人間にそれほど多様性はない

人工知能自体はただの処理能力で、
この事態で学ぶ必要があるのは物事の多くはパターン化が可能であるという事実だ。

押して転がすなら丸いタイヤになり四角いタイヤが生まれないのは当たり前だが、その事象がそうなっているパターンが複雑でもそのパターンが見つかっているということが新しい。例えば蝶が羽ばたいて嵐が起こる手順や風が吹いて桶屋が儲かるパターンを明確化できる。

これはIT処理をしなくても手動でも可能だ。ITは速度に過ぎない。夕焼けなら明日は晴れ、という天気予報のようなもの。古代なら予言と言われて神か魔法使い扱いをされたろう。その理由がわからないなら魔法にしか見えない。
AIはぶち込めばやってくれる魔法ではなくこのパターンを見つける手動の部分に人の手がかかっている。
またそのパターンを自動処理してくれるITのおかげで私たちは計算せずに楽ができる。だが大元のパターンを導いたのは人間である。

パターンを見つけて普通の人間の処理能力では予想できないことを予想し得るということ。今までは人が予測できる程度のことだった。それを越すとシンギュラリティになる。あるいはパターン自体を見つけることをパターン化できるのかもしれない。

古代の天気を予測できる人間が魔法使い扱いをされていたのであれば、周りの凡庸な人にとってはシンギュラリティを経験したようなものだったろう。

故にシンギュラリティはそこまで私たちに感慨を与えない気もする。どちらにせよ頭の悪い人間にとっては頭のいい人間の出す結論を理解しないのに利用するのだから。

私たちはそれほど多様ではない。

今日、信号機の赤い部分を連続で10回壊す人間は恐らく0に等しいように考えなくていい事象がたくさんある時点で多様性はない。

ある程度パターンと分類が可能である。

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