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もう同居とか絶対にできない

  一人暮らしの快適さを知ってしまった今、もう誰かと暮らすことは絶対にできないと思う。一人暮らしではどれだけ寝っ転がっていてもいいし、皿洗いがめんどくさくて流し台に一ヶ月食器を放置していても誰にも怒られない。全ては自分1人の快適さのために最適化されていて、お母さんにご飯よ〜と言われて白熱したゲームを中断しなくてもいい。人間には二種類のタイプがいて、それは同居に向いてるタイプと向いていないタイプなのだ。わたしは確実に後者である。


  ただしその分一人暮らしではデメリットもある。例えば冷蔵庫にもう何もないなとなった時同居人がいれば、連れ立ってスーパーに行こうと誘えばそれだけでもう買い物はエンターテイメントになる。また一人暮らしでは絶対に自分がゴミ出しやら部屋の掃除やらしないといけない。だから例えば毎日仕事で疲れて帰ってきてそのままうだうだしていれば、あっという間に部屋は発展途上国の様相を化す。それに風邪をひいて寝込んでいる時の一人暮らしというのは本当に孤独だ。まあ大人になった現在、子供の頃と違って風邪なんか滅多に引かないからこれは杞憂と言ってもいいかもしれないが。


  人と話していると、わたしという人間はつくづく同居に向かない人間だと痛感させられる。人と話すのは楽しいし愉快なのだが、これが永遠に続いて自分1人の時間が確保されないと考えると辛くなってしまうのだ。家に帰って布団に潜り込み、穴倉のような我が家でひとりぼっちの時間を堪能する。そのままYouTubeなどを垂れ流しながらうとうととして、ブルーライトに照らされながらいつの間にか眠っている。この生活の気楽さを手放すことはそう簡単にできるものではない。


  とはいえ、食費や家賃は折半すれば一人暮らしより金銭的負担を軽減できる。規模の経済である。この点は経済的に困窮しているわたしのような人間にとっては、見逃すことのできない利点である。気の合う人間と毎日茶番を繰り広げ、金銭的にも楽して生きて行ける。これはなかなか理想的な状態ではなかろうか。本当に気の合う友人とであれば同居はきっと楽しいものなのだろうなと考えると、少しばかりの憧れを感じる自分もいるのである。穴倉に共に住み側にたたずんでくれる動物のような相方の存在を夢見る自分は、なかなかわがままな生き物だなあと思う。


  多分、一人暮らしと同居というのは単純に次元が違うのだ。どちらにも良いところがあり、悪いところがある。そして私は一人暮らしの楽さに沼ってしまっているのだ。私のこの、のほほんとした1人生活がどこまで続くかは定かではない。多分、享楽を貪る1人間としての気楽さを手放すことはできないだろうし、まあとりあえずのところ行けるところまでは行ってみよう。結局人間はなるようにしかならないのだから。

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生活費の足しにさせていただきます。 サポートしていただいたご恩は忘れませんので、そのうちあなたのお家をトントンとし、着物を織らせていただけませんでしょうかという者がいればそれは私です。