います」
「では夫に聞いてみなくては。少し待ってくれ」
 アルトリアが燕のようにギルガメッシュのところに来た。ギルガメッシュが赤い視線を上げると、彼女は得意気に笑った。
「ギル、京都の茶屋に招待してくれるそうな。遊びに行かぬか」
「祇園か」
「ああ。ついでに馬場で馬を見せてくれるそうな。よい血統ならば繋ぎたい」
「付き合おう。万事任せるゆえ、計らうがよい」
「ああ」
 アルトリアがすいとまたいなくなる。ギルガメッシュは瞬きした。
 うちの嫁はどうなっているのだろうなあ……
 冬木に住まいして長い二人だが、やはり外国人であることに変わりはなく、ロンドンやパリほど融通の利かない部分もあった。一つにはギルガメッシュが、遠坂や間桐の目を警戒して、日本にあまり財産を持っていないことがある。日本国内に限ってみれば、二人は充分に裕福だが、ただそれだけで多くのコネクションは持っていない。そもそも世界を飛びまわるのに忙しく、日本ではあまり遊んでいないという事情もある。
 そんなわけで、二人は京都に少しばかりの興味があるものの、あまり訪ねたことがない。
 だがアルトリアは少し居酒屋に離しただけで、その伝手をつかんでしまったらしかった。
 ギルガメッシュは茶碗蒸しをプリンのようにすくいながら首を傾げる。
 アルトリア自身は自分のことを運が悪いと思っている。だが実際は賭け事に強く、人脈をつかむのが恐ろしく巧い。社交を彼女に任せたのは成りゆきだったが、とてつもない正解だったと思う。
 ギルガメッシュが酒を開ける頃、あちらもお開きになったらしかった。アルトリアが男たちと握手したり、手を振ったりして、サラリーマンの一群が去っていく。
 すぐにすとんとアルトリアが隣に腰を下ろした。
「相済まぬ、盛り上がってしまって」
「愉しければ、それでよい」
 ギルガメッシュが目を伏せると、アルトリアがにっこり笑って見上げた。
「ずっと貴方を持っていたから腹が減った」
 流石にギルガメッシュは瞬きする。彼女はとうに相当量のものを飲み食いしていると思っていた。アルトリアがさっと手を上げて板前を呼ぶ。
「鯛のかぶと煮、蕪の炊き合わせと香の物、ギル、御飯は?」
「まだある」
 ギルガメッシュは小さな櫃の蓋を押さえてみせる。アルトリアが頷いた。
「では、以上で」
「かしこまりました」
 板前が微笑んで焼き台に向かう。
 ギルガメッシュの視線に気づくと、アルトリアが少しばかり不機嫌そうに金髪を揺らした。
「貴方が来てから、腹いっぱい食べようと思っていたのだ」
「左様か」
「少し飲んで、少しつまんで、その、我慢していたのだからな」
「左様か」
 今度はギルガメッシュの口元が笑いで歪む。アルトリアが気づいて眉をしかめる。
「また貴方は私を馬鹿にして」
「馬鹿になぞしておらぬ。やれやれ、愛おしいことよと思っておっただけだ」
「やっぱり馬鹿にして」
 口を尖らせるアルトリアが、ギルガメッシュにふわりと横抱きに抱き寄せられると、頬にふわんと紅が散る。
「天晴れな娘よ」
「……京都、楽しみだな」
「ああ」
「勝手に決めて悪かったか?」
「いや」
 得意気に笑うギルガメッシュを見ると、アルトリアも分かったらしかった。もう百年も一緒にいると、いくら反りの合わない二人でも、互いの考えが分かるようになる。アルトリアもギルガメッシュの屈折した感情を読みとってくれるようになっていた。
 アルトリアが新しい伝手をつかんだことを喜んでいると分かってくれたのだ。
 嬉しくて頬に唇を寄せると、彼女は避けなかった。
「よくやった」
 ふわりと触れるだけのキスをすると、彼女は真っ赤になってもじもじと俯いた。
「……ああ」
「土産だ」
 カウンターの上にパティスリーの袋を置くと、彼女がぱっと視線を上げる。特徴的なごく淡いオレンジ。白抜きのロゴは気品がある。
「お、あの店に行ってくれたのか」
「少し時間があってな。季節限定のパウンドケーキがあったので買ってきた。パイナップルとスパイス、オレンジが入っているそうだ」
「帰ったら開けよう」
 アルトリアが輝くような笑顔に変わる。この瞬間が堪らなく好きだ。
「お待たせしました」
 目の前に料理が並ぶとアルトリアはいただきますと会釈して、上品に、だが健啖に食べはじめた。それをぼんやりと眺めて英雄王は御機嫌だった。


 数日すると、アルトリアたちの京都旅行が本格的に決定した。アルトリアが知り合ったのは京都で飲食店数店を営む経営者で、かの町では大した人物らしいと分かってきた。乗馬は趣味なのだそうだ。
「でかしたぞ、アルトリア」
「いや。まあ」
 知り合ったきっかけがきっかけだけに複雑なアルトリアだが、ギルガメッシュが喜んでくれればそれでいい。ギルガメッシュが書斎の椅子からアルトリアを見上げた。
「そなた、久しぶりに着物を出してはどうだ?」
「お、確かに」
 二人の忙しい空気の前に冬の寒さも消えていく。
 冬木のある一日。

             END


サポートには、もっと頑張ることでしか御礼が出来ませんが、本当に感謝しております。