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あだ名に変わるとき。

ゴールデンウィークも終盤の5月6日、今回のかたりのヴぁのテーマは「あだ名に変わるとき」です。

呼び始めた名前から、あだ名に変わる/変えるときってどんな感じなのか??という進行役・夏目の目下のギモンをみなさんと話してみることにしました。

テーマに惹かれてきたひと、声をかけられて初めて来てみたひと、ちまた公民館でイベントを開催しているひと、久しぶりにレッツの空気に当たりに来たひとなど、参加者は10名。

これまでどう呼ばれてきた?

まずは自分がこれまで呼ばれてきたあだ名を書き出してみて、紹介してもいい場合は皆に紹介してもらいました。

名前で呼ばれることもあったが、親に叱られている感じがして嫌だったこと。
珍しい名前だからあだ名がつけられなかったこと。
苗字よりは名前で呼ばれたいのに、なかなか呼ばれなかったこと。
「今日から君は○○ね!」と入寮と同時に「寮ネーム」がついたこと。
聴覚障害があり、呼ばれるときは肩をとんとん!とされるので、あだ名がつかないこと。

紹介していると、たくさんのエピソードや感情があだ名についてきます。

後で誰かが気づいたのですが、入寮したときや、メガネをつけたときなど、何かの「事件」があることがあだ名をつけられるきっかけになっているのかも?という話もありました。

「あだ名の呼ばれ方は、自分に決定権がない」

ワークショップの最初のグループワークで、「呼ばれたい名前を書きましょう」とかいうのはよくやるのだとか。

いっぽうで、自分に決定権がないのがあだ名ではないか、しかもそれが広まりやすいんだよね、という話に。

それにしても、自分が選んだのではない呼ばれ方はしっくりくるのでしょうか?

「まんざらじゃない。」
「しょうがない。」
「そうか、と。」
「どうしようもない。」
と、意外にも、参加者の多くは受け入れてきたようです。
メガネをかけたことで動物の名前がつけられた経験がある人も嫌だったというわけではなかったみたい。

いっぽうで、小学生のとき嫌な名前がつけられた経験のある人は、その名前だけは許せなくて、泣いて親に訴えたとか。
そしたら意外にも、相手は自分が嫌な気持ちになってたなんて全然想像してなかったんだそう。

「あだ名で呼んではいけません」と言われるけど、こうした「自分に決定権がない」からこそ、尊厳に傷を付けることがあるからなのかもしれません。

「服を着る」ように。

「~さん」と呼んだり「~くん」と呼ばれたりすることも、ただ丁寧に呼んでいるということだけではないようです。

親友に対して「○○さん」と呼んでいるが、全部まるごとあだ名のように親近感をもって呼んでいるという目から鱗のお話や、
~くん、と呼ばれると、丁寧だけど遠い感じがする、とか、
私的なつながりと公的なつながりで、呼び方が変わるのかも、とか。

そんな話から、呼称が必ずしもその人らしい呼称でない場合があるよね、というような話へ。
どう見ても似合わないけどスーツを着ている人は、その人らしくはないけれど公的な場に合わせるために自分にスーツをまとっているのではないか?
呼び方や呼ばれ方も、そんなふうに、違和感があっても身にまとうものなのかもしれない。

イントネーションとか文字感とかたましいの乗り方とか

面白かったのは、漢字の名前の参加者(関東から参加)が、自分にしっくりくるのはひらがなで呼ばれるときと話してくれたのだけど、実は浜松の人の場合、アクセントが1番最初に来ることが多いと話したら、それだと全然違う気がする!と言っていたこと。アクセントは2番目でないと!

文字感として自分にしっくりくると思っていても、アクセントが違うとやっぱりだめなんですよね。

また、あだ名を呼び始めるとき、心(たましい?)が乗ってない感じがすることもある、という話もありました。

地元のママ友ともっと仲良くなりたいのだけど、お互いさまざまな呼び方をしているところで、どれもうまく心がのらず、安定していない状態の「いまココ」のわたくしの話がそれです。

といったところで時間が来たので、なんとなく感想をいいつつおしまいにします。

ことばは服みたい、ということが印象に残ったという参加者のつぶやき。
「まとってるものにたいして、あだ名がついているとしたら、自分がまとっているものはどういう風にみえるんだろう?」

最後にモヤモヤを投げ込んでくるあたり、この気持ち悪さが気持ちいいです。かたりのヴぁの醍醐味ですね。

次回は5月21日(日)、かたりのヴぁ生みの親、西川勝さんによる哲学カフェ「たまたま、ひょんな、偶然とどう付き合うか」です。おたのしみに!
(なつめ)

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