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エッセイ集『ギルガメッシュメール』

「これは人類史上初なんじゃないか!?」といったことを、よく思いつきます。
後でたいてい、冷めてがっかりすることになるのですが、思ついたその時は、心も体も有頂天になってしまいます。

そんな有頂天のハイテンションの状態で書いたものを集めました。



ギルガメッシュメール 


およそ5000年前、地中海の東側で、シュメール文明というのが栄えたそうです。
そこで生まれたシュメール語は、人類史上はじめて書かれた文字だそうです。

そして、シュメール語で書かれた、ハンムラビ法典は、人類がはじめて書いた法律なのだそうです。
それから、ギルガメッシュ王の冒険物語は、最初の叙事詩です。
おそらく、最初の日記、最初のエッセイ、最初のラブレターなど、いろいろな最初のものがあったことでしょう。

さぞ、面白かったでしょうね。

その当時は、くさび型文字を粘土に書いて、焼いて固定させていましたが、今では、スマホに話すと文字にしてくれますね。

ギルガメッシュメール 

↑これは、はじめて音声入力で書いた記念すべき文字です。
Googleの検索のところで作ってコピーしてみました。

今後この文字は、自分にとって、大事なものになると思います。
なんだか神聖なものに感じます。

なんども呪文のように、となえると思います。

ギルガメッシュメール!


【参考文献】『137億年の物語』クリストファー・ロイド(著)18章「文字の発明 シュメール文明」



ひよこ、世界初、パリコレのランウェイ


さっき道で、右手をズボンの前ポケットに入れて、左手をズボンの後ろポケットに入れて歩いていました。
(ちょっと、左のおしりが、かゆかったのです)

こんなふうにポケットに手を入れて歩いたのは、人類史上初かもしれない、と思いました。

いやでも、1000人くらいはいたかもしれません。
両手を前ポケットに入れて歩いている時に、左の後ろポケットに入っている大事な時計が気になりだして、心配だから左手だけを後ろポケットに移して時計をにぎって歩いているとか、ありえます。

じゃあ、右手をズボンの前ポケットに、左手を上着のシャツの胸ポケットに入れて歩いたらどうでしょう?
それでも、10人くらいはいるかな。
なんせ、人類の歴史は長いので。

じゃあ、両手を上着のシャツの胸ポケットに入れて歩くのはどうでしょう?
ひよこのマネをしているみたいで、ちょっと面白いと思って、ひとりでニヤニヤしました。

世界初って、しょせんこんなものです。
(なんとなく言い切ってみましが、ほんとかな?)

例えば、この記事を日本在住のフランス人が引用して、Twitterかなんかにフランス語でコメントして、それを有名なデザイナーかモデルが読んで面白いと思って、ひよこのマネみたいにしてパリコレのランウェイをかっこよく歩いて、それが動画になって拡散して、世界中でひよこのマネみたいな歩き方がはやったら、どうします?

世界初なんて、そんなものです。
(ほんとかな?)



ほとんど無から何かをつかみ取ろうとする時


自分にとって、本当に未知の、ほとんど無から何かをつかみ取ろうとする時は、次のような過程をへると思います。
(性格やなんかによって、個人差が大いにあると思いますが)

★ちょっとやって、おもしろいと感じ、上手くいって、自分はちょっと才能があるんじゃないかと思ったりして、次々やる。

★自分にしか出来ない独自のものをつかんだと感じで、時間をおしみなく使って、のめりこんで、自分の持っている全ての資源をつぎこんでも惜しくないと思う。まわりの人が応援してくれたり、少し心配されたりする。

★これで自分の人生を切り開けるんじゃないかと思って、あるいは切り開けなくても、一生死ぬまで、これをやっていようと決心する。まわりの人に多少めいわくをかけても、正当化して進むようになる。

★探求し続けているうちに、その世界がとても複雑で、ひとすじ縄ではいかないと思えてきて、五里霧中で、いろんなレベルのネックがあって、相対的に進歩がにぶっていると感じる。

★それでもしがみついて、効率の悪い、成果の上がらない、ほとんど無駄に思える作業を続けながらもがいている内に、運が良ければ、何かちょっとした事が上手くいって、少し上向いた気分になって、もう少し続けてみようと思う。(運が悪ければ、ここでストップ)

★追い詰められたような、心に負荷がかかった状態は続いているが、ちょっとづつ、「なんだ、そういうことか」と気づくこともたまに出てきて、おぼろげながら、本当の全体像がイメージできてくる。

★ある日突然なのか、じょじょになのか、その世界がクリアになって、未知の部分がほとんど無い(あっても自分にとって価値が無くて無視していい)と感じて、無駄なものをどんどん削ぎ落として、シンプルになっていく。

★効率よく、ほとんど何も気にすることなく、快適にどんどん進んでいると感じる。

★音速を超えて進む飛行機の中でも、安定していれば止まっていと感じるように、だんだんそれが退屈になってくる。長年、加速度を求めて来たので、いくら速く進んでいても、進化が無いと不安になってしまう。

★次の何か新しいことを始めてみようと思う。あるいは、もうその意欲は湧いて来ない。

何か成しとげた偉大な人が、急に全てを放り出してまったく別の事を始めたり、晩年に不幸な人生をたどったりという話しを、たまに聞いたり読んだりしますが、それはこういうことなのかな、と思ったりします。



モンシロチョウは何かの化身


さっき自転車に乗っている時に、モンシロチョウが前タイヤのスポークの間を、すり抜けて行きました。

もちろん写真も撮れてないし、誰かに話したとしても、「へぇ、めずらしいね」と言われるくらいだろうと思って、いたたまれなくなりました。

自分としては、映画か小説かなんかの重要な場面で象徴的に使われて、多くの人の心にずっと残っても良いような、奇跡的な出来事だと感じたので。

それで、短歌にすることを思いついて、自転車をこぎながらあれこれ考えていました。

そして、下記のようなものを思いついたので、自転車を止めて、指を折り曲げながらスマホのメモに書き留めました。

スポークを すり抜けてゆく 強運の モンシロチョウは 何かの化身

短歌をまともに作ったことはほとんどありませんが、穂村弘さんや俵万智さんの本をよく読んでいた効果が出たのか、それらしいのが出来たと思います。

なんだが、記憶が美しくドラマチックに美化されて、すっきりして、成仏されたような感じになって、満足しています。



どぶ川に、空が


信号で待っている時に横を向くと、どぶ川に、空が映り込んでいました。

「美しい」にもいろいろありますね。

「どぶ川に映った空みたいに、あなたは美しい」と言われたとしたら、微妙でしょうか?

でも、「ヒマワリのように美しい」などと言われるよりは、ずっと良いと思います。

もしも本当に、こう言うより他に、あなたの美しさを表す言葉はあり得ないと、本気で思って言ってるのだとしたら。



「風景なんて必要ないから、早く話を進めてくれよ」論争


風景描写を読むのが苦手でした。
「風景なんて必要ないから、早く話を進めてくれよ」
「たいくつだ。飛ばして読んでも大丈夫かな?」
「そうじゃなくても話が複雑なんだから、風景なんて入れたら、また分からなくなってしまう」
などと、思うことが多かったと思います。

それは、そのころに、風景、特に「美しい自然の風景」自体に興味が少なかったからじゃないかと、ふと思いあたりました。

赤川次郎さんの小説は、風景描写が、ストーリーの必要とする最小限のものに限られていると思います。
10代の頃に、赤川次郎さんを、むさぼるように読んでいたのは、そういうところも合っていたのかもしれません。

今は、「美しい自然の風景」の中ですごすのが好きになっていますので、風景描写を読む時の感じ方も変わっていると思います。
「風景描写が好き」とまでは言えないですが、読むのが苦になるようなとこは、少なくなったと思います。

「世界はすべて美しい」とまでは言えないですが、どんなところを歩いても、たいてい楽しく感じられます。

『古都』川端康成(著)を読みたくなりました。
たしか、杉のたくさんある、「美しい自然の風景」があったと思います。




写真を捕る


池で本を読んでいて、ふと視線を移すと、50センチくらいの魚が2ひき泳いでました。
これが噂のブラックバスかなと思い、静かにスマホをズームして、水の方にそっと近づきました。
そして、確かにフレームにとらえて、ボタンを押しました。
そして少し高揚して、ギャラリーを開きました。

残念ながら、うまく写っていませんでした。
濃いグレーの画面の真ん中からやや左下に、もっと濃いグレーの影がぼんやりとあるだけでした。

この高揚と落胆は、ハンターの感覚に近いと思いました。

魚を撮る行為と、魚を捕る行為は、気持ち的には、ほとんど同じだと思いました。


「ハーブ茶づけ」は世界初じゃない


夜中にお腹がすいて、何かあっさりした物が食べたいと思いました。
ジャーにご飯があります。
サーモスのポットには、熱いハーブティが入っています。
(いろいろブレンドしていて、日によって違うので、何の葉っぱなのかは分かりません)
たぶん、おいしくないだろうけど、なんでもいいや、と思って、かけて食べました。

それがでも、まあまあ、美味しかったのです。

わざわざハーブティを入れてまた、というほどではありませんが、夜中にご飯と熱いハーブティがあったら、またかけて食べると思います。

念のため「ハーブ茶づけ」を検索してみたら、何件か出てきて、少しがっかりしました。



悲しい出来事の分類


(A) 自分に起こった悲しい出来事:自分の怪我や病気、家族の怪我や病気、熱烈なファンになっている歌手の怪我や病気

(B) 情報としての悲しい出来事:歴史、ニュース、噂話

(C) 夢の中での悲しい出来事:悪夢

(D) 物語になった悲しい出来事:悲劇、ドラマ、ドキュメンタリー、映画、小説

それぞれ、体や心の反応が違います。

(A)や(C)の時のアドレナリンや心拍数や汗なんかの量を科学的に分析して、(D)の制作に活かして、同様の体や心の反応を出せたらどうでしょう?

熱狂的に受け入れられるでしょうか?

それとも、拒絶されてしまうでしょうか?

まあでも、ちょっとは話題にはなるでしょう。

気づかれない程度に、偶然をよそおって、部分的に使うっていう手もアリかもしれません。



表現するって、こういうことなんだ


波を見ていると、意志を持った生き物みたいだと感じて、『崖の上のポニョ』の映像が思い浮かびました。

ポニョが荒れ狂う波の上を駆け回っている場面です。

波が次々と、左の向こうの方から、右の向こうの方まで、ぐぅわんとわいて、かけ上がって来ます。

今日は穏やかな方だけど、怒ったらあの映像のようになるのだろうと感じました。

あれはデフォルメしすぎじゃなかったのだと思いました。

見ている風景に、ぴたりと重なって、イメージされました。

表現するって、こういうことなんだと、ふにをちました。



「常識を疑え」について


基本的に、常識は、疑わない方がいいと思っています。

新しい発想や改善は、常識を充分に知り尽くしていないと、実現が難しいからです。

(ごくまれに、若くして常識をくつがえして、成功をおさめる人がいます。そういう人は、直感的・構造的に、常識を理解できてしまうのかもしれません。あるいは、幼少期に英才教育で常識を叩きこまれたか)

まだ常識を分かっていないのに、常識を壊そうとするのは、一か八かの賭けだと思います。

十中八九、上手くいかないでしょうし、仮に上手くいったとしても、継続して成功するのは難しいでしょう。

自分は、もともと常識に対する破壊衝動が強い方だと思います。

むしろ、「常識をあなどるな」「常識を知りつくせ」「常識を信じろ」と、自分に言いきかせたいと思います。



あたりまえの大発見


森の中の川には、光と風と音が集まっています。

広々としているのに、つつまれている感じもします。

「そうか、川の上には、木が生えないからだ!」

あたりまえのことが、大発見だと、感じられる時があります。
それは、自分にとって、本当に、うれしい発見です。
この発見を、うちあけた時に、本当にすごいと、思ってくれる人がいたとしたら、さぞ、うれしいだろうな。



世界はすべて


世界はすべて、神秘的で美しいと、感じるときがあります。

世界はすべて、原子でてきた物質にすぎないと、感じるときもあります。

いっそ、なにも感じたくないと、思うときもあります。



残酷な美しさと悲劇、緑と白


めぶいた緑が、白い雪におおわれました。
春と冬の出会いは、残酷な美しさだと思います。

だだ残酷なだけでは、悲劇にならないのだと、分かりました。

残酷さが美しい時に、悲劇になるのだと思います。

残酷なことが美しいと、罪に問われるどころか、むしろ崇高なものに、なることがあるのです。

このような感情が、なぜ人にはあるのでしょう?



風と波の音になる


砂浜を歩いているとき、後ろから、すごい風に背中を押されていました。
酔っぱらいみたいに力を抜いて、身をまかせると、無重力のようにふわふわ進んで、おもしろく感じました。

砂浜は広々としているので、目をつむって歩いてみました。
すると、風と波の音が大きくなって、圧倒されて、思考がふっとばされたように感じました。
そして、頭の中が、風と波の音だけになっていました。
心地よくて、半分、ねむっているような感じでした。

むかし読んだ『ガラスの仮面』で、マヤが、木の精霊の役を演じる場面を思い出しました。
ついに、意識の無い木になれた時に、マヤは、ぬけがらのような表情になっていたと思います。
あの時のマヤの感覚がわかった気がしました。

風と波の音に感情移入するというよりも、さっかくして、そのものになっているようでした。
風と波の音がそうであるように、何も考えず、何も理解せず、何も感じず・・・、ただ、風と波の音であるだけでした。

砂浜の入口にたどりついて、目を覚ますと、ずいぶん長いあいだ熟睡していたように、頭がすっきりしていました。



まっくら


考えは、まっくらな中から生まれてくると思います。

考えはいつも、まっくらな中から生まれてくるもの、なんじゃないでしょうか?

まっくらな中は、黒くすき通るごくごく小さいつぶつぶで、うめつくされているようです。

重さがないから方向もなくて、まっくらと頭のさかいは、あいまいです。

たまに、ふとした時に、まっくらの奥へ、はてしなくどこまでも行ってみようと、思うことがあります。



ビジュアル先と言葉先、ライ麦


歌の作り方で、詞が先にあってそれに曲をつける詞先(しせん)と、曲が先にあってそれに詞をつける曲先(きょくせん)とがあるそうですね。
一人で両方を作る場合は、いっしょに平行して考えることもあるようですが。

ブログも、似ていると思います。
掲載したい絵や写真や動画などが先にあるビジュアル先と、言葉が先にあって、それにそえる資料としてビジュアルがある言葉先の人とがいると思います。
それから、両方が一体になったものが頭の中にあって、それを形にしていく人も。

いったん話が変わりますが、『ライ麦畑でつかまえて』を思い出しました。
主人公の男の子が、たしか、弁論の授業が嫌いだと言っていました。
何かについて話してて、途中でテーマから外れて別の話をしだすと、「脱線! 脱線!」と注意を受けるそうなのです。
男の子からしたら、その脱線していくところが良いんだそうです。
話し手があるテーマについて話してて、途中で、それに関連して思い出したことがあって、どうしてもそれについて話したくなって、夢中で熱心に話してるのを聞くのは、良いものだと言うのです。
それを、途中でさえぎるべきじゃない、と言って怒ってました。

ここで、話しを戻します。
ビジュアルが先にあって、それにつける説明を書いてて、途中で、ビジュアルと関係ない話に脱線して、その話の方に夢中になってるのって、良いと思います。

「そうですね----そうかもしれない。たぶん、そうでしょう。たぶん、農場ではなく、おじさんのほうを題目に取り上げるべきだったんでしょう。それが一番興味のあることだったらですね。でも、僕が言いたいのはですね、たいていの場合は、たいして興味のないようなことを話しだしてみて、はじめて、何に一番興味があるかがわかるってことなんです。これはもう、どうしてもそうなっちゃうことがときどきありますよね。だから、相手の言っていることが、少なくとも、おもしろくはあるんだし、相手がすっかり興奮して話してるんだとしたら、それはそのまま話さしてやるのがほんとうだと僕は思うんです。僕は興奮して話してる人の話って好きなんです。感じがいいですね。先生は、そのヴィンスンっていう先生をご存じないんだからな。ときどき頭に来ちゃうことがありますよ。その先生もあのクラスの奴らも。しょっちゅう、統一しろ、簡潔にしろって、そればかり言っているんです。ものによってはそれができないものだってあるでしょう。つまり、ひとからそう言われたからって、なかなか簡潔にもできないし、統一もできないものがあると思うんです。先生は、そのヴィンスンっていう人をご存じないからなあ。そりゃ、いろんな知識やなんかは持ってるんだけど、あんまり頭のよくない人だってことはすぐわかるんです」

『ライ麦畑でつかまえて』pp..284-286



新楽と既楽


新しいものを楽しむことを新楽(しんたの)、既にあるものを楽しむことを既楽(すでたの)と言うことにする。

若いころは新楽の傾向が強く、歳をとっていくに従って既楽の傾向が増していくのが一般的だと思う。
もちろん個人差があって、若いのに保守的な人もいれば、年配なのに新しいことにチャレンジする人もいるだろう。

新楽はエネルギーがいる。調べたり、学んだり、努力したり、勇気を出したり、失敗して回復したりしなければならない。でも、考え方はシンプルだ。興味を持った新しいことをやればいいだけだ。その気になれば、いつでも好きなだけ、無限に見つけることができる。ドパミンを出して興奮できる。

既楽は心の安定が大事だ。「足るを知る者は富む」と言われるような、人としての一つの理想の精神状態に達していなければならない。人に惑わされず、静かに自分に向き合って、出会ったものを末永く楽しむのだ。奥深くまで、細部まで、ゆたかに熟練することができる。セロトニンを出してゆったりできる。

どちらもすてがたい。時と場合によって、どちらも楽しみたい。

それぞれのデメリットについても考えてみよう。

新楽は、すぐに飽きて、次々と中途半端に食い散らかす感じになるとつまらない。誰でもできて、みんながやっていると冷める。ある程度やったら分かった気になって冷める。灯台下暗しで、身近にある素晴らしいものに興味が出ない。自分の持っている素晴らしいものを簡単にすててしまう。新しいことをやれてないと、つまらなくて、憂鬱。

既楽は、新しいことに目を向けないから、時代遅れになる。もうちょっと先に行けば素晴らしい宝物が見つかるかもしれないのに、冒険しない。成長スピードが遅い。自分が全体の中でどんな位置付けにあるのか、井の中の蛙だから大海を知らない。新しいことに拒絶反応して排他的。マニアックで自己満足。

一冊の本を何度もくりかえし読みたい、そして、興味を持った新しい本をどんどん手に取りたい。

本に限らず、いろんなものごとを、そんな感じでバランスよくやっていきたい。



魔神


とてもすごいマシンを手に入れました。
なんだか自分が自分じゃないみたいに、自分のスペックが上がった気がします。
マシンがすごいだけなのは分かっています。 
ただ操作しているだけで、誰がやっても同じなのだと。
でも感覚としては、マシンと一体になって、むしろマシンの一部になって、もうマシンそのものになって、すっかりマシンのことは忘れて、ただ、素晴らしいスペックで夢中になっていました。



放送コードで排除されたり、発禁になったりせずに


漁港を見ると、金子みすゞさんのことを思います。
読まずぎらいというか、ずっと読む機会がなかったのですが、数年前に出会って、ドハマリしました。
教科書などで読んだことのある人も多いと思いますが、少し引用させてもらいます。


けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたずら一つしないのに
こうして私に食べられる。
ほんとに魚はかわいそう。

「お魚」より


朝焼け小焼だ、 大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ。
浜は祭りの ようだけど、
海のなかでは 何万の、
鰮(いわし)のとむらい するだろう。

「大漁」より


金子みすゞさんが擬人化する魚は、目の前の現実の世界にとどまっているように感じます。

そして、現実世界を変えてしまうインパクトがあると思うのです。

例えば、『スイミー』を読んだ後で、水族館で小魚の群れを見ても、水族館にクレームが入るなどのトラブルは起きないでしょう。
スイミーは、架空の世界にいるのであって、目の前にいる小魚とは、関係ないと感じます。

『めだかの学校』では、作者が、目の前の川の中にいる魚を見ながら、擬人化した空想をします。
「みんなで おゆうぎ しているよ」うだなと。
この場合も、現実のめだかには、影響を及ぼさないように思います。

「大漁」は、『めだかの学校』と、お話の形は似ています。
作者が目の前の海を見ながら、「とむらい するだろう」なと、空想します。
しかし、何かが違います。

「大漁」を読むと、現実の魚に対して、罪悪感をいだいてしまいます。
これは、金子みすゞさんが、「魚」=「食材」という暗示をといて、もとの「かわいい小さな生きもの」の姿に戻してしまったということではないでしょうか?

これまで、知らなかったとはいえ、「かわいい小さな生きもの」を焼いたり、煮たりして、はしでつついて、食べていました。ごめんなさい。
知らなかったとはいえ、「かわいい小さな生きもの」たちを、大量虐殺していました。ごめんなさい。

大げさな言い方ですが、それに似た感情が、読んだ時に浮かびます。
そして、漁港や市場が、恐ろしい施設のように思えてきます。

でも、それは危険な考えで、おそらくタブーであろうと、うすうす気づきます。

そして、意識的にか、無意識的にか、タブーにふれないようにして、あたりさわりのない読書感想文を書いてしまうのです。

「みすゞさんは、心優しい人だと思います」とか、「たいせつな命をいただくのだから、残さず食べたいと思いました」とか・・・
いくつか用意されている、安全回路が作動するのです。

子供の無邪気さで語られるこの童謡は、そんな、きわどい、ギリギリのところを突いた作品だと思います。

それが、放送コードで排除されたり、発禁になったりせずに、多くの教科書にのっています。

恐るべきレトリックだと思います。

金子みすゞさんは、26歳の時に、幼い娘を残して、服毒自殺されたそうです。


正直で信用できる文章


その時の気分にぴったりな文体で書いているようで、それでいて魅力的に感じられると、いいなと思います。

疲れている時は、投げやりだったり。
いそがしい時は、そっけなかったり。
怒っている時は、汚い言葉づかいだったり。
恋人とうまくいっていたら、読んでる方が恥ずかしくなるような、あけすけだったり。
たまっているものを吐き出したい時は、めちゃくちゃ重くて長文だったり。

そういうのは、正直で信用できる文章だと感じます。

自分は、そういうのが苦手ですが、せめて気持ちをいつわらないようには、しなければならないと思います。

・気分がのらないのに、無理にのってるような文章を書いたりしない。
・有頂天なのに、クールを装ったりしない。
・絶望的なのに前向きな事を言ったりしない。
・怒ってイライラしているのに公平さを意識したりしない。
・あんまり良いと思ってないのに、良いと言ったりしない。
・無理なら、何も言わないようにする。

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