「夜襲」的動員:小暮泰用「復命書」⑤

(ハ) 動員の実情

 徴用は別として其の他如何なる方式に依るも出動は全く拉致同様な状態である

 其れは若し事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである、そこで夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて人質的掠奪拉致の事例が多くなるのである、何故に事前に知らせれば彼等は逃亡するか、要するにそこには彼等を精神的に惹付ける何物もなかったことから生ずるものと思はれる、内鮮を通じて労務管理の拙悪極まることは往々にして彼等の身心を破壊することのみならず残留家族の生活困難乃至破滅が屢々あったからである

(出典:内務省嘱託小暮泰用より内務省管理局長竹内徳治宛「復命書」)

●解説
 文中太字は当サイトによる。中央政府官僚の小暮泰用が、1944年7月31日付で上司に提出した報告書である。内容は、彼が朝鮮に出張して調査した戦時下の朝鮮の行政や民衆の動向。

 労務動員の実情について、はっきり「拉致同様」と述べている。夜襲のように、夜にやってきて連れて行ったり、内容をきちんと告げずに誘い出したり、といった方法をとらなければ、必要な労働者数を確保できなかったことを、官僚たち自身が知っており、しかもそれは、中央政府の重要部署でも共有されていたのである。

 なお、「徴用は別として」とあるのは、この時点での、国家総動員法第4条・国民徴用令による徴用は、特別な事例――特殊な技術者や労務管理が一応はしっかりしていた軍関係の職場など――に限定されていたためである。つまり、それ以前に行われていた官斡旋(かんあっせん)などの動員が、法的根拠もないのに実態として強制で、ひどく暴力的なものであったことが、この史料からも明白である。

 強制連行は1944年9月以降、朝鮮で国民徴用令による徴用が始まって以降に限定されるという主張を繰り返している論者は、この史料をどう読むのだろうか。