もよおしに激忠実に

キシロフォンボスが知育玩具・Speak&Spellの改造バージョンのものを使ってノイジーかつ美しい音を奏でております。
ぜひ聴いてみてください★

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1週間記事を書きませんでした(;´・ω・)
ま、まあ読者もあんまりいないようなブログですし
誰かのために書いているわけではないのでいいんですが、
書かないでいるとなんとなく「書かなきゃまずい」と思ってしまうのは
あんまりよろしくないなぁと感じます。
ということは、
誰かのために書いていないとか言ってやっぱり誰かに読んでほしくて書いているということですね。
どちらにせよ、書かないことに焦りを感じるというのはつまらない。

ごくごく小さな言動から大きなものまで、不安や恐怖からしていることが想像以上に多かったことに気がつく。

自分のつぶやきより( *´艸`)


ブログを書く時間がなくて書けなくて焦る(←不安からの焦り)。
だからブログを書く。
というのは、つまりはこのつぶやきのようなことだと思います。
私は日々、そういうことを大小関わらず色んな場面でやっているなと
最近すごく知りました。

トイレに行きたかったけれど今ここで席を外したら〇〇になっちゃうから行かない(○○になっちゃうと不安)とかね。
本当は〇〇だけど△△って言った方が相手が喜ぶかもしれないから△△って言っておこう(嫌われる恐怖)とか。

大元が単純にそうしたい・そうしたくないという感覚からなのか
思考からくるものなのか、その差は多分、何らかの結果の違いとして出てくる気がします。

そして、
思考からくるものが悪いってことじゃないし必要な時もあるけれど
基本的にはそういう思考からの言動って根っこの割合としては不安感が大元になっている気がするんですよね。

トイレに行きたくなったら何よりもまずそれをする。
違和感を感じたら、その気持ちをそのまま伝えるか、同意も否定もしない、とかそのあたりは精密に精確にできたらいいなぁ。

で、思考はどういう所で使うかというと
自分の言動が相手に関わる事だった時にどう言えばちゃんと相手に伝わるのか、敬意を持った言動になるかを考える時にはフル回転させたい。
その前に何をするか何をしたくないか気持ちはどうなのかは感覚の領域を使って選択したいなぁと思っています。

って難しく考えなくてもいいんだけどね(;^ω^)
「もよおした!」みたいな部分をひたすら大事にしていけばよいってだけの話でございました。

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赤裸々な告白とかではありません。

齢50を過ぎた女が自分の愚かさと間違いとまあいっかをつぶやく日記

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