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ラムネに関する一考察

  今どき見なくなった瓶のラムネ、あの中に入っているビー玉はどうやってあの中に収まっているのだろうか。もしかしたらビー玉達は知らぬ間に瓶の中という世界に閉じ込められて出られなくなっているのかもしれない。ビー玉達がアリスのように不思議な瓶の中の世界に捉われているとしたら、少しかわいそうで尚かつおもしろくもある。


  あの瓶ラムネは今では温泉でしか見かけなくなったから、わたしの中での瓶ラムネはノスタルジックな思い出とセットになっている。温泉あがりに親にねだって握りしめた100円玉で買う瓶ラムネは、もしかしたらとても贅沢なものだったのかもしれない。世のおじさん達が居酒屋で生中を頼み、この一杯のために生きている、という感覚。あの軽い版を温泉上がりのラムネは提供してくれていたような気がする。


  わたしはお金がないから、基本的に食べるものは自炊している。けれど炭酸の飲み物だけは自作することができないから、サイダーが飲みたくなった時はしぶしぶ近所のスーパーに行って三ツ矢サイダーのペットボトルをカゴに入れている。ペットボトルの中にはいまや迷子のビー玉はいない。したがってビー玉達が不思議な世界から抜け出した先で、わたしという巨人に出会ってびっくりする、という妄想はもう叶うことはないだろう。それにビー玉はペットボトルの口径だったらするりと抜け出してしまうだろうし、きっとどこかに勝手に転がっていくに違いないのだ。
 


  けれどわたしはこれを寂しがる必要はないと思っている。大人になったわたしはまた新しくサイダーの思い出を作ればいいのである。自分でサイダーを作るチャレンジをしたり、サイダーに関してこうやって1人言を言ってみたり。夏と爽やかさという概念以外に、わたしの中でだけ通じるサイダーのラベルを作る。そうやって遊ぶことに余念のない人間でいたい、というのがわたしの願いである。

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生活費の足しにさせていただきます。 サポートしていただいたご恩は忘れませんので、そのうちあなたのお家をトントンとし、着物を織らせていただけませんでしょうかという者がいればそれは私です。