見出し画像

ロックバンドがやってきた | セルフライナーノーツ

「ロックバンドがやってきた」

東日本大震災が起きて間もなく、わたしの町には、傷ついたあの町には、全国からたくさんの人が支援に駆けつけました。

年中ライブツアーをし、全国の仲間たちとの繋がりを持つロックバンドは、東北の音楽仲間の安否と現地の状況を聞きつけて、真っ先に動き出しました。空っぽの機材車に、支援物資を詰め込んで、津波の被害を受けた東北沿岸の町へ。ライフラインが戻れば、次は音楽で元気づけるために。偽善、売名と叩かれても、何度も、何度でも。
そして2012年、津波の被害を受けた石巻、大船渡、宮古にあたらしいライブハウスが生まれます。東北ライブハウス大作戦。パンクス、ハードコア、メロコアに続いて、被災地に思いを寄せるツアーバンドやミュージシャンが次から次へとライブをしにやってきました。音楽で心を通わせ、お酒を呑み交わして、泣いたり笑ったり。何度も通っているうちに、わたしにとっても、大好きな人たちのいる大切な場所になりました。

もうすぐ13年。コロナ渦を経たライブハウス。時代は移り変わっていくし、傷だらけの町はあたらしく生まれ変わっていく。これからも変わらずに持ち続けたいものって、なんだろう。忘れたくないものって、なんだろう。

あの時の、あの場所の、血の通った、心の通った、ほんとうの気持ち、ほんとうの繋がり。決して無力ではない、人の優しさや行動力。何度でも伝えたいです。

写真 石井麻木



制作についてです。

アルバムの中で唯一ドラムありのロックなバンドサウンド。OAUからギターのコウキさん、ベースのマコトさん、ドラムのロンジさん。それからカクエイさんもタンバリンを叩いてくださいました。
トシロウさんは不在だけどブラフマン。わたしにとっては、まさにこの歌の中のヒーローたち。

弾き語りから始まりサビでバンドインして、アグレッシブに展開していく様が、ほんとうにあの頃の気持ちと重なります。
スタジオでみんなでアレンジを詰めていくのだけど、バンド用語がわからないわたしは上手く伝えられず。先輩たちみんな、わたしの言葉を汲み取るのに苦労したと思います...。それでも向き合ってくださり、ブリティッシュな、王道なロックに!

歌に寄り添う先輩たちの優しさと、ブラフマンというバンドの力強さに、今回もまた救われました。



そしてミュージックビデオ。
東北の人や情景、音楽を写し続けている石井麻木さんの写真で構成されています。映像編集は麻木さんの盟友、野田竜司さん。
東北の傷ついた町にロックバンドがやってきて、たくさんの笑顔が生まれていく。歌の通りの内容のMVです。

制作作業に取り掛かったのは年末年始で、元旦に能登半島地震が起きてしまいました。今のこのタイミングで東北の震災当初の写真を使うことへのためらい、意味合い。麻木さんと野田さんと再度話し合って、今だからこそ伝えるべき、と。意思を固めて作業していただきました。

MVにはたくさんのロックバンドや、彼らを支える人たちが登場してきます。震災直後早くから駆けつけて活動していたバンドマン、わたしにとって関係性の強い人たちに限定していますが、東北に思いを寄せる人たちは数えきれないほどにいます。あの人もこの人もあのバンドも、、MVには収まりません。

震災の年に生まれた子はもう13歳。写真のなかの笑顔の子供たちは今、どんなふうに成長しただろう?

そして、東北やその後の災害支援で生まれた繋がりが、能登半島へ。届きますように。


写真 石井麻木




ロックバンドがやってきた

パンクロックがやってきた
ロックバンドがやってきた
わたしの町に

ハードコアがやってきた
ロックバンドがやってきた
わたしの町に

ひとりで崩れそうな日は
どこへでもいいから行こうと思った

ロックバンドがやってきた
ロックバンドがやってきた
わたしの町に わたしの心に
ロックバンドがやってきた
ロックバンドがやってきた
瓦礫の町に 誰かの心に
胸ぐら掴まれた気分だ
はしたない言葉吐き出した
どこへでもいいから行こうと思った

ひとりで挫けそうな日は
ライブハウスへ行こうと思った

ロックバンドがやってきた
ロックバンドがやってきた
わたしの町に わたしの心に
ロックバンドがやってきた
ロックバンドがやってきた
泣いてた町に 誰かの心に
胸ぐら掴まれた気分だ
はしたない言葉吐き出した
辛くてもいいから生きようと思った

パンクロックがやってきた
ハードコアがやってきた
ロックバンドがやってきた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?