「学校に行ける」とだますー名古屋高裁

三菱名古屋・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟での被害事実認定(2007年5月31日)

 「本件勤労挺身隊員らが挺身隊員に志願するに至った経緯については、
 ①勧誘を受けた当時の年齢(控訴人朴○○は13歳、同金惠〇は13歳、同陳〇〇は14歳、同梁錦徳は14歳、同李〇〇は14歳、金淳〇は14歳、金福〇は14歳、控訴人金〇珠は14歳)がいずれも若年であり、十分な判断能力を有するまでに至っていない年代であり、 それまでに上記第2の2(2)のとおりの教育を受けていたこと、

 ②これに対して勧誘者(校長、担任教諭、憲兵、隣組の愛国班の班長)は、校長や担任教諭など信頼していた者、さらには敬意をはらうべき者であって、その影響力は大きかったことを前提に、

 ③勧誘内容(「日本に行けば学校に行ける。」、「工場で働きながらお金も稼げる。」あるいは単に「お金がもらえる。」、「2年間軍需工場で働いて勉強すれば、その後卒業証書がもらえる。」)が向学心を持ち上級学校への進学を願う者にとっては極めて魅力的なものであったものの、そのような勉学の機会の保障は制度として予定されていなかったし、実際にもなされていなかったこと、

 ④親などの反対に対しては、校長から「お前の親は契約を破ったから刑務所に入れられるだろう。」(控訴人朴○○)、「…行かなければ、警察がお前の親を捕まえて閉じ込める。」(控訴人梁錦徳)、憲兵から「一度行くと言った人は絶対にいかなければならない。行かなかったら警察が来て、家族、兄さんを縛っていく。」(控訴人陳〇〇)などと脅されたり、無断で印鑑を持ち出して書類を揃えたことを知りながら黙認したりしたこと(控訴人李○○)を総合すれば、

各勧誘者らが本件勤労挺身隊員らに対して、欺罔あるいは脅迫によって挺身隊員に志願させたものと認められ、これは強制連行であったというべきである」

 「本件勤労挺身隊員らの本件工場における労働・生活については、同人らの年齢、その年齢に比して過酷な労働であったこと、貧しい食事、外出や手紙の制限・検閲、給料の未払などの事情が認められ、これに挺身隊員を志願するに至った経緯なども総合すると、それは強制労働であったというべきである」

原審:平成十一年(ワ)第764号損害賠償等請求事件(甲事件)
平成十二年(ワ)第5341号損害賠償等請求事件(乙事件)
平成十六年(ワ)第282号損害賠償等請求事件(丙事件)
控訴審:平成十七年(ネ)第374号損害賠償請求等控訴事件

●解説
 女子勤労挺身隊(ていしんたい)員らが原告となった名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟で、名古屋高裁は強制連行、強制労働の事実を認める判決を出している。

 三菱重工を相手とする訴訟3件のうちの一つで、韓国人女子勤労挺身隊の動員被害者6人、遺族1人が起こした訴訟。名古屋の三菱重工・道徳工場には約300人の朝鮮人女子勤労挺身隊が動員されて航空機製造に従事し、東南海地震により6人が死亡。原告らは強制連行・強制労働の不法行為、立法・行政不作為による国家賠償、国際法違反、安全配慮義務違反を問い、被害者1人当たり3000万円の賠償等を求めた。裁判所は請求を棄却したが、強制連行・強制労働の事実については詳細に認定した。

 ちなみに「女子勤労挺身隊」とは、通っていた学校の教員や役場の職員、警官らの強い勧誘のもとで結成され、軍需工場等で働かされた未婚女性の組織のこと。労働力の不足の深刻化を受けて、国策として結成が奨励され、日本内地では地域や学校単位で多数結成された。朝鮮では、日本語のできる少女たちが、働きながら学べるといった言葉を信じて志願させられた。

上記の判決全文は、以下で読むことができる。
http://justice.skr.jp/judgements/59-2.pdf (「法律事務所の資料棚」)