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新品のNintendo Switchを盗まれた


  盗まれたSwitchは有機ELモデルだったから、渋谷の電機店で四万数千円ほどをニコニコ現金一括払いだった。そこにモンハンライズとマイクロSDカードも入れていたと気づいたのはそれから1週間ほどした後のことだった。



  ことの発端は親から急に入った電話だった。その日は普段電話することのない姉からも電話が入っており、なんの用事だろうかと訝しんだ私は普段より面倒がらずに電話をとった。そこで初めて私は祖父が死んだことを知った。祖父はもう90代でありそのこと自体はなんら不思議ではなかったが、新幹線と電車を乗り継ぎ半日以上かかる実家へ葬儀のために帰るのはやはり億劫だった。新しく入ったバイト先に忌引きの連絡を入れ、深夜バスの値段を調べる。



  葬儀の前日は、帰る間推しの配信を見れなくなるなあなどと考えつつ、バッグに着替えを押し込んだ。どこへ行くにも自転車移動の私は、深夜バスの乗り場へも自転車で向かった。夜の街を自転車で疾走すると自分がネオンライトの一部になった様で、人間はきっと街の一部で居られるように作られているんだろうなと1人で納得していた。



  朝方深夜バスを降り、そこからまた電車に乗って実家へ帰る。するとそこにはすでにたくさんの親戚が集まっており、わたしは仏壇のある居間に通されて死化粧を施された祖父の遺体と向き合った。「以前から薄々感じていたが、人間は死んだらおしまいなんじゃないか。」遺体を見て感じた感想はそれだった。それほど仲が良かったわけではない祖父の遺体を見ても他人が死んだ以上の感慨は湧かなかったけれど、知っている人間の死体というのはやはり不思議なものだった。


  通夜と告別式が終わったのは実家に着いた翌日の午後で、私は多少疲れたなあと思いつつ電車の時間が迫っていることを親に告げだ。駅まで車で送り届けてもらった私は窮屈な喪服を駅のトイレで着替えて、電車を待つあいだ時間でも潰すかと待合室でSwitchを取り出した。しばらくするとホームには特急列車がやってくる。わたしは自分が乗る電車はこれだっただろうかと思いつつ、タラップに足を乗せて車両のトイレの部分まで進んだ。その時手に持っていた葬儀用の小さな黒鞄に直前まで遊んでいたSwitchをいれ、私は手洗い用の鏡の前で一息つくことにした。けれども私はすぐに自分が乗るべき電車はそれではないことに気がつき、慌てて出口を飛び出した。後から考えればおそらくこの時にスイッチを手洗い鏡の前に忘れたのだろう。正しい電車に乗った時点でわたしは手元にSwitchがないことに気づき青くなった。


  東京の棲家に戻った後、なんとかして失ったSwitchを取り戻すことはできないかと駅の遺失物取扱所などに電話してみたけれど、なしのつぶてだった。Switchにはアカウントというものがあり、それを共有していれば同じデータベースにログインすることができる。そこで私は5000時間ほど使った古いスイッチを起動して数日間自分のアカウントを眺めることにした。友人にも私のフレンドリストの観察を頼むことにした。



  はじめに異変が現れたのは2日後だった。友達にフレンドリストを見てもらうと私は使用していないはずの時間にログイン履歴があるのだ。しかし、もしかしたらこれは私が気付かずに間違ってログインした可能性もある。だが私の期待とは裏腹に次の異変はその夜には現れた。私が遊んだこともないスマブラを使用した痕跡があるのだ。そしてトドメは次の日の夜に訪れた。アイコンがマリオオデッセイのキャッシーというキャラに切り替わっているのだ。なんだこれは。あまりにも泥棒っぽすぎるではないか。 



  私のSwitchを拾ったやつは落とし主に全く返す気がない。そのことがはっきりしてわたしは、なぜSwitchを実家まで持っていこうなどと思ったのかと過去の自分の浅慮を呪った。ひと月のバイト代の大部分をはたいて買ったSwitchは1週間ほどで私の手元から消えてしまったのだ。友人にこの話をすると「これで盗まれたって言うのはちょっとあれやけどな(笑)」と同情半分で言われたが、いくら友人の意見が正しかろうが私のSwitchはもう帰ってこないのだ。悲しみと悔しさでいっぱいになった私はその後一月ほどSwitchのことを思い出してはブルーな気分になることになったのだった。

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生活費の足しにさせていただきます。 サポートしていただいたご恩は忘れませんので、そのうちあなたのお家をトントンとし、着物を織らせていただけませんでしょうかという者がいればそれは私です。