いつの日か | セルフライナーノーツ
「いつの日か」
この歌を歌いながら心に描く景色がいくつもあります。
たとえば東北沿岸の町、おじいちゃんの畑と子供たち、三陸鉄道や南阿蘇鉄道、球磨川の鯉のぼり… あげたらキリがないほど。
ここでは福島の景色を。
震災から2年経った福島沿岸の町。復旧や復興にはまだ程遠く、まさに心を砕きながらそれぞれが頑張っている最中でした。海沿いの線路は津波の被害で、国道6号線は原発事故の影響で、開通の目処はたっていませんでした。
富岡町の住宅地には帰宅困難区域のフェンスやバリケードが張り巡らされ、津波を被った建物や瓦礫たちは痛々しく横たわったまま。時計の針が2時46分を指して進む気配のない町に、点滅信号だけが働き続けていました。
帰りたくても帰れない現実と、歩道橋に掛けられた「富岡は負けん!」と大きく書かれた横断幕。いつか、ふるさとに帰ると心に決めた人の言葉に、言葉を失います。
そんな富岡町には、地元の人たちが愛した桜のトンネルがあります。町に人がいなくなっても、町があたらしく生まれ変わっても、ずっと変わらずにそこで生きてきた桜たち。毎年春になるといっせいに咲き誇る桜たちが、人の帰りをずっと待ちわびています。
いわき、生木葉ファーム。有機栽培を通して、子供たちの笑顔のために美味しいお野菜を作り続けたおじいちゃん。
震災後は放射能の問題に苦悩しながらも試行錯誤を重ねました。除染のために畑の土を取り除き、一からまた土作り。米ぬかやもみ殻などを発酵させて作ったぼかし肥料を混ぜて、お野菜がすくすく育つ栄養いっぱいの畑に。収穫したお野菜は放射線量を測り、安心安全を心がけました。
おじいちゃんが亡くなる前日、窓の外を眺めながら嬉しそうに語ってくれたことを思い出します。毎年どれだけ力を尽くしても、収穫したあとには、来春には何の種を撒こうか、どんな肥料をつくろうかと、気付けば来年の畑に思いを馳せるのだそうです。それを「来年百姓」というのだそう。
そしてなによりも子供たちの笑顔がおじいちゃんの活力。子供たちが畑で遊び回る様子を思い浮かべては目を輝かせていました。
時を超えて桜並木が生きてきた町。おじいちゃんに託された平和。
三陸鉄道、南阿蘇鉄道やくま川鉄道。途切れた線路、トンネルの向こうの景色。今まで見てきたたいせつな景色を何度でも心に描く。
いつの日か、還る日まで。
みんなの心のふるさとにも、この歌が響きますように。
いつの日か
途切れた線路 故郷の海を
繋がる夢の続き 追いかけて
生きてる意味を 問いかけても
風すら知らないと過ぎていくだけ
いつの日か いつの日か
ただいまとその地に帰る日まで
生きてきた 生きてきた
おかえりと大地に還る日まで
いつの日か
悲しみの雨 吹きつけても
汗を握りしめ また耕して
笑顔の種を 絶やさぬためと
来年百姓は 目を輝かせ
いつの日か いつの日か
ただいまとその地に帰る日まで
生きてきた 生きてきた
おかえりと大地に還る日まで
いつの日か
途切れた線路 トンネルの向こう
開ける夢の景色 追いかけて
生きてく意味を 問いかけても
風すら知らないと通り過ぎていくだけ 今日も
いつの日か いつの日か
ただいまとその地に帰る日まで
生きてきた 生きてきた
おかえりと大地に還る日まで
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