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石橋湛山(第55代総理大臣)が語る植民地・朝鮮の現実

 聞く所によれば、併合以来幾年にもならぬ今日、朝鮮の富は既にほとんど邦人に壟断〔ろうだん:ひとりじめの意〕され、いわゆる有利な事業という事業は挙げて邦人(日本人)の手中に帰せる有様らしい。而してもし鮮人(朝鮮人)の中に極めて少数の産を成せるものもあるか、その極少数の鮮人はことごとく邦人と結託し、邦人の手先となって働けるものならぬはないとのことだ。いう所に誇張もあろう。しかし邦人にこの種の壟断の事実の少なからずあるはいうまでもない。また在鮮邦人は犬馬を駆使する如き態度を以て鮮人を駆使すとは、善く聞く話である。吾輩は邦人を世界において稀に見る温和の民なりと思うて居る。富の壟断においても、鮮人の駆使においても、おそらくさまで酷烈ではなかろうかと思う。しかしながら、征服民族と被征服民族との間には自然に不平等の成立つは争われない事実である。

(出典:石橋湛山「鮮人暴動に対する理解」『東洋経済新報』1919年5月15日号)

解説
 石橋湛山(1884~1973年)は戦前・戦中、東洋経済新報などでジャーナリストとして活躍し、1920年代には植民地放棄論を唱えた。戦後は政治家に転身。1955年の保守合同=自民党結成を実現した中心人物の一人でもあり、翌56年には第55代総理大臣となった。
 日本では「朝鮮は日本の支配によって開発され、豊かになった」ということが繰り返し語られる。しかし、それは誰のための開発だったのだろうか? 植民地支配のもとで暮らしていた朝鮮人は幸福だったのだろうか?
 上記の資料は1919年の3・1独立運動を受けて湛山が書いた『東洋経済新報』の社説である。「鮮人」など、現在では差別的とされる用語を用いているが、論旨は「なぜ、朝鮮人が支配に対して不満を持っているのか正確に理解するべきである」というもの。朝鮮の富が、日本人や、日本人と結んだ一部の朝鮮人に集中していること、在朝鮮日本人が朝鮮人を差別的な態度で使役していることなどを指摘し、その原因は「征服民族(日本人)と被征服民族(朝鮮人)との間の不平等」にあるとしている。
 朝鮮総督府の統計を見ると、植民地期に日本人の農地所有面積が大幅に増える一方で、朝鮮農民においては自作農が減少し、小作農が増えていくという傾向で一貫している。強制連行に関連して「もともと日本内地での出稼ぎを希望した朝鮮人が多いではないか」「密航までして日本にやってきた朝鮮人もいる」と、何か大発見のように騒ぐ論者もいるが、そもそも、朝鮮での暮らしの基盤が揺るがないものであれば、わざわざ日本内地で働こうという気にはならない。多数の朝鮮人が経済的に没落したことで、大量の移動を生み出したのである。