8/5のスチャラカドラマー道プラスα

一緒にドラムをやっているみゆきちゃんにお誘いを受けて
初めてセッションライブなるものに参加した。

みゆきちゃんは練習中の「望遠鏡の向こう側で」を叩くとのことなので
私はくるりの「ばらの花」を叩くことになった。

「ばらの花」・・・・・
そう、私が(レッスンを休んでばかりいたのもあるが)1年かけて練習して
最後までできないまま終わってしまった
色んな意味で思い出深い曲だ。

なもんで
かなり不安な気持ちで叩いたが
あの時、ちっとも叩けなかったところが
今は叩けることにちょっとビックリした。

歩みの遅い亀のへっぽこっぷりだけれど
それなりに前進しているのかもしれない。

とは言え
とても人前で披露するレベルではない。
断じてない。

断じてないが、
やると言ったら、やる。
と決めたので
ひたすら練習・・・・と言いたいところだが、
何しろレッスンの課題曲もあるのだから
これがなかなかはかどらなかった。

しかし今回の一番の目標は
度胸をつける
ということ。
課題曲のチェックで手足ガクガクしているくらいの
なさけないほどの蟻の心臓なので
これを少しでも克服したい。
つまり
「人前で堂々と失敗をする」
という経験をすることが目的だ。
ダメでもなんでも叩くのだ、俺。

*

しかし、本番はそんなに緊張しなかった。
もちろん、うまくは叩けなかったのだけれど
慌てることがなかった。
何故なら
セッションだったからだと思う。

今回、セッションをした方々は
今日初めて会った方々なのだけれど
(技術的にはかなり上の方々)
一緒にステージに立って
同じ曲を演奏しているというだけで
ものすごい安心感があった。

他のパートの音に耳をすます、という
高度な技は当然できないながら、
それでもふと
キーボードの、ギターの、ベースの旋律が
流れていることを「感じる」ことで
どこかへ行きそうになる
自分の意識と音がニュートラルになるのだ。

そうか、これが信頼し合ったメンバーとのセッションだったら
もっともっと気持ちよく並走できるのかもしれない、
だからバンドはいいのか

なんて思ってしまった。
バンド、いいなぁ。

*

技術的にはもうほっっんとーに課題ばかり。
苦手意識がなくなったシェイクは
延々叩き続けていると
音が適当になってしまうし、
つなぎはできてないし、
あらたな苦手項目のバスドラの音の、リズムの、
不安定さったらなかった。

安定して叩くことがいかに難しいか・・・・。
今更ながらドラムの先生、ソンケー。
(いや、ずっと尊敬してるけど)

もっとうまくなりたい。
練習しなければ。
でも何をどう練習したらいいのか。
考えよう。

*

しかし実は今回、一番緊張したのは
ボーカルだった・・・・。
実はドラムのみならず
ボーカルにも挑戦するという無謀な挑戦を私はしたのだ。
曲はもちろん「望遠鏡の向こう側で」

・・・・・課題曲であれだけ聴いたのに歌詞をひとっつも覚えていなかったし。
や、すごい覚えにくい歌詞なんだよ・・・。
しかも私は目立つのがあまり好きではない。

そう、ドラムはステージの後ろにいるから
それも緊張しないで済んだ理由のひとつだけれど、
ボーカルは真ん前ど真ん中のスポットライト付きだ。
いやがおうでもとりあえすがみんな私を見るではないか。
見るな見るな見るな。
ありえん。

目線はどこへおけばいいのだ。
足は仁王立ちか?軽くリズムを取るのか?
笑顔か?真顔か?
なんだ、これ。

ま、自意識過剰ってことだが。

しかもマイクで歌っている自分の声が
ほとんど聞こえないので
音程が合ってるのかどうかもわからない。

もうわけわからん状態だった。
でも
生の楽器をバックで歌うのは
とてもとても気持ちがよかった。
これ、芝居をしていたときと似た感覚だった。
懐かしい感覚がよみがえった。

声を出すのは、歌うのは大好きだ。
たくさん歌いたい。
あの曲もこの曲も生バンドで歌ってみたい。
でも目立ちたくない。
や、だからその自意識過剰を捨てようよ。

という話を早速、家人Hにしたら

「自意識?
んなもん持ってていい。
それより、自分を宝塚のトップスターだと思うんだ。
たったひとりに許された0番に大羽を背負って、組を背負って、立つ。
その気持ちをもってのぞむんだ!
トップがガタガタしてたら舞台は成り立たないんだぞ!
立て!真ん中に立つんだ!」

と言われた。
お、おう・・・・。

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