馬鹿って言ったら自分が馬鹿

東浩紀さんの

「人々の「なにか問題を発見して正義の抗議をしたい」欲望はいったいどこまで行くのだろうか」

というツイート、本当にそうだよなって思う。
「これは当然、ぶったたいでいいやつだよな」というネタを見つけるとタガが外れたように非難抗議しまくる。
人をクズとかクソとか最低とか人非人とか簡単に言う。

自分も含めてだけれど、正義の抗議をして自分の中の溜まっていた怒りをそこにぶつけたり、自分が見て見ぬフリをしていた自分自身の「クズっぷり」を別の「もっとクズなもの」と比較して「あれよりは自分はマシだ」と無意識に肯定するために、人は正義の抗議をするような気がする(もちろん正当な抗議は必要だとは思うけれど)。

見つめるべきは自分自身のみなのにと自分に言い聞かせる。

「ひとは40歳を過ぎてもなおかくも愚かでまちがい続ける」
こちらは東さんご自身についての言葉だけれど、
ここをまずしっかり見留めないとと常に常に思っている。

ゴッチ(アジカンのね)のツイート

「クソみたいな何らかの事物と自分に、本当につながりがないのか、似たような性質がないのか、その問題を包む外壁の一部でも問題の当事者でもないと本当に言い切れるのか、ちゃんと確認して、反省して進みたいです、俺は。それをしないなら誰だって無敵で、それは心底恐ろしいことだから」

という言葉の全てを、いつもかみしめる。

馬鹿って言ったら自分が馬鹿
って、昔、小学校の先生に言われたっけなぁ。

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