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どのレベルに合わせるか

僕の仕事は実践型教育の現場で学生たちの成長をサポートするもの。
これまでこの現場で15年ほど試行錯誤をしているが、悩ましいなって思うことがある。
厳密にいうと、ある程度明確にこうした方がいいだろうっていうのはあるんだけど、時々、果たしてこれでいいのか?その部分を工夫できないだろうか?って感じで考えてしまうことがある。



262の法則が当てはまる状況で全体最適のために何が必要か?

具体的には、よく知られているパレートの法則が拡大解釈された262の法則で言うところの、どのレベルの学生たちに対して特に力を注ぐかってこと。
全員に対して色々考えるのが当たり前だって言われそうだけど、そういう話がしたいわけではない。
実際、仮に学部としての理想を軸として上位2割、中位6割、下位2割と捉えた場合、全体の底上げをするために効果的なのは、下位2割を押し上げようと工夫するより、上位2割をグイグイ引き上げるような機会をどんどん提供した方がいいと思っている。
前者については、実際、各種対応にものすごく時間と労力がかかってしまうってことを散々経験したし、そこから劇的な変化をみせるケースは稀だった気がすし、、後者については、そのことによって上位2割は劇的な成長をみせ、中位6割の一部が引き上げられるっていう現象をよく目にしてきたから。あくまでも感覚値だけど、おそらく間違ってないと思う。
それなら、そうすれば?ってなりそうだけど、そう簡単ではない。

その裏で、腐ったみかんっていうたとえ話のような状況にしないことが求められる。そこを怠ってしまうと、いつのまにか中位6割の多くが下位2割に引きずられるだけでなく、上位2割のモチベーション低下まで引き起こす可能性があるから。そうなってしまうと、全体の底上げどころか、負のスパイラルに陥ってしまうことになりかねない。
だから、下位2割グループに対するハードなアプローチも必要になる。
ただ、それをどこまでやるか?それが悩ましいというか大変でもある。
だからこそ、最初が肝心ってことで、初年次教育をうちの学部では重視している。

という感じで、最後の部分以外は、ある意味よくある話じゃないかと思っている。
ただ、最近では、そのうえで悩ましいなって思えることがある。

ベースとなる価値観を変えてみたときに起こりうること

262の法則は、何かしらの評価軸や価値観みたいなもので集団を捉えると2:6:2に分かれるみたいな考え方だと理解しているけど、そのベースとなる評価軸や価値観が変われば、当然同じ集団であっても262の内部構成が変わってくるってこと。
つまり、従来の捉え方だと下位2割って捉えていた相手が、上位2割に位置付けられるってことも起こりうるってこと。
だから、単なる昔ながらの凝り固まった価値観だけで現状を捉えてしまうことは、好ましくないし、避けたいところ。
若者の可能性は無限大っていうスタンスでどこまで許容するかっていうのは難しいものの。

包容力のあるサポート体制を築く

そうなってくると、全体としてどうあって欲しいという単一的な捉え方だけで接してしまうと、その学生の可能性をつぶしてしまうことにも繋がりかねない。だから、基本となる価値観みたいなもので捉えつつ、その中で上位2割に入らなかった集団に対し、それとは違う様々な可能性みたいなことをふまえた捉え方で、各個人の中にどんな芽があるのかを探り、そこを伸ばすような接し方をすることが必要なのかもしれないって思った。

この感覚は、以前触れた↓の感覚にも近いところがあると思う。

このことも併せて考えると、極度に価値観を固定させすぎることなく、常に可能性に目を向けることを忘れず、愛を持って接することが大切ってことかな。そして教員側は、学部の基本となる部分に関する共通認識を持ち、それをもとに日々学生たちに接しつつ、あとは各教員がそれぞれの立ち位置から基本部分とは異なる角度や価値観で、学生のなかにある芽の部分に目を向け、そこに寄り添ったり刺激を加えたりするイメージ。そういう感じのことができれば、全体としてある程度包容力のあるサポート体制が築けるのではないかなって思った。

というふうにまとめてみたものの、何が正解なのかは分からない。
だからこそ、考え続け、実践し続けることが大切なんだと思っている。

ということで、今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

※全編通して上位下位って連呼してて感じ悪く聞こえた方がいるかもしれないけど、わかりやすくするために使ってるので、悪しからず。

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