総督府幹部「トラックで村からしょっぴいた」

〔朝鮮人労働者の〕相当な部分は石炭を掘るのに使ったわけです。
 ですから、戦争中最もよけいとれたときは、一年に五千何百万トンもとれましたが、そのときはみんな朝鮮人が掘っておった。
 ですから、朝鮮人の労務なかりせばそれはできなかったわけです。
 だから絶対必要なものだったのです。
 しかしこれも有志で行く者は一人もない。
 何となれば、日本に行ったらどうなるかわからぬということで、結局、行くのはということになりました。
 いやだというわけですから出すわけに行かない。しかし、朝鮮人が来てくれなければ軍港を築く労力も足らない、石炭も掘れない、これでは戦争に負けるぞと言う。
 最後はいつも戦争に負けるぞと言う。
 しばらくのしんぼうだから、戦争に負けてはいけないからというこの至上命令には、いつでも総督府は負けてしまうのです。
 それでトラックを持って行き、巡査を連れて行って、村からしょっぴいて来るわけです。
 そういうことをしたわけです。

(大蔵省官房調査課金融財政事情研究会、水田直昌述『終戦前後の朝鮮経済事情』)
注)読みやすさを考慮して句点ごとに改行しています。

●解説
 朝鮮総督府財務局長を1937年から戦争終結まで勤めた水田直昌氏の証言。「財務局長」は総督府の財務トップに当たる地位である。上記の記録は、大蔵省内部に設けられた研究会での聞き取り記録。財務局は直接、動員を担当したわけではないが、当然、様々な情報を得て職務を遂行していたことだろう。トラックを派遣し、警官に人を集めさせていたことについては、水田氏以外にもいくつかの証言がある。