ひかりふるマタイ受難曲

バッハコレギウムジャパン(BCJ)
「三大宗教曲を聴くⅠ マタイ受難曲」

を聴いてきました@東京オペラシティコンサートホール

クラシックには全く疎いのでとても稚拙な感想しか出ませんが備忘なので書きます。

今回の公演は4月に開催される予定だった公演でコロナのため中止になったものの振替となります。
座席は1席ずつ空けての配置。
前後も重ならないようにズラしてあります。
そして舞台を見ると、普段、私がメディアやら数少ない鑑賞の経験で観たものとは全く違う、演奏者のみなさんの配置となっていました。
日程変更することから始まり、ここまで感染対策をして公演を開催することに心から感謝と敬意を。
また、昼夜2回公演というのは
ものすごい覚悟と決意と努力なくしてはできないことです。
舞台・芸術を愛する者としてこれだけで胸が熱くなるのでした。

演奏者の皆さんが舞台に登場されるところから
そういった並々ならぬ緊張感や使命感のようなものが漂ってきて
そこから音が鳴り響いた瞬間、
湖の底から湧き出てくるようなとても静かな始まりだったにも関わらず
まるで稲妻が落ちてまばゆい光を放ったかのような音と感情の爆発を感じて
それだけで自然に涙があふれてきてしまいました・・・・(すんません・・・)

クラシックの中でも宗教音楽というものに全く縁がない私。
加えてキリスト教の知識もひじょうに浅く一般的な部分しかわかっていません。
しかし、当時バッハが抱いていた宗教観・イエスへの強い想い・愛と
そんなバッハとその楽曲をこよなく愛するBCJの皆さんの想いが
とりどりの色彩が複雑に美しく模様を描くゴブラン織りのように丁寧に丁寧に絡み合う音として会場を包んでゆき、敬虔の念がじわりと湧いてきたような気がしました・・・・。

マタイ受難曲のどの部分のメロディかはわかりませんが、
いつかどこかで聴いたことがあるフレーズが時に優しく時に激しく降りかかり
そのたびに私の中にある様々な感情が揺さぶられます。

字幕を読まずとも(読めばよかったんだけど・・・・)
音が絵巻のようにイエスの受難の物語を綴ってゆきます。
苦難・哀しみ・痛み、そして人間の愚かさと弱さ。
その様はたった今、自分が経験している状況とリンクしていきました。
世界は初めての経験をしています。
この先、一体何が起こるのか、何が待ち受けているのか、今まで知っていたものが全て壊れてゆく中で、心が迷子になり閉塞感で、時には愚かにも誰かや何かをヒステリックに攻撃し、エゴイスティックになってゆく。

でも、福音書とバッハとBCJが見せてくれた世界は闇の中から光を与えてくれました。
私はスピっ子なのでこういう解釈になってしまうのですが、
闇は光と対をなす。
絶望と希望・醜さと美しさ・陰と陽・・・・全ては表裏一体であり
どちらか一方はありえない。
そして神と人もイコールである。
全てを受容したのが神であり世界である。
演奏後半にはそういった観念が音のシャワーのように浴びせかけられたようで、
私はそのシャワーを浴びながら
自分の中にあった全ての感情と経験、自分のどうしようもない愚かさと美しさが洗い出されていく時間を過ごし
涙が止まらなくなりました。

ああ、教会での時間ってこういうことなのかもしれない・・・と思いました。

バッハに関しては、
最近、身近な人がお好きということで耳にするようになりましたが、
鈍感な私にはどこがどういいのか、というのがよくわかりません。
ただ、複雑で美しい数式を音楽にするとバッハになるのかしら、と思う部分もあり、
その数式が描くものは宇宙そのもののような気もしました。
昨日の演奏はまさにそれを感じさせてくれるものだったのです。

この楽曲自体にそういった想像をさせてくれる力がある上に、
コロナ禍での張りつめた緊張感と気合いと気概のあるBCJの演奏により
さらに気持ちを揺さぶられてしまい、
通常モードではないこの演奏会がはかられたかのような奇跡に思えたりもしました。

私は基本的にオペラに全く興味がありませんでしたが、
今回の演劇性あふれる演奏と歌声を聴いていて、
オペラを聴きに行きたくなりました!
情感溢れる色彩豊かな歌声はまさに楽器。
さらに視覚も楽しめる芸術としてかなり贅沢ではないかと思い始めました。

そんな感じで充実感満足感たっぷりのあっという間の3時間でした。

繰り返しますが
一度中止になった公演を再び行うために対策に最大の努力をされ、
通常ならあり得ない昼夜2回公演を強靭な体力精神力でこなされた
BCJの皆さんと会場スタッフの方々、関わった全ての方に感謝の気持ちでいっぱいです。
本来なら満席の状態で演奏されるはずだったのに、まばらになってしまった寂しい会場の中、満席以上の熱がこもった空気にしてくださったこと、素晴らしいと思います。
経済的にも大打撃でしょうけれど、頑張っていただきたいものです。

全てをかけて作られる芸術が価値があって、それ以外のものは価値がない、とは決して申しませんし、
どのような形態だとしても、また、どのような想いがあるかも様々で
そこに優劣をつけることなど芸術を愛するものとしてはしたくありませんが、
やはり命をかける勢いで作られたものは魂が揺さぶられるものです。
こういう機会を与えてくださった同行者にも感謝を述べたいです。

知らない世界を知ることは豊かですね。
まだまだ色んなものを観たり聴いたりしたいです。
それが自由にできる時がまたやってくるのを信じています。

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