5/11の滴り「これでいいのだ、でなくてもいいのだ」
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以前書いたイラスト。
たまーにみんなのギャラリーで使っていただいているようです。
ありがたや。
昨日はこのような記事を書きました。
他人のことが信じられなくなった私は
ドスピっ子がゆえに
「他人を信じる前に自分を信じる」「他人は鏡」と思いながら
必至で自分を信じ、自分に嘘をつかず、自分を認め、自分を愛するとことに
意識を向けてきた。
でも、急にそれ、疲れてきちゃったから
しばらく何も考えずいようという感じになってきました。
ぼんやりと仕事をこなし
帰りの電車でルポール見て途中で眠って
駅に着いてぼんやり歩いてなんとなーく帰る気しないから
お店に入ってひとりでお茶をする。
前向きっぽいこと全てしたくない。
練習とか努力とかクリエイションとか、したくない。
ただTV見てご飯たべて漫画読んで本読んで映画観てお風呂入って
散歩して猫とたわむれて
それだけしていたい。
とか思いながらお茶をすすっていたら
メッセージが来ていることに気がついた。
noteで愛読させていただいている方からだった。
普段頻繁にやり取りをしているわけではない方からの
直接いただけたメッセージは
砂漠を歩いていて突然現れた小さな澄んだ湖のよう。
落ち込んでいたとか闇落ちとかでは全然ないけど
疲れちゃったし
その湖の周りだけはさわやかに風が吹くから
少しそこで休ませてもらえそう、そんな感じ。
ここ1~2年、実際にそうせざるおえない状況になったということもあり
他人から、そして何より自分からも、変化を求められた。
それはありがたかったしそうでありたかった私もいた。
不可避だったことで、なにか神仏からもそれを求められたと思っている。
止まったら変化が止まってしまう。
以前の自分になっちゃう。
それは避けなければ。
と思っていた気持ちを鎮火させていいただけたような。
そして本日、長年、細々とやり取りしたりなんの音沙汰もなかったりを繰り返しながらご縁をつないでいる菫さんという敬愛するお友達(と勝手に思ってる)から
メールをいただく。
私のnoteはご覧になっていない。
文章の中に
「片腕子さんは「言いたいことは言えない」でいることが多い?
上品だなぁってよく思うよ、人を傷つけるような言葉を使わないよね」
とあって胸がつまる。
というかちょっと泣く。
それで、しばらくは
なんでもいいやって思うことにする。
誰のことも信じなくていい、自分のことも信じなくていい。
自分のことを大切にとかもどうでもいい。
他人を批判してもいい。
悪口も言ってもいい。
笑わなくてもいい。
だって、多分、いつまでもそういう状態では、ないもん、私。
また、よし自分!ってなるもん。
どうせ、なる。
だからそれまでは、これでいいのだ。
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