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追いかけられて万事休すで目が覚める。

一年前も同じような夢を見ていた。
何度も何度も。
そして、今年も年明けくらいから同じような夢を見る。
何に追いかけられているのか、それはいつも謎だ。
ワタシはいったい何から逃げているんだろう??

昨年もそんな夢について書いている。
「もうダメだ…。」と思うと、ワタシはスーパーウーマンになる。あり得ない能力で壁をよじ登ったり、岩を持ち上げたりする。それでも追い詰められると、目が覚める。
心臓がバクバクしている。

去年と同じなのだ。

先日のとある休みの日、今日は一日中家の中でダラダラするぞ!と決めた。
そして、ネフリで映画を4本観た。部屋の片付け&DIYをしながら。
この上ないシアワセを感じたなぁ。

新年になって、キモチが上がらないまま2週間が過ぎた。
そろそろ上げていかないと、、、

まずは今年の目標(みたいなもの)でも決めよう。何かそれらしきものがないとずーっとこんな感じで過ごしてしまいそうだから。常にプレッシャーをかけていないとダラダラしまくりそうで不安になってしまうのだ。

樹木希林の『一切なりゆき』を読み始めた。『明日は明日の風が吹く』という言葉を言い続けているワタシと重なる部分があるような気がする。ほんの一部分のみ、まつ毛一本分くらいだけど・・・。
もちろん全部ではないが、ドキッとする箇所がたくさんある。
こんなふうに潔くは生きられないだろうなぁ。

2020年、初めての緊急事態宣言が出たころ、『今生きていることがキセキなんだ』とnoteに書いたことを思い出した。そうなのだ。今生きていること自体がほんとにキセキなのだ。忘れないようにしよう。人は誰でもいつか生の終わりを迎えるのだということ。だからといって、『今この瞬間を大切にして立派な人間を目指す!』なんてことは小指の爪ほども思わないけれどね。

だらだら過ごしてシアワセを感じるのは、たまにあルカらよいのだ。ごほうび的に?いつもシアワセ感じてたら、それは  ” シアワセ ”  ではなくなってしまう。いつも何かに追いかけられているくらいでちょうどいい。無理は少しはするけど、同時にいつでも楽を目指す。ちょっと頑張るのはその先に楽があるから。仕事もプライベートもスタンスはいつもそれかも。『楽をするためにがんばる!』今年も変わらない。変えない。楽が一番。楽は楽しい。

まず。
今年はもっと自分以外に興味を持とうと思う。あまり内へ内へとこもる生活を快と感じていると、人との関わり方が自分寄りになってよろしくないように感じる。正しいとか正しくないとかではなく、その時適した対応、対処ができたらいいなと思う。興味がないと、ほとんど聞いてない。だから受け応えがテキトー過ぎて、トンチンカンで薄い。
興味がないから話が続かないような受け応えをしている時も、、ある。
ホントに自分でもヒトとしてどぉなのっ?って思う。このままだと人間関係が破綻しそうだ。
興味がないこと・興味がない人でも、(できる範囲で)きちんと聞いて向き合って、(できる範囲で)きちんと考える。メンドクサイと思わず、テキトーな受け応えはしない。(←すでに今年になって何度かあったし)

ハードル高いかな。
ワタシには…。
どぉかな…。
明日は明日の風が吹く、かな。

いつもこだわりが強いと言われがち。自分ではそれほどでもないと思っていたんですけどね・・・。さて?