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事後諸葛亮

  という言葉を最近知った。ニコニコ大百科によれば『「だろうと思った」「そら見たことか」等と、後になってから、以前から知っていたかのように口出しする人を指す』らしい。なるほどこれは面白い表現である。


  私にもこの事後諸葛亮のようなところがあって、自分でもよくないなあと思う。Twitterで見たうまい例なのだが、じゃんけんでグーがパーに負けたのを見て「ほら、チョキを出しとけば良かったんですよ」というのは愚かだし、なんの役にも立たない。あとになってこうしとけばよかったというのは簡単だが、物事は全て可能性とリスクの狭間にあるのだ。それら全てを見通していたわけでもないのにあとになってから「こうしておけばよかったんですよ」というのは、ものの見方が浅薄という他ないだろう。


  この世の中は複雑怪奇、全てのことを見通すのはどう考えても無理である。しかしそのことを恐れてあとからぐちぐちと「ああすればよかった、こうすればよかった」というのはあまり建設的な態度とはいえないだろう。「反省はするけど後悔はしない」という言葉もあるように、リスクと可能性を分析してどうすればよかったのかを振り返るのはいいが、結果だけを見てアレがダメだったコレがだめだったというのはどうにもよろしくない。


  まあうまくいかなかったことを振り返るときなどは、自分自身の失敗と問題の切り分けをするのが難しいこともある。人間である私たちは機械のように全てを割り切って考えることが難しいこともままあるからだ。私はどっちかというと人より落ち込みやすいタイプだから、この事後諸葛亮になってやしないかと、自分で意識的に気をつけないとすぐに深みにハマってしまう。だから自分自身への戒めとしてこの記事を書き記しておこうとおもう。

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