人間にはまだ足ビレがある(或いは私の10年にわたるダイエットについて)
体がかたい人間というのはどのようなことにも不利である。利点と言えばドジっ子のような動きをして周囲を和ませられる事くらいだが、これだって運動神経抜群というメリットと天秤にかければ果たして良いものかどうか怪しい。
そして私は遥か幾星霜もの昔から体がカチコチだった。驚くなかれ、私はスクワットができないのである。(女の子座りもできないし、女優のように座った時に足を揃えて横にすることもできない。絶対に足と足の間が空いてしまう。)
自転車に乗っていて後ろを振り返る際に脇腹をつることもあったし、体がかたすぎて後ろ手にドライヤーを持てないので髪はいつも半乾きのままである。これいかに。
その当然の帰結として私は太っていた。もともと食べるのが好きな性格でもあるし、そのうえ体中の筋肉がきちんと使われていないのである。そんなのは甘えであると見る向きもあるだろうが、人間の筋肉の過半数は下半身に集まっているとか、スクワットは腹筋の何倍も効くだとかの言説を思い出してみてほしい。すなわち私はダイエットに関して普通の人間の何倍もビハインドを背負って生きているのである。
そのことに私が気づいたのは高校生の頃であった。その頃の私は部活を辞めて運動習慣がなくなったことに焦り、暇を持て余してウォーキングを始めたのだった。痩せたいとの一心から私のウォーキング熱は加熱し、ついに年間の歩行距離は666kmにまでなった。
これは東京-大阪間の直線距離を上回る。けれども私はちっとも痩せないどころか、逆に歩いた分食べれば良いだろうという油断から、体重の増加に歯止めがかからなくなった。結果10キロ太った。
その時に私は気づいたのである。私の太ももはどれだけの距離を歩いたとしてもぷにぷにしていて使われている気配がない。これはひとえに私の体がかたすぎるせいなのだと。10数年自分の体と付き合ってきて、私はそのことに何となく気づいていたけれど、自分の体の筋のあらゆるところを伸ばすのには途方もない時間がかかるであろうことも同時に何となく理解していた。そのため、倦怠期の恋人のように都合の悪いことに目を背けて簡単にできるウォーキングに邁進していたのだった。
けれどもう事態は予断を許さないところまで来ていた。そこで私は自分の体を改造する決意を固めて、筋トレに近いレベルのハードなストレッチを自分に課すことにしたのだった。
まず私が手始めにしたのは、運動した時に攣りそうになる箇所の把握だった。この違和感を解消すれば体を自由に動かせるようになるだろう。私はそう信じて自分の体を曲げたり、伸ばしたりした。しかしこれは非常に難航する。なぜならわたしが攣りそうになる条件は非常に特殊なものだったからだ。具体的には腕を後ろに引いて背筋に力を入れた状態で脇腹をひねる。
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